今回は「男装の美学」という話をしてみる。

 

  H20年2月16日で5周年を迎えた成瀬美穂さんの周年作品が「男装の麗人」であった。初めて舞台を観た瞬間、あまりの格好良さに男の私が嫉妬を覚えるほど。黒のスーツに白いワイシャツ。黒い帽子を小粋にかぶりながら、ハードなロックを踊る。煙草を吸う姿なんかは映画のワンシーンを見ているほどで、ひとつひとつの動きに「男らしさ」が計算された表現になっている。

  まさに、宝塚の「男役」にピッタリと言いたい。美穂さん自身、「今の出し物 宝塚みたいとか言われるけど、私 宝塚を知ったのは高校二年生の時くらいだったと思います。もっと早く知ってたら目指してたかもしれません(笑)」と冗談ぽく言っているくらい。しかし、美穂さんだったら可能だったと思う。宝塚でなく、ストリップ劇場で美穂さんを観劇できる幸せを改めて感じる次第である。(笑)

  さて、宝塚には言うまでもなく「男役」と「娘役」がある。「男役」とは単なる「女性の男装」ではなく宝塚が90年以上にもわたって築き上げてきた「型」であり、外の世界では絶対にありえない。そのフィクションの「男」が示す美学が、現代の男性ではなかなかやりえない「男装の美学」なのである。

 

  ただ男性の私が言いたいこととして、時に「男性のもつ凛々しさ」が「女性のもつあでやかさ」を凌ぐこと。

  大学の卒業式のとき、これから社会に羽ばたいていこうとする同僚の姿がやけに眩しく輝いていた。その姿は、一緒に参列していた女性たちの華やかな着物姿を凌駕していた。そこには、これからの社会を担っていく男たちの頼もしさ、逞しさ、凛々しさが溢れていた。

  大学の入学時は野暮臭い男性たちよりも、数は少ないながらも可愛い女性たちの姿が目立ったものだが、卒業時には様変わりする。これが「男の美しさ」だと自負している。

  また、男性のフォーマルウェアは女性のものより値段が高いと私の女房もこぼしているくらいだから、男装というのは高級ファッションなのかもしれない。

 

そのためか、踊り子さんが演じる「男装の麗人」が似合い過ぎると、女装の時に美しさがかすむというパラドックスが生ずる。先ほどの成瀬美穂さんの出し物のテーマが「男と女」であり、男役の次に当然ながら娘役が登場するわけだが、どうしても男役の残像が残ってしまう。不思議な感覚である。

美穂さんの他にも、吉沢伊織さんや小池まりえさんなど、意欲的に「男装の麗人」を演じている踊り子さんが多い。彼女達も男役がはまり過ぎて、美穂さんと同じことが言えそう。

  その点、先日、酒井愛里さんの1周年作品を拝見したら、女性のドレスと男性のタキシードを交互に着こなし舞踏会を演じる出し物であったが、まだ「男装の麗人」というレベルに達していないがゆえに「娘役の美しさ」が映えていた。愛里さん自身、「娘役」の方がはまり役なのかもしれない。

  個人的には手塚治虫アニメ「リボンの騎士」のように、ふだん男の格好をしていた騎士がまばゆいばかりの美しい姫に変身していくというのが理想かな。つまり、男装が女性としての美しさを引き立たせるという。まぁ贅沢な話ですがね。(笑)

 

 

平成21年4月