自分を幸せにしなければ 人を幸せにできない

そのことを理解した時 私は過去の自分を猛烈に反省した

私さえ我慢すれば と思っていたことが

過去にはたくさん あったから

 

でも もっと自分を大切にしようと思い始めてから

時々 戸惑うことがあった

 

自分が何か計画していて

その時に 何かを頼まれたとき

自分を犠牲にしてはいけない と自分に言い聞かせて

頼まれたことを断った

 

ところが そうやって いざやってみると

何だか あまり楽しくない💦

それよりも 断ってしまった相手の笑顔が見られなかったことの方が

ずっと 私の心に引っかかっていて 重く沈んでいった

 

 

私はやっぱり 役に立つことの方が好き

ただ これまでは 自分を殺していたから いけなかったのだ

もしも 自分より相手のことをする方が楽しいのなら

楽しい方を選べばよかったのに

そんなことまでも してはいけないと思い込んでいた

私によく起こる 融通の利かない思考💦

 

 

四人兄妹の末っ子に生まれた私は

いつも 何かしら してもらうことの方が多かった

もちろん自分のことは 自分でするよう

厳しく躾けられたけど

家の中の 責任ある仕事は あまり任せてもらえない

もし任せられても ちっとも上手にできない

巧くできそうだった時も 遅くて間に合わなかった…

 

そんなことが続くと とても悲しかった

私はどうしたら 人の役に立てるのだろう

 

自分は何してもうまくできない という思いがずっと続いていて

たまに 自分の役割をちゃんと果たせたり

人の役に立てたりすると 飛び上がるほど嬉しかった

何より 相手の笑顔を見ることが たまらない喜びだった

 

もちろん 間違ったこともたくさんやってきた

自分が嬉しいからでなく 周りの目が気になったり

自分さえ我慢すれば 平和に事が進むからと

自分を少しも大切にせずにいた

 

それでは 自分は幸せな気分になれない

そんな 幸せを感じられない人が 人を笑顔にすることはできない

ようやく分かってきたのだけれど

単細胞の私は そこでまたも 判断ミスをしていたのだ

 

生来 怠け者の私 ゆるむと際限なく だらしなくなる

学生の頃から 好きな勉強はするけれど

興味のない科目はしたくない

いい成績をとろうという努力は 面倒

家庭に入っても 本を読んでいたら 家事をしたくなくなる

編み物を始めたら 食事なんかしなくてもいいと思ってしまう

 

ところが

子供ができて 勉強で分からないことを 訊かれると

教えてあげたい一心で 教科書を読みなおし 問題を解く

そこで初めて「えっ この科目こんなに面白かったの」と気づく

子供たちがお腹をすかせてはいけないので 料理をする

おいしい! って声が聞けたら

次も頑張ろうと思える

 

苦手だった整理や掃除も

夫や子供たちが 住み心地よいようにと頑張った

 

夫が亡くなって 急に一人になった時

本当にもう 何もしたくなくなった 動けなかった

でもある時 

空に行った霊たちは きれいな所を望むと知って

やっと片づける気持ちになれた

 

世の中には こんな動機がなくても

心の底から 料理や掃除が大好きな人もいる

ところが私は 生来の怠け者

何か動機がないと なかなか動けない

そして その一番の動機が 誰かの笑顔!!

 

先日 何もしたくないなぁと ぐうたらしているとき

 お婆ちゃん 明日 お昼そちらに食べに行っていい?

と連絡が入った

急に元気が出て 足取り軽く 買出しにでかける

おいしいって 喜んでくれるあの子の笑顔が見たくて…

 

 そこで最後にもう一つ提案

 誰かの笑顔 見たいよね

 それと同じように

 自分自身の笑顔も 見たくない?

 みんなの笑顔を見たいなら

 その「みんな」の中に 自分自身も入れたらいいんだよ

 

どこからか そんな声が聞こえて来る 

ようやく 分かってきた 自分の進む方向

 

自分も 周りの人も

そしてまた 世界中の人たちが もっと笑顔になれたらいいな…

 

その第一歩

迷った時は 理屈でなく 軽い気持ちでできる方を選べばいい

判断基準は 実はとってもシンプル

心が軽くなるか 重く沈むか だけ

 

できるだけ 心が軽くなる方を選んで

そして 幸せになろう

 

たくさんの人の笑顔を見たいから…