小説講座 売れる作家の全技術
デビューだけで満足してはいけない

¥1,575

という本を読んでみました。作家の実態や方法論が凝縮されていい本ですが、作家(フィクションを書ける人)で食べてゆくのは本当に厳しいと、これでもかと書かれる。新宿鮫、シビアです。

「SNS文章・ビジネス文書、脚本、エッセイ…文章表現のすべてを含む総合格闘技が近代小説!」と常々思っていますが、この本はかなりフィクション作家向けに特化しています。

→レビューでも、セミプロ~プロ達に好評のよう。

エンターテインメント、殊にミステリの法則に偏り過ぎのきらいはありますが、全作家に普遍的な法則もあり。私が印象的だった記述はこちらです。(引用)

日本の小説と海外の小説では、文章表現に大きな違いがあります。海外の文学作品においては、文章は油絵です。厚く厚く塗り込む。重ねて重ねて、描写を追い込んでいく。また、独特の比喩表現を数多く用いるのも、海外、特に英米では文学性の高い描写とされています。

一方、日本はどうかというと、これは水墨画の世界です。不要な表現をどんどん削っていく。例えば、「月を見上げる」という表現は正しいか正しくないか。月は普通、上にあって見土げるものなんだから、「月を見る」でいいんじゃないかということになる。とにかく削るわけですね。

 枯淡の境地というんでしょうか、文章を書き慣れた老練な作家になればなるほど、細かい比喩や描写が無くなっていって、非常にシンプルでさっぱりとした文章が連なっていく。ただし、インディカ米ではなくジャポニカ米の文章なので、シンプルで淡々としていてもリズムよく読むことができます。
似たような文章をアマチュアが書いても、同じ味わいは出せません。「うまへた絵」みたいなもので、画力のある画家がサラサラッといたずら描きをした絵と、子どもが真似て描いた絵とでは評価が違ってくるのと同じことです。

夢枕摸さんの『陰陽師』という小説の文章は、〈「ゆこう」/「ゆこう」/そういうことになった。〉みたいに、実に淡々としています。独特のリズムがあって、安倍晴明と博雅の人間関係が、その淡々としたやり取りの中から浮かび上がってくる。夢枕漠という作家が長い間書いてきて行き着いたひとつの境地だからこそ、淡々と書いても読者に伝わるのであって、アマチュアが真似をしても同じような文章にはならないということです。

 日本の小説の世界では、作家は厚塗りから水墨画へと向かう傾向があります。もちろん、いくつになっても濃い文章を書く人もいますが、多くの作家は、比喩や描写が減り、形容詞が減って、さっぱりした文章になっていく。最小限の言葉で正確な情報が読者に伝わるような文章になっていく



よく、SNSとかビジネス文章講座で、「一文章を短く書きましょう」「SVOCを端的にし、相手にわかりやすくしましょう」といった 欧米か!!的な教えがありますが、それとは違うシンプルさを言っていますね。

弊社みつはしちかこさんは最近、「線が強く描けない。私の下書きに誰かペン入れをしてほしい」などと冗談とも弱音とも韜晦ともつかぬことを言いますが、

どんなに力が弱まろうと、彼女がすう―と引くひとすじの線は、他の誰にも真似のできない「みつはし線」。と同業者達はいいます。

本書で言う「枯淡」、「シンプル」、「淡々」とはそうした作家の生き様……殊に無心、覚悟、どれだけその線(ことば)を書いてきたかの膨大な蓄積から来るものでしょう。

---という小理屈だけは会得した自分の文章が、四十にもなって枯淡に程遠いです。ペッパーやソースの味に塗りこめられて、本来の肉の味がわからないジャンクバーガーみたいになっております。

「表現」(レトリック)で読者を動かそうと思っている間は、このてんこ盛りスパイスの嘘から逃れられない。武装解除できないんですね。

肉の芯味だけで勝負する潔さをもったときに、小説を書こうが脚本書こうがメルマガ書こうが、最小限のことばで最大限の情報を伝達できるんでしょう。

「できる」「できる」そういうことになった。
とかね、それだけで多くを伝えてみたいものです。

似たような文章をアマチュアが書いても、同じ味わいは出せません。
と新宿鮫のおっちゃんは言いますが(・・)。

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