夢であり幻のパルコだ。 | 石川淳志のブログ
2013年02月17日(日) 23時58分19秒

夢であり幻のパルコだ。

テーマ:演芸など

 毎年一月になり立川流の噺家さんたちのブログを読んでいると、

 「志の輔師匠のパルコ公演に勉強に行く……」

 などと書かれているのを目にする。そんな時たまらなくうらやましくなる。


 今年も当然のように立川志の輔師のパルコ公演を逃した。

 発売と同時にチケットは全日売り切れで、わずかに残すは当日のキャンセル待ちだけだとは。ネットを見ればでは六万円の高値で取引されるプラチナチケットだったらしいではないか。もはや一月にパルコで志の輔落語を聴くのは特権階級だけなのだ。

 昨年と今年の志の輔師のパルコはことさらに行きたかった。家元亡き後の今後の志の輔落語の意志表明として重要な高座だろうと思っていたからだ。志の輔師は戦略的な噺家だから、演目の選定、ネタの構成を吟味すれば明確なメッセージが読み取れるはずなのだ。

 おれも高座の袖で「勉強」したい。芸人じゃなくても古典落語の彫琢の方法論、演出演技など志の輔落語は本当に勉強になるんだよ。

 

 立川志の輔。

 落語の歴史に名を残す噺家の一人だ。

 「立川流の最高傑作」だから名を残すのではない。三百年を越える落語の歴史の中で、落語という話芸をショービジネスに塗り上げてしまった噺家だからである。自分の意志で、おそらくはタスクフォースやブレーンはいるだろうがおそらくはたった独りで。

 話芸なのに「ショー」だ。「歓喜の歌」ではネタの直後うしろ幕が開いてママさんコーラスが揃って第九を歌ったらしい。

 視覚表現を加味した「ショー」をひと月からひと月半満席にする「ビジネス」として成功させている。

 

 しかし恐れる必要はない。落語に限らず映画、小説すべての表現は革新と古典回帰を振り子のように行き来するのだ。ショービジネスとは真逆の古典的な話芸としての落語家がいつか光を放つだろう。家元だって業の肯定、イリュージョンが真逆の江戸の風発言にまで降れていたではないか。

 いっそ誰かが話芸としてニューヨークのブロードウェイに殴り込みをしたっていいだろう。一席は高座を仕立てて古典落語を字幕で、もう一つはスタンダップコミックで「文七元結」なんか左官の長兵衛をブロンクスの労働者に設定を変えトークすればニューヨーカーは喝采を浴びせるだろう。なにしろチャップリンが活躍したお国がらだからね、このくらいのクサい人情噺は受け入れる土壌がある。

 実現にいたるまでのスタッフワーク、費用などどれほどのプロジェクトになるのか。勝手に書いているが、真剣に誰かが先鞭をつけなくてはいけない。「江戸の郷土芸能」と家元が云った落語が世界に通用する芸能だということをそろそろ誰かが証明しないといけない。

 と考えていたら、アメリカのイェール大学とかの卒業で英語がペラペラの噺家がいたことを思い出した、立川志の春さん。うひ~、志の輔一門ではないか。


石川淳志さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

コメント

[コメントする]

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス