最近、とても基本的なことが分かりました。



 

というか、これまでは正しく理解できておらず

表面的な捉え方をしていた事がありました。

ちょっと恥ずかしくもありますが…🫣

 

 

去年からヨガの経典を学ぶ機会がたくさんあり

これまでの知識が間違ってはいないものの、

浅かったなぁ、上辺だったなぁと感じる事が

いつくもありました。

 

 



まずこちら。


ヨガでは『マーヤー』と言われる概念があります。

それは『幻』『幻想』と訳されるのです。



そして古いヨガ学派では「この世は幻だ」ということが

真理として言い伝えられているのですが…。

 

 




今思えば…私はこのマーヤーについて、

正直あまり深く理解できていませんでした。




そもそも私の中のマーヤーという概念は、

これまで学んだ事をまとめると

「世界を創り出す様々な要素」みたいなイメージでした。

今で言う「量子」みたいな感じかな?

 

 

もしかしたらこれも全て間違いでは無いかもしれないけれど🤔

 

 

だけど勝手に、

そのいろんな要素、素材が世界に満ち満ちていて


意識がそれを使い世界を思うように形成している…

だから世界は幻なんだ。


本当に実在しているかのように見えて、意識が創っているんだ。


だから実在はない=幻、なんだろうかなぁ…🤔

 

そんな感覚で捉えていました。

 

さっきも書いたけど、これも間違いでは無いと思う。

 

 

だけど今回、新しい見解を得たのです。

 

 



 

それにはまず、不二一元論を知っておく必要があります。

 

ちなみに不二一元論とはインドの哲学である

「宇宙の根本原理であるブラフマンは、個人の本質であるアートマンと同じである」

という考え方をベースにしています。

(これを梵我一如と言います)


不二一元論はそれを基に

『この宇宙はブラフマンのみが実在していて

その以外は幻想である』と言うのです。


この考えをまず頭に入れておいて

続きを読んでいただきたい🙏🏽

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さて、マーヤーの話に戻りますが


この「全ての物は二元を帯びて見えていても一つだ」という考えのもと


マーヤーとは?を『ヴィヴェーカ・チュダマーニ』という本の中から

こういうふうに教えてもらいました。

 

 

たとえ話になりますが、


粘土でできた器が複数あったとします。

それは皿だったり、器だったり、コップだったり、

様々な形態で私たちは認識します。

 

そりゃ皿に見えたら皿と思うし、

コップに見えたらコップですよね?笑

 



 

だけど、これは「皿」「コップ」と【形】により【名前】をつけただけで

そもそもは『粘土』なんですよね。

 

 

著書のシャンカラチャリアいわく

それらは粘土である、という事が真実で

皿やコップと「捉えている」ことは幻、なのです。

 

 

 

で、私の今までのイメージだと

その皿やコップという形をしたものも幻なんだ…?

と、思っていました。

というより、思おうとしていた🙄

 

 

私が目にしている物は全部が幻なのかなぁ…

という具合に😂


 

 

本当に、これだから学び続けるって大事だ🤣🙏🏽

 

 

なんとなく腑に落ちないまま、「うーん、そうなんだ、、ろうなぁ…」と

思っていたわけですからね😂💦

 

 

 

 

でも今回、ハッキリ理解できて

なるほど❗️と思いました。

 

 

コップやお皿の形をしている粘土たちは、存在するんだ、と。

だけれどもそれらが”本当に”コップやお皿なのか?というと

その捉え方は幻なんだよ、ってこと。

 



 

幻、幻想という言い方をすると、もやン…とするのかもしれないけど

真実は不変である、ということを軸にすると分かると思います。

ということは逆に、幻は変化するのです。

 

 

 

捉え方は変化します。

たとえ私が、自分の記憶を総動員して「これはお皿だ」と確信しても

もしかすると別の文明、文化の人からすると「これはコップだ」なのかもしれない。

 

定かではないし、人により変化してしまう。

それってやっぱり、真実に見えて、そうではないのですよね。

 

 

 

私がずっと好きだった藤本さきこさんが

いつもノートに自分の気持ちなんかを書くときに

事実と幻をちゃんと見分けることが大事だと伝えてくれていました😍

(過去形で書いたけど、今でも同じ事を伝えてくれていますよ)

 

 

まさにこれですよね❣️

 

 

 

人の捉え方、自分の捉え方は変わり続けます。

そのように見よう、と思えば、そう見えたりもします。

それはまるで事実のように経験することが出来るけど

真実は「それ」では、無いんだなぁ…。

 

 

そしてそのマーヤーを超え、全てがブラフマン、

もしくはシヴァ、神様、宇宙意識、大いなる力…

それら「だけ」なんだと本当に解った時

悟りに至った、と言うことなんだと思う。

 

 




いま、たった今、それを確信できるか?というと

そこには私も至っていません🙂


まだまだお稽古中の身です。


 

だけど、確信できないから違うってことではなく

「もしも本当はそうだったら?」という視点を持って

今自分の目を覆っているマーヤーを拭ってみることも

可能なんじゃないかなと思っています。

(ちなみにマーヤーは「覆い隠す」という意味も持っています)

 



今回の学びの中で、もう一つ目からうろこがポロリしたのですが

それはまた次の記事に書きますね❣️

 

 

 

 

ヨガ関連の記事をちょっとまとめましたので

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