「愛する」の可能形と活用形について | ボラとも先生のブログ

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このブログは日本語ボランティアを始めた人、やっている人が疑問に感じたこと(特に文法など)について説明するために作りました。

ボラQ201:「愛する」の可能形は何かと聞かれたので「愛せる」だと答えたら、「勉強する」の可能形は「勉強できる」なのに、「愛する」はどうして「愛できる」ではないのかと言われて困ってしまいました。よろしくお願いします。

 

ボラとも先生A201:「愛する」の活用については以前の記事(No.7やNo.90)でもナイ形(否定形)の例外として触れましたが、今回はなぜ「愛する」が例外になるのかについて少しく詳しく見てみたいと思います。

 

この問題については、『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』(松岡弘 監修、スリーエーネットワーク、2000)のコラ「相補分布」(p.279)に次のような説明があります引用は★から★★まで)。

 

★【相補分布】

 英語の動詞の活用を覚えるとき、なぜgoはgo-went-goneと過去形だけまったく違う形を使うのか考えたことはありませんか。これはgoとwendという2つの動詞の活用が混じりあってできたからだと言われています。このような一方の(活用)体系に他の(活用)体系の形式が混じり込んで体系を成している状態を相補分布と言います。

 

 日本語でも「愛する」などの語幹が漢字一字のサ変動詞は、一部、Ⅰ類(五段)動詞である「愛す」の活用形を使用しています。

 

・辞書形:愛する(Ⅲ類)/愛す(Ⅰ類)

・マス形:愛します愛します

・テ形:愛して愛して

・否定形:愛しない愛さない

・命令形:愛しろ愛せ

・バ形:愛すればせば

・意向形:愛しよう/愛そう

 

 「愛する」はサ変動詞の扱いがされますが、実際には否定形・命令形・意向形ではサ変(Ⅲ類)の形が用いられず、Ⅰ類の活用をする「愛す」の活用形が用いられています。一方で、辞書形とバ形ではⅠ類とⅢ類の両方の活用形が用いられますが、Ⅰ類の「愛す」と「愛せば」はやや古風な感じがします。このように、二つの形式のどちらも使われる箇所があるので英語のgoの活用とはやや違いますが、現代語としての「愛する」は基本的にゴシック体で示した相補分布的な活用体系を持つと考えることができます。★★

 

この説明で「愛す」と「愛せば」はやや古風な感じがすると書かれていますが、それは「する」の古語が「す」であり、「する」はその「す」の連体形「する」が終止形(辞書形)としても使われるようになったという歴史があるからだと思われます。

 

ちなみに、『初級日本語 げんきⅡ』の読み書き編第14課には「彼を愛しています」という表現が出てきますが、単語のリスト(p.285)には「愛する」ではなく、「愛す」が挙げられていて、u-verb(グループ1、五段活用)として扱われています。

 

『げんき』という教科書は日常生活でよく使われる実用的な表現を優先して取り上げているという印象があっただけに、この「愛す」の取り扱いには少し驚きました。少なくとも現在(2018年)の日本では「愛す」という語形はほとんど使われないからです。

 

1960年代に「誰よりも君を愛す」というタイトルの映画や歌謡曲がありましたが、このタイトルには明治や大正ロマン的な古めかしさを感じたことを覚えています。

 

また、「愛する」以外の漢字1字のサ変動詞については以下のサイト(YAHOO!知恵袋)でベストアンサーに選ばれた回答に興味深い説明がありました。

 

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12110887077

 

その内容をまとめると次のようになります。

 

まず、漢字1字+「する」のサ変動詞は“サ行五段活用化”の過程にあり、その移行速度は漢字の発音(音読み)によって違いがあると説明します。

 

ここで“サ行五段活用化”というのは、「~する」が「~す」という終止形(辞書形)に変わり、その他の活用形も(「貸す」と同じように)「~さない」>「~します」>「~して」>「~す」>「~す」>「~せ」>「~せば」>「~そう」のように活用することを意味しています。

 

漢字の発音(音読み)は、私の以前の記事No.23(音読みと訓読みの見分け方について)で紹介したように、必ず仮名1文字か2文字であり(ただし「キャ」などの拗音は1文字扱い)、仮名2文字の場合は2文字目が必ず「-イ」「-ウ」「-キ」「-ク」「-チ」「-ツ」「-ン」になりますが、上記の説明では次の順序で“五段活用化”の移行が進んでいると説明しています。

 

ただし、以下の②の「-〇する」は「課(カ)する」のように漢字の音読みが仮名1文字の場合です。

 

クす」→「-クす」…(例)「属する」「託する」「博する」「浴する」(ほぼ完了)

「-〇する」→「-〇す」…(例)「課する」「付する」「比する」「利する」

③「-イする」/「-イす」…(例)「愛する」「介する」「対する」「配する」

④「ウする」/「-ウす」…(例)「有する」「要する」「奏する」「弄する」

⑤「-ンする」…(例)「反する」「関する」「宣する」「扮する」(漢語らしさが感じられる)

