☢「唯一の被爆国だから核断固反対」?――斉藤代表発言に見る思考停止の危険
2025年8月、広島・長崎への原爆投下から被爆80年を迎え、各地で平和式典が行われました。
その直後、公明党・斉藤鉄夫代表は記者懇談会で次のように発言しました。
「日本は唯一の戦争被爆国として、核の使用、威嚇、共有、ましてや保有には断固反対する」
一見、平和的で道徳的な発言に聞こえます。
しかし私は、この言葉に大きな矛盾と危うさを感じます。
💣 落としたのは誰か?持っているのは誰か?
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広島と長崎に原爆を落としたのはアメリカ
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そのアメリカは今も数千発の核兵器を保有
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しかも日本は、その“核の傘”の下で守られているとされている
にもかかわらず、
「核共有も議論もダメ。日本は一切関わるな」
というのは、加害者の核はOK、被害者の議論はNGという極めて倒錯した構造です。
🛡 被爆国だから、持ってはいけない?
いいえ。
被爆国だからこそ、核の本質を最も理解している国なのです。
だからこそ、再び国民が核の脅威に晒されないように、
**“使わせないための抑止力=核抑止”**について議論する責任がある。
それを「道徳」で封じるのは、無防備という名の思考停止です。
💰 核を持つことで不要になるもの
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米軍への“思いやり予算” 約8,000億円
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広範囲な在日米軍基地の維持
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巨額の通常兵力の整備・維持費用
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アメリカの核に“守ってもらう”という幻想
本当の独立国家としての自衛力を持てば、これらを見直す道が開けます。
🧠 なぜ「議論すらしてはいけない国」になったのか?
戦後ずっと日本では、「核兵器」という言葉を出すだけでレッテルを貼られる空気がありました。
でもそれが本当に「平和的」なのでしょうか?
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現実を見ようとしない
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他国の核には沈黙する
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自衛の議論は封殺する
これはもはや「平和国家」ではなく、“幻想国家”ではないでしょうか。
✅ 唯一の被爆国だからこそ、現実の抑止力を議論すべき
「核を持たない」ことは理想です。
でも、「何があっても守れない国」のままでいいとは思いません。
唯一の被爆国だからこそ、二度と被爆を繰り返さないために、冷静に選択肢を検討する責任がある。
それが“本当の意味での平和国家”だと私は思います。
✍️ 共感・異論、どちらも歓迎します。
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議論を封じることこそが、最大の危機なのです。
