☢「核兵器は安上がり」発言は本当に危険なのか?―― 封じられる議論の本質
先日、参政党のさや議員が選挙中に放った一言が物議を醸しました。
「核兵器は安上がり」
この発言に対し、ネット上では「危険だ」「極右だ」「被爆国の発言とは思えない」といった批判が相次ぎました。
でも、ちょっと待ってください。
この言葉、本当に「危険思想」なのでしょうか?
🎯 問題は“言葉”ではなく、“背景”を語らせないこと
日本は「唯一の被爆国」として、核に対する拒否反応が強い国です。
それゆえ、「核」という言葉が出た瞬間に思考停止に陥りがちです。
でも、今回の発言は単なる暴言ではなく、安全保障コストの議論の中で出てきた言葉です。
重要なのは、なぜ“安上がり”とされるのか、その意味を正しく理解することです。
💰 なぜ「核兵器は安上がり」なのか?
✅ 1. 通常兵力の大規模維持が不要になる
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核抑止があれば、膨大な陸海空軍を持たなくても攻められにくくなる
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実際、北朝鮮は経済崩壊状態でも核を持っているから誰も攻めない
つまり、「数ではなく、質=核による抑止」で国を守る」という論理です。
✅ 2. アメリカ依存からの脱却でコスト削減
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日本は現在、**年間約8,000億円もの“思いやり予算”**で米軍を支えています
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米軍基地がなくても自国防衛が成立すれば、そのコストは不要になる可能性もある
つまり、「米軍に守ってもらうためのコスト」が核によって不要になるという考え方。
✅ 3. 抑止力としての“費用対効果”が極めて高い
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核兵器は「使うための兵器」ではなく、「使わせないための兵器」
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たった数十発の核が、数万人規模の軍隊を抑止する力を持つ
戦争の“発生確率”そのものを下げるという意味で、最も安価な保険とも言えるのです。
🛑 それでも封じられる日本の「核」議論
「唯一の被爆国だから」という理由で、日本では核の議論自体がタブーとされてきました。
しかし、その裏で――
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米国の“核の傘”に依存
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政府は“密約”で核持ち込みを容認
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でも国民には「非核三原則」で思考を止めさせる
こんな“二枚舌の安全保障”が長年続けられてきました。
🧭 核兵器を持てという話ではない。考えるべきは「選択肢」の有無
今回の発言の本質は、「核兵器を持て」という主張ではなく、
「国防を考えるうえで、あらゆる選択肢を冷静に比較すべきではないか?」
という問いです。
本当に守るべきは、「非核の理想」か、「現実の命」か。
これを感情論ではなく、戦略的に議論できる社会かどうかが問われています。
✍️ 最後に
核兵器が安上がりかどうか、という問いは、「何に代えて何を得るか」のコスト計算です。
それを話すことすら封じられる社会に、果たして未来を守る力があるのでしょうか?
感情ではなく、論理で。
拒絶ではなく、対話で。
それが「平和国家・日本」の本当の成熟ではないでしょうか。