ッする」…(例)「逸する」「決する」「察する」「律する」(最も漢語らしい)

「-キする」…(例)「適する」「益する」(数は多くないが、五段化の移行は②と③の間)

 

最後に注釈として、⑤に属する「感ずる」「信ずる」「応ずる」「通ずる」などは、話し言葉としては例外なく全面的に「感じる」「信じる」「応じる」「通じる」に移行したと説明されています。

 

この説明を読むと、この筆者は「漢語+する」という“混種語”が“和語”という語種に移行する現象だと考えているらしいと推測できますが、実際はそれほど単純なものではありません。

 

この問題は、上で述べたように、歴史的に見れば「愛す」が「愛する」に変化したのであって、その逆ではないからです。つまり、「愛する」が「愛す」に移行する過程にあるという説明は、そうした事実とは矛盾することになるわけです。

 

むしろ、最初に引用した「相補分布」の説明のように、現在は「愛する」と「愛す」が共存していて、辞書形(終止形)の「愛する」は会話などで使われる普通の表現であるのに対して、「愛す」は古めかしさや格調の高さを表す文体として残っているというのが現状だと考えるほうが妥当だと思われます。

 

また、①~⑦の分類をよく見ると、①と②は「→」で「-クする」から「-クす」への移行が示されていますが、③と④は「→」ではなく「/」になっていることから「移行」ではなく「共存」を示しているようですし、⑤と⑥には「→」も「/」もついていません。つまり、①と②以外の動詞は“サ行五段活用化”の移行過程にあるかどうかはわからないことになります。

 

その上、①は移行が「ほぼ完了」としていますが、①に属する「得(トク)する」に対する「得す」は(辞書には載っていましたが)少なくとも私には違和感がありますし、その可能形も「得せる」ではなく、「得できる」ではないでしょうか。「楽する」も似たような例ですし、同様な例は(人によって違いはあるかもしれませんが)かなりあると思います。

 

また、この説明では「欲(ほっ)する」は「ほりす」という和語から作られてはいるけれど、⑦と同じ発音パターンのために「欲さない」や「欲すこと」と言わないと書かれていますが、この点も疑問が残ります。

 

以前の記事(No.122:「私に恋したお坊さん」について)では「恋する」の否定形「恋しない」や「恋さない」はあまり使わないと書きましたが、「恋す人」などの連体形も「恋す」とは言いません。「恋する」も③と同じパターンだから言わないのでしょうか。

 

ほかにも「和語+する」の例とし「心(こころ)する」や「値(あたい)する」、「位(くらい)する」などがありますが、やはり、「心(こころ)さない」や「値(あたい)さない」、「位(くらい)さない」などとは言いません。こうした動詞は「する」がサ変動詞と意識されているからであって、①~⑦のパターンとは関係ないと思われます。

 

漢字1字+「する」のサ変動詞の語形変化が普通の動詞といちばん違っているのは、辞書形(終止形)が「~する」と「~す」という2つの語形があって、辞書形以外の語形変化(活用形や可能動詞など)が「~す」という語形から派生しているという点です。

 

たとえば、最初の「相補分布」の説明では、バ形を「愛せば」よりも「愛すれば」優先していますが、私の感覚では「愛すれば」は「愛す」と同じように古めかしさや格調の高さを伴っていると感じますから、この場合は「愛せば」のほうがしっくりきます。

 

最後に、「語種」の一種である「混種語」について、『新版 日本語教育事典』(日本語教育学会編、大修館書店、2005)の「混種語」(p.261-3)に次のような記述があります(引用▶▶から◀◀まで)。

 

▶▶ なお、「信じる」「力む」「サボる」のように漢語や外来語が和語の活用語尾と結合したものも、混種語に含めて考えるのが普通である。ただし「心配する」「スタートする」などの複合サ変動詞については、これを混種語とするかどうかについては意見が分かれる。

 最近では、「どた(んばで)キャン(セル)」「デパ(ート)地下(売り場)めぐり」のように、長くなりがちな混種語では、略語化が非常に盛んである。略語の側面から多様な混種語の実態を捉えておくことは、日本語教育にとっても重要な課題である。◀◀

 

ここで「心配する」「スタートする」などの「複合サ変動詞」が混種語かどうか意見が分かれるのは、複合サ変動詞は「心配をする」「スタートをする」のように2語の複合語と考えることができるからだと思われますが、「信じる」や「愛する」などはそれ自体が独立した単語であり、「信」や「愛」という名詞とは別の表現だと考える必要があります。

 

つまり、混種語としての「漢字1字+する」のサ変動詞は、古めかしさや格調の高さなどの語感を伴う「漢字1字+す」と共存しつつ、和語の動詞の語形の影響を受けながら、使用頻度や使用分野などによって定着していくと考えられるため、現時点では個々の動詞ごとに覚えていくしかないようです。