8月20日は、父である吉村和夫の21回目の祥月命日である。


あの日から、あっという間に時が過ぎた気がする。


母は、今では特養施設に入居し、葬儀委員長を務めた鹿野道彦元農林水産大臣も、2021年秋に鬼籍に入られた。


友人代表の弔辞を読まれた千歳貞治郎さん、橋本栄一さんも旅立たれ、父の兄の吉村敏夫も96歳で天寿を全うした。




昨年の5月5日には菩提寺の葦原正憲大和尚が遷化された。


年々歳々、花相似たり

歳々年々、人同じからず


時の流れるのは早い。


21年前とは、まるで登場人物が異なってしまっている。


今日は、長源寺の後を継ぐ、ご子息の葦原義憲住職が来宅され、先祖を供養し亡き父の位牌にお経を上げてくださった。




その読経の声は、とても深く響き、自分の思いを21年前に連れて行ってくれた。


当時、自分は43歳で、弟の和武は30歳。


父は、弟の長男の好誠が生まれる数週間前に旅立ったので、その顔をみていない。

その子は医学部へ入り、今、医師への道を歩き出している。


自分の長男の和康は、当時は山形南高校応援団の団長であった。

父が山形南高校の初代応援団長だったこともあり、現役応援団全員が駆けつけて父へエールを送ってくれた。


父が亡くなり、葬儀までの母は、いつも以上に気丈であったのを覚えている。

その母も、今はここにいない。


母の代わりに、妻が法要の段取りを仕切ってくれている。




今日の法要に参加したのは、自分の妻と長男と長女と愛犬レア。

弟が県議会の為、弟の妻と、その長女と次男。


葦原住職の先導で、皆で手を合わせる。




昨日は、父が山形市長時代の秘書課の皆さんがお参りに来てくださった。

本日は、父の秘書を長年務めた斉藤淳一市議会議員が、奥さんと一緒に大きな花を持って来てくださった。

自分の秘書の後藤君も、先程、お参りしてくれていた。


多くの方々が旅立たれても、変わらぬ人々がいることも事実である。


葦原義憲住職が、父の戒名を先代葦原住職から賜る時の事を話そうとしていた。

偶然にもその光景が、自分の頭にもよぎり、自分も話そうとした矢先であった。


二人の頭に、同じ光景が映し出されたのである。

不思議である。




(生前の父 吉村和夫)


金剛院殿廓然利道大居士


父の戒名である。


廓然とは、真っ青な澄み切った雲一つない空、曹洞宗では悟りの空である。


利道とは、人の為に尽くした人生である。


金剛院は、最高の菩薩である。


そんな素晴らしい戒名を、父は先代の葦原住職から賜ったのだ。


先代の葦原住職の喜ぶ姿が、忘れられない。

それを、義憲住職と話したのであった。


天界にいる父と葦原さんが、このことを上から覗いていてくれたら、とても喜んでくれるはずである。