あまりにも眠れないので、何か記事を執筆しようと思いスマホを手に取りました。


記念すべき初投稿は何をテーマにするか悩みましたが、このブログでは主に民法判例百選を読んで考えたことを投稿する予定であること、また、ご生前、民法学の大家でいらっしゃった故潮見佳男先生の判例評釈を最初の記事で取り上げたいということから、判例百選Ⅱ(第9版)1事件をテーマに記事を執筆することとしました。


最初の記事なので念のためことわっておきますが、著作権の都合上事実の概要や判旨、解説等についての詳細な内容の紹介はいたしません。内容を知りたい方はぜひ判例百選をご購入ください。



さて、早速本題に入りますが、判例百選Ⅱ(第9版)1事件は「種類債権の特定」がテーマとなっています。

種類債権は債権総論で最初の方に学ぶ基本的な概念ですが、「種類債権はこのようなもので、特定物債権はこのようなものだ」と軽く触れられるのみであった記憶があり、正直このテーマにはさして興味を惹かれませんでした。

しかし、不純な動機ではありますが、1事件の判例評釈は故潮見佳男先生が執筆なさっていて、僕自身潮見佳男先生が書かれた文章を読んだことがないということからぜひ読んでみたいと思い、1事件をまず最初に読みました。


一読した感想は、「難解だな」というものでした。というのも、事実の概要がやや複雑で、また解説2の読解に苦戦したためです(他の判例評釈もあたりましたが、解説2の部分についての詳細な解説はありませんでした...)。

正直「判例百選はここまで難解なものか」と思い、「自分にはとても読みこなせるものではないのではないか」と絶望しかけたのもまた事実ではあります(後に他の事件の判例評釈を読みその絶望から逃れられたわけですが)。


ですが、1事件自体も整理してみれば事案の概要も比較的単純なもので、また解説2についても完全に意味不明ということはなく、どうにか(判例の解釈を解釈するというのも変な話ではありますが)解釈することができたため、こうして記事に取り上げることができました。


さて、この記事で特に取り上げたいのは、先ほどから何度も登場している解説2についてです。というのも、解説2で解説されている部分の解釈に自信がないため、明らかに誤っていればコメント欄でご指摘いただきたいという目的があるためです。また、法解釈について、重要なことを学んだ(というより再確認した)というのも理由のひとつではあります。



解説2では、「そしてまた,『Yが言語上の提供をしたからと云って,物の給付を為すに必要な行為を完了したことにならない』との部分では,口頭の提供と,取立債務の性質を有する種類債権の特定とが別途の視点から評価されるべきものであるという点のみを,その理由として述べた。」という記述がみられます(本来であれば段落引用したかったのですが、2字下げで引用するとデバイス間で差が出そうだったので断念しました)(潮見)。


この部分はつまり何を述べているのか。この記述を解釈するうえではその後に続く、「これについては、両制度の規律目的の違いに照らして考えた場合には、特段の説明を要しないものと考えたのであろう。」という一文が参考になるかと思われます。


つまりこの部分では、

「「Yが言語上の・・・ことにはならない」との判示は、「口頭の提供と(取立債務の性質を有する)種類再建の特定とがそれぞれ趣旨の異なる別個の制度であって、両者が相入れることはない、ということを規範として述べたものである」 

 ということが述べられていると考えられます。


これをより詳細に突き詰めれば、まず口頭の提供とは、債務の履行に債権者の行為を要するときまたは債権者があらかじめ受領を拒んだときに、債務者を債務不履行責任から免れさせるための制度であり(民法493条但書き,同法492条)、他方、種類債権の特定とは、債務者が物の給付をするのに必要な行為を完了し、又は債権者の同意を得てその給付すべき物を指定したときは、このようにして特定の生じた目的物の保管について善管注意義務を負わせることを趣旨としている(同法401条2項,同法400条)もので、このように両者の制度趣旨は異なっており、そうである以上、口頭の提供という事実は債務不履行責任の免責という観点から、種類債権の特定を生じさせる事実は特定の生じた目的物の保管についての善管注意義務の発生という観点からそれぞれみられるべきであり、口頭の提供が右のような種類債権の特定の効果を生じさせる事実として評価されるべきではない、ということになろうかと思われます。


ここまでの議論をまとめれば、判旨の「Yが言語上の提供をしたからと云って、物の給付を為すに必要な行為を完了したことにはならない」という部分は、「口頭の提供と(取立債務の性質を有する)種類債権の特定はそれぞれ趣旨の異なる制度であるから、口頭の提供が物の給付を為すに必要な行為を完了したという事実としてみなされず、その結果として種類債権の特定という効果は生じない」と言い換えられうるのではないか、ということになります。


もっとも、百選1事件判決以後の種類債権の特定に関する債権法学説の展開からすれば、以上のような詳細な判例解釈にどの程度議論の実益があるのか、という批判は生じうるところでしょう。しかし、いわばその債権法学説の展開の前提として、「口頭の提供のみでは種類債権の特定は生じない」という判示があるのであり、そのような判例の根拠が正当性を有しているのか、という点は、改正民法における種類債権の特定の要件についての議論に加わろうとするうえでまず確認すべきことと思われます(その点で、債権法学説の発展を推し進めるようなものではない相対的実益しか有していないという点は否定できません)。

加えて、法解釈のうえではやはり制度趣旨を確認することは重要なのだ、ということを再確認させられるような議論であろうかと考えます(この点でもやはり議論に相対的な実益しか存在しないことは否定しません)。


本来であれば、ここからさらに改正民法における種類債権の特定の要件について議論を進めるべきかと思われますが、未だ学部生で民法学についてはほぼ素人同然である私には到底そのような議論する用意はありませんので、以上で百選1事件についての議論を終わりたいと思います(という、特に要件論について何も思いつかないことに対する言い訳です)。



初投稿の記事ということで、思いの外執筆し終わるまでに時間は取られましたが、法律学について思考することの楽しさを改めて感じられました。

上記内容はあくまで一介の法学部生としての議論に過ぎないので、内容の正確性は保証いたしかねます。全くもってとんちんかんな議論を展開している可能性も十分あり得ますが、その際はぜひ誤りをご指摘いただき、民法学についての議論をさらに深められれば幸いです。


それでは以上でこの記事を締めくくりたいと思います。ここまでお読みになってくださった方、ありがとうございました。ではまた。


〔参考文献〕

潮見佳男「判批」窪田充見=森田宏樹編『民法判例百選Ⅱ(第9版)』4頁, 4-5頁