「~ている」と「~てある」と「~ておく」について | ボラとも先生のブログ

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このブログは日本語ボランティアを始めた人、やっている人が疑問に感じたこと(特に文法など)について説明するために作りました。

ボラQ189韓国人の主婦から①A)と①B)の文について質問されました。韓国語で書かれた日本語の文法の本に出ていたそうですが、この2つの文の意味の違いがあまりわからないそうです。また、「お金」は“生き物”ではないのになぜ①A)で「います」になっているのか、そして、①B)の「入れる」は他動詞なのになぜ「お金」ではなく「お金」なのかということも聞かれました。よろしくお願いします。

 

①A)「財布の中にお金が入(はい)っています。」

①B)「財布の中にお金が入(い)れてあります。」

 

ボラとも先生A189:この問題は以前の記事(No.36:「犬は犬小屋に入っています。」の意味について)とNo109(「~ている」と英語の現在完了形について)で触れたことがあります。No.36では「~ている」の表す意味を『みんなの日本語 初級Ⅰ 第2版』の提出順に沿って説明したのですが、今回は『げんき』と『げんきⅡ』(第2版)の解説に沿って説明してみたいと思います。

 

まず最初に、「お金」は生き物ではなく、動かない“物”なのに、ぜ「いる」を使うのか、という理由から考えてみます。

 

「~ている」という表現は「動詞のテ形」と「いる」を組み合わせた表現で、全体で一つの文法的な働きをする“文型”として特別な意味を表しています。つまり、主語の“存在”を表す「居る(いる)」とは働きが違いますから、動かない“無生物”の主語にも使えるのです。

 

たとえば、英語の②A)②B)“is going to”という表現には go という動詞が含まれていますが、②A)のgoは「行く」という意味で使われているのに対して、②B)のgoはそうではありません

 

②A)He is going to school tomorrow.(彼は明日、学校に行きます。)

B)It is going to rain tomorrow.(明日、雨が降ります。

 

もちろん、rain(雨)というものは無生物ですからgo(行く)という動作はできませんが、②B)の文の“is going to”は「行く」という意味ではなく、未来を表すwillという“助動詞”と同じ働きをしているため、②B)の文は問題ないのです。

 

それと同じように「~ている」の「いる」は“助動詞”として使われていると考えられます。このように、決まった表現が特別な意味を表すようになって文法的な(助詞や助動詞の)働きをするようになることがあります。

 

こうした現象を「文法化」と言いますが、文法化の特徴として「縮約形」(contracted form)がよく見られます。たとえば、“going to”はgonna”になることがありますが、「~ている」や「~ておく」にも「~てる」や「~とく」という縮約形があります。

 

「~てる」や「~とく」に文法化が起きていることは、「~して(そこに)いる」や「~して(そこに)おく」という本来の意味とは表す内容が違っていることからわかります。

 

ただし、「~てある」の場合は、縮約形にすると「~たる」という形になってしまい、これが「~てやる」の縮約形と似ているために、縮約形にせずにそのまま使われるということもありますので、文法化が起きれば必ず縮約形になるとは限りません。

 

無生物に「いる」が使えることについては『げんきⅠ』第7課の脚注1に次のような説明がありますが、ここでも「いる」は助動詞だからとして説明しています。

 

脚注1)第4課で学んだ「いる」と「ある」の違いは、助動詞の「~ている」には適用されません。「~ている」は生き物にも無生物にも使うことができます。

 

さて、「~ている」と「~てある」の意味の違いについては、『げんきⅡ』第21課の「~てある」の文法解説(p.214-215)に次のような例文と説明があります(***と***の間)

 

***

動詞のテ形に助動詞の「ある」が付くと、文中には出てこない誰かによってon purpose(意図的に)実現された状況を表すことができます。

 

「~てあります」という表現は、もし誰か(話し手のこともある)が以前に何かの目的で行った行為、つまり、第15課で学んだ「~ておきました」という表現によって述べられた「準備のために何かをする」行為の結果がその時点でまだ観察できる場合に使います。ただし、「~てあります」は現在の状態を表しているので、現在形で使います。

 

③A)「レストランの予約がしてあります。」「レストランの予約をしておきました」の結果

③B)「パンが買ってあります。」←「パンを買っておきました」の結果

 

上記の例文(③)を見るとわかるように、「~てある」の文では、普通は「を」を付ける名詞に「が」(または「は」)を付けます。「~てある」はほとんど他動詞と一緒にしか使われません。

 

現在の状態を表す「~ている」を使った文④A)を「~てある」を使った文④B)と比較しておきます。

 

A)窓が閉めてあります。(閉める=他動詞)

B)窓が閉まっています。(閉まる=自動詞)

 

この2つの文は、「窓が閉まっている」という同じ状態を表しています。しかし、連想するものが違っています。「他動詞+てある」の文は、現在の状態が人の行為による結果であって、誰かが窓を閉めて、それをそのままの状態にしているという意味です。しかし、「自動詞+ている」はそうした人間の介入というはっきりとした含意はありません。窓は閉まっていますが、それが誰かが閉めた結果なのかどうかはわかりません。(赤字は筆者による)

***

 

この説明をの文(以下に再掲)に当てはめて考えてみると、財布の中にお金がある(または見える)という状態を表しているという点では同じ意味ですが、①A)は見えた状態をそのまま言葉にしているだけなのに対して、①B)の文は誰かがそのお金を何かのために(準備として)入れておいた結果だということを知っていて(またはそう判断して)暗に(言外に)言っていることになります。

 

①A)「財布の中にお金が入(はい)っています。」

①B)「財布の中にお金が入(い)れてあります。」

 

つまり、①B)の文を言うためには、「誰かがそのお金を何かのために(準備として)入れておいた」ことを知っているかそう判断するという前提が必要です。ただし、「入れた」のが誰かまでは言っていません。話し手自身かもしれませんし、そのほかの誰かかもしれませんが、それについては何も言っていません。

 

たとえば、机の上にお金が入っている財布を見たときに、①A)とも①B)とも言うことができますが、①B)と言った場合は、誰かが(話し手の可能性も高い)財布の持ち主のために何かの目的のために財布の中にお金を入れたことを知っているか判断しているので、「必要だったらそのお金を使うこともできる」ということを暗示していることになります。

 

さて最後に、①B)の文では「入れる」という他動詞が使われているのになぜ「お金」ではなく、「お金」になっているのかという問題について考えてみたいと思います。

 

『げんきⅡ』の解説では、普通は「を」を付ける名詞(つまり目的語)に「が」(または「は」)を付けるとしか書いてありませんが、実は「を」を付ける場合もかなりあって、「が」を付けた場合とは意味が微妙に違っています。

 

たとえば、『日本語の類意表現』(森田良行、創拓社、1992)には、⑤A)が正しくて⑤B)は誤用あるという朝日新聞の記事(1970年8月21日朝刊「暮らしとことば」欄)を紹介しています(p.134-135)。

 

⑤A)店先に本並べてある。

B)店先に本並べてある。

 

これについて『日本語の類意表現』では、「暮らしとことば」欄の筆者の見解は間違いで、⑤A)⑤B)も自然な日本語であり、⑤A)はお客の立場から見た発想であるのに対して、⑤B)は本を並べた店員の立場から見た発想の違いだとしています。つまり、話し手自身の行為(目的意識)が強調されると「を」を使った⑤B)になり、そうでなければ「が」を使った⑤A)になるという説明ですが、私もこの意見に賛成です