9月になった。そやけどほんまに暑い、記録的猛暑の夏…まだしばらくこの「残酷暑」は続くらしい。
僕が最初に社会人になった頃の90年代初頭の大阪本町は、確かに暑かったがこんなひどい事はなかった。
盛夏でも長袖シャツにネクタイ、上着を着て仕事に走り廻っとった。
まだ大阪経済が盤石やった頃。五十日(ごとび)ともなれば、本町と堺筋を車で行くだけでも40~50分かかった。歩いたら10分かからんのに凄まじい渋滞やった。結局チャリが一番早かったが、今と違って歩道は人で溢れかえってて、活気のあった最後の頃やった。
当時は「なんでこない混むんや」と思っとったが、今はその面影もないこの街を通る度に、大阪万博の頃に一日の商いが当時の金額で軽く40億を超えとったと云われる丼池(どぶいけ)の静けさは辛いモノがある…
政権変わって一年。イギリスと同じく長期低迷に入ってこのまんま進んでいきそうな気配の我が祖国。
「国民の生活が第一」とはよう言うたもんやと、テレビでは戯言の討論を中継してはる…
この気狂い暑さと将来に対する不安がどんどん膨れ上がる中、みんなはどない思って生きてはるんやと、つい考えてしまう。そら自分の事も考えなアカンのやが、今まで色んな事やってきて、これからも何とか食べて行ける自信はちょっとはあるからそんなにクヨクヨはしてへんが、周りのツレらが鬱になったりしてるんを見てると、何とかしたいと相談に乗ってばかりの今日この頃…
テレビ見とったら、最近HMV渋谷が閉店とニュースでやっとった。
タワーレコードが倒産し、日本では看板だけ残った。HMVが唯一の世界的大手のストアになってしまったが、日本でも一番ええロケーションの筈の渋谷から撤退…この事実が全てを物語っとると思う。
中高と仲良かったツレが、以前このチェーンストアのエリアマネージメントを任されとった。
元々は、アメリカ村にあった黄色いレコードチェーンにおったが、ヘッドハントでこのピンクの店に移籍しおった。
大阪では、新店オープンの度に立ち上げであっちこっち行っとった。
そうこうしてるうちに、首都圏のエリアマネージャーになりおって、当時仕事でよく東京に行っとった僕は、時間があればよく飲み明かした。
二人とも音楽と絵が好きで(どっちも描くんは得意やった)、趣味がよう合っとったから、飲むとそんな話ばっかししとった。
ある時、そのツレが飲みながら珍しく真面目な顔しおって、音楽業界の話を始めおった。
その当時でも、全世界でのCD売り上げは、2割以上落ち込んどったらしい。アマゾン、更には身内の筈の自社サイトさえも、店舗からするとコンペチターとなっとる現状。
「○○よ~、本来やったらうちの店に来てくれはるお客さんは、聞きたい音楽は探せば絶対見つかると期待してはった筈なんや。そやけど本部のチェーンストアオペレーションはそんなん認めおれへん。売れるモンばっかし固めて置いとけ、売れんモンは置くなと平気で言いよる。ほんまはそれを求めて来てくれはった大事なお客さんらは来んようになってしもうた。そんなお客さんは、みんな渋谷のシスコミュージックに行ってもうて帰って来てくれへん…」とさびしそうに言うとった。
その後、僕も東京に行かんようになって暫く経った頃、そのツレから電話があった。
店舗の売上低迷の責任とかで、一斉にレイオフが始まったらしく、どないしようかと相談の電話やった。
当時、ある筋から大阪の青少年会館の再建を振られとって、この宝の持ち腐れの大阪の「負」の遺産を、お前の力で再生さしてみいひんかと、飲みながら話したら「考えとく」と言ったきり、暫く連絡もなかった。
その後、そのツレは結局退社しおった。青少年会館も取り壊されて更地になった。
僕らが中高生の頃は、それこそ洋楽全盛やった。ミナミやキタに遊びに行く時の待ち合わせ場所は、とりあえずレコード屋やった。買う金もそない満足に持ってへんかったけど、LPジャケットみながら時間潰すのは楽しかった。
金持ちのレコードようさん持ってるツレの家で、LPをカセットにダビングさせてもろて、そのテープを擦り切れる位聞いとった。今思えば無駄に時間を浪費しとるようやけど、それでもほんまに楽しい時間やった。
今は音楽は昔とは全く違うモノに変貌した。
そのツレがその当時言うとった。
「○○よ、なんでタワーが倒れたか教えたろ。タワーの株主が引いたんや。理由は「これからはデジタルの時代になる、こんなソフトは必要ない時代になる」からや…」
あれからかなりの年月が経った。ツレのその時言うた言葉通りの時代にいよいよなってきたんかと思うと、なんとなく寂しい…