「これ、あげますか?」について | ボラとも先生のブログ

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このブログは日本語ボランティアを始めた人、やっている人が疑問に感じたこと(特に文法など)について説明するために作りました。

ボラQ131:韓国人の学習者が小さなかわいい形の消しゴムを見せてくれて「これ、あげますか?」と言うので、誰にあげるのか聞くと、どうも私にくれるという意味だったようです。相手に「あげる」と言うのは失礼だと説明したら、「じゃ、これ、差し上げますか?」と言われてしまいました。どう教えてあげればよかったのでしょうか。

ボラとも先生A131:まず、「これ、あげますか?」という表現ですが、この学習者の方は韓国語の줄까요?を日本語に訳したのだと思われますが、英語話者の場合は I’ll give this to you.を訳して「これ、あげます。」と言う可能性があります。つまり、韓国語話者では疑問文の「…ますか?」になり、英語話者では肯定文の「…ます。」になるという図式が考えられます。

まず、「これ、あげますか?」という質問は、自分自身の行動を相手に尋ねるのは考えにくい状況なので、日本人ならこう聞かれたら普通は自分が誰かほかの人に与えるかどうかを聞かれていると考えてしまうことになります。

もちろん、相手のために何かをしてあげるようとするときは自分自身の行動を相手に尋ねる疑問文を使うことになりますが、そういう場合は「…ますか?」という疑問文ではなく、提案・申し出を表す「…ましょうか?」という疑問文を使います。これについては以前の記事(No.51)もご参照ください。

つまり、韓国人の学習者の方は「これ、あげましょうか?」を間違えて「これ、あげますか?」と言ったことになりますが、それでは、英語式に「これ、あげます。」というのはどうでしょうか。確かに意味としては問題なく理解できますが、日本語の表現としては少し失礼な感じがします。

この問題はそれほど簡単ではなく、「これ、あげましょうか?」と言っても「これ、あげます。」と言っても、さらに「これ、差し上げます。」と言っても、相手との人間関係や状況によっては不適切な言語行為になってしまうことが多いようです。

いちばん大きな問題は、日本人は物のやりもらい(授受)について非常に敏感であることを多くの学習者が認識していないことです。お中元やお歳暮のような社会習慣としての物のやりもらいの影響もあると思いますが、日本人にとって物のやりもらいが気持ちの負担を伴うことが多いのです。

なぜ気持ちの負担を感じるのかという理由については日本人の「恩」や「恥」や「義理」などの考え方と関係があるかもしれません。興味のある方はルース・ベネディクト著『菊と刀』などを読んでみてください。

つまり、実際の場面では「やる」、「あげる」、「さしあげる」などの直接やりもらいを表す表現は避け、「これ、かわいいでしょう。使ってください。」など、別の表現を使ったほうが心理的な負担が少なくなり、適切な表現として感じられるということが重要になってくるわけです。

または、「~さんにあげようと思って買ってきました。」のようにやりもらいを表す表現を「目的節」として使った場合には失礼さや不適切さの度合いは少なくなりますが、やはり目的節を省いて「~さんに買ってきました。」として「どうぞ。」を付け加えたほうが適切さは増すようです。

以前の記事(No.48~50)でやりもらいの表現について言語的・理論的な説明をしましたが、日本語が上手になればなるほど学習者がとまどうのがこうした実際の場面でのやりもらいです。特にアジア圏の人は日本人と似ている文化を持っているので見えないカルチャーショックに驚くこともあるようです。

たとえば、韓国には「おごる」という日本と同じ習慣がありますが、最近の日本ではこの習慣もグループ(社会的集団)の違いによってかなり変化してきていて、主婦層の間では1円の貸し借りも嫌うという話を聞いた韓国の人が日本人はなんとケチで細かい人間なのかと驚いたという話もあります。

最後になりましたが、ボラQ131さんの質問と同じような話題が水谷修/水谷信子著「外国人の質問に答える日本語ノート2」(Japan Times)の第168話に出ていたので以下に引用しておきます。

≪先週京都へ行った時、Mr. Lernerは一包みの緑茶を買った。お茶の味にやかましい社長のMr. Moriに贈りたいと思ったのである。社長に手渡しながら、「コレ、ツマラナイモノデスガ、アゲマス」と言った。

Mr. Moriはお礼を言ったが、Mr. Lernerはどうも日本語がまずかったらしいと感じたので、「コレ、サシアゲマス」と言い直した。「さしあげる」のほうが「あげる」より謙譲の印象をもうと習っていたからである。しかしMr. Moriの顔つきから見ると、この表現も極めて適切とは言えなかったらしい……。

辞書を見ると英語の“give”に当たる言葉として「やる、あげる、さしあげる」などがあげてある。文法書には、この3語のうちで「さしあげる」が最も丁寧で、目上の人に物を贈る時に用いられると書いてある。しかし、実際に社会的な場面で物を贈る時には、「さしあげる」が必ずしも最も適切な表現であるとは限らない。

社会的な場面では、“give”に直接対応する言葉を使うのは必ずしも適切ではない。物を買う時にも「買う」という語が普通用いられないのと同じである。客は「それ、下さい」とか「それ、もらいましょう」とは言うが、「それ、買います」とは普通言わない。

贈り物を渡す時の丁寧な表現としては、全く別の形を用いて、「よろしかったら召し上がって下さい」、「よろしかったらお使い下さい」、「どうぞお納めください」などと言う。

あるいは、非礼を詫びるような形をとって、「つまらないものですが……」、「ほんの一口ですが……」のような言い方をする。このような「詫び」に似た表現のあとには「どうぞ」とか「どうぞ召し上がって下さい」などが、よく省かれる。省かないで言うとしても、声を弱めて言うのが普通である。≫

この本は4巻まであって、英字新聞The Japan Timesの日曜版のコラムとして1983年~1988年に連載された英語の記事を日本語に翻訳したものですが、現在は絶版になっているようなので図書館などで探して読んでみて下さい。面白い話題が満載の本です。