8月8日(月)、東京からのお客様をお招きし、会社での打ち合わせの後、山形の老舗料亭「亀松閣」へ伺った。


コロナ感染者が増加傾向にある中、参加者全員が抗原検査で陰性を確認してからの会食であり、お客様の中には、「この1週間で、抗原検査は3回目です」とおっしゃっていた方もいたくらい、会食前の検査はスタンダードになってきている。




山形市の目抜き通りでは、3年ぶりの花笠踊りが開催され、街には賑わいが戻ってきている。


また、「亀松閣」のお隣の護国神社では、今年から約400個の提灯が「平和のご献灯」として灯されている。


夏の風情を感じながら、「亀松閣」は、相変わらず、「時」が静かにゆっくりと流れているような空間を提供してくれる。




そんな中、「亀松閣」の“今”を輝かせているのが、昨年春に、京都の「瓢亭」で板前の修行を積み、戻ってきた笹原百可さんである。


先代の笹原智美さんは、腕もあり目利きもあり、経営センスもある素晴らしい方であった。


智美さんと自分の父親同士が、山形大学のボクシング部の同期で親友ということもあり、智美さんのお父上が突然亡くなってからは、父は、智美さんの成長を願っていた一人であった。

智美さんが修行する京都「瓢亭」にも、父は、智美さんを激励に伺っていた。


そんなご縁があり、「山形の食文化」を、ずっと追い続けていた当時のケーブルテレビ山形(ダイバーシティメディアの前身)の市民チャンネルには、よく智美さんが出演してくれていた。


その智美さんが急逝されたのが、2017年4月5日であった。


数日前の4月1日、女優の松原智恵子さんの舞台挨拶の後に、とても美味しい料理をご馳走になった。


それが、お会いした最後の宴となった。




2017年4月1日に、先代の笹原智美さんが作ってくれた素晴らしい料理の数々である。


とにかく、どのアイデアも、唸るくらい美味しかった。

小山薫堂さんと一緒に伺った時は、その翌月の料理雑誌 dancyu(ダンチュウ)に、笹原智美さんのことを書かれていた。


思い出は、語り尽くせないほどあった。


きっと、百可さんにとっては、思いもかけない船出だったろう。

父と同じ、京都の瓢亭での修行は、生半可では通用しないし、ましてや目標として目指した父・智美さんが急逝されたのだから。


しかし、「瓢亭」の大旦那さんも、山形の「亀松閣」を支えて来られた方々も、百可さんの意思を尊重し、皆で応援をしたのである。


何よりも、「亀松閣」の板場の親方や仲間たちの、「この料亭を支えよう」との思いは、素晴らしいと感じたのであった。


「娘たちが戻るまで、がんばります!」という女将の笹原史江さんの覚悟は、誰もが感動すら覚えたのである。




今回、百可さんから、とても美味しい料理を出してもらった。

「鰻めし」ごぼうと大葉で香りを付けたご飯に、鰻の白焼きを乗せて炊き上げた料理である。


味噌汁も、「亀松閣」では珍しく、赤味噌を使ったそう。

愛知、三重、岐阜の東海3県が生産の赤味噌。


初めて食べ、とても感動した料理であった。




岩塩に包まれた山形牛。
鏡割りの後、岩塩から出てきた山形牛も、とても美味しかった。

ご一緒した方の一人は、三重県松坂市の出身で、鰻めしと赤味噌の味噌汁に感激しており、合わせて山形牛の美味しさにも驚いていた。



ちょうど、お盆の時。


笹原智美さんを偲び、笹原百可さんの前途に期待したい。

智美さんは、瓢亭から戻った時、関西の味が山形人たちに通用しないと、悩まれていた時期があった。
様々な工夫をされ、少しずつ、関西で学んだ味と、山形古来の食文化を調和させ、「亀松閣」の味を創り上げたと、よく話してくださった。

まさに、不易と流行であり、イノベーションであると思う。

老舗を後継することの難しさ。
それを継承し、より進歩させる熱意と研鑽。

素晴らしい料理人になって欲しい。
百可さんの未来に、心よりエールを送りたい。