先日、山形市七日町のワシントンホテルでの会合の後、少し街中を歩いた。

季節は秋。

少し肌寒いが、コートまでは必要ない。

ひときわ灯の数が多くなる。



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街の中で、特別な結婚式を挙げ、多くの市民の方々から、共に喜んでもらう為に作られた「オアゾ  ブルー」である。

「OISEAU  BLEU」は、フランス語で「青い鳥」

しあわせは、身近にある。

そんな夢のある場所である。



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立ち止まって、しばし眺めてあると、思わず引き込まれそうになる佇まいである。


非日常への扉、幸せへの扉、夢への扉、そして未来への旅立ちを予言してくれるような、浪漫を感じる。



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扉は自ら開けるもの。

誰も開けてはくれない。

開けるも開けないも、自分次第である。



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とても素敵な夜風が頬にあたり、ここのオープンセレモニーを思い出した。

こんなに素敵な場所を、活かさない手はない。


中心市街地の活性化と言われ、これまでの山形市の方々も、多くのチャレンジをしてきた。

されど、点だけの開発になっているような気がする。

繋がないと…。



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自分の父親が、山形市長に在職したのは、約3年半。

元気だったのは、最初の1年半。


その間、約1年半で、彼がやった仕事は、まず松坂屋デパートの撤退に伴って、ナナビーンズを衣替えし、山形市や山形県、そして商工会議所などで、各フロアを一定期間、借り上げて中心市街地の核を生かした。


(市川市長時代には、その隣に、御殿堰の空間が出来上がる)


ホッとなる広場の整備。
(市川市長時代は、屋台村なども出来上がる)



第1小学校の旧校舎の利活用と新校舎建設。



メトロポリタン前のペデストリアンデッキの建設。



霞城セントラルビルのオープン。



山形テルサホールのオープン…ピアノのスタンウェイを2基入れた。



つまり、点と点を結んだのである。
街の拠点が繋がり、ネットワークになったのである。



馬見ヶ崎の桜ライトアップを始め、その距離を長くしていった。
最後は、霞城の桜と結び、蔵王まで届けたいとの思いがあった。


そして、山形市を中心として、天童市、上山市、山辺町、中山町の合併。




現在、東北の中で、仙台市が1番人口が多い街。
続いて磐城市、盛岡市。

山形市は、東北で人口が多いトップ10の都市には入っていない。

むしろ、人口は減っている。

今回の十字屋など、街中の核となるデパートなどもなくなってしまい、雇用も失われていく。


人口が少なければ、店もホテルもスーパーもディーラーも、すべてが窒息してしまう!

若者は山形には戻る場所がない。
働く場所もないし、娯楽もない。
やはり、みんなが繋がって、街を変えなければダメなのである。


オアゾ  ブルーの未来への扉を開くのは、自分達、一人一人の街づくりの願いから始まる…改めて、そう感じた夜であった。