ノストラダムスの預言を信じていた。

1999年の7月に世界は終わってしまうのだと、信じていた。
15歳で死ぬと思っていたのに、思いがけず世界が続いている。

戦争が済んだら、あるいは戦争に負けたら、この世界が崩壊するはずであるのに、まだまわりの木々の緑が濃い夏の光を浴びている。それを普通の家庭の中で見たのでありますから、まわりの家族の顔もあり、まわりに普通のちゃぶ台もあり、日常生活がある―それがじつに不思議でならなかったのであります。 

と三島由紀夫は終戦に際しての感想を述べているが、まさかそれほどシリアスではないにせよ、ほんの近い感覚を持ったのは確かである。

ノストラダムスの預言は、自分には、恐怖であった。
預言がいつも頭にあった。私の死生観には、この忌々しい預言が影を落としている。

今にして思うと、バカバカしい話だけれど、当時、私は終わりについて、よく考えた。
それだから、いまこんなに暗い眼をしてるのかもしれない。

まじ、ムカつくぜ、ノストラダムス、馬鹿。

なんて。いや、やっぱりムカつくな、ファッキン、ノストラダムス、馬鹿。
馬鹿。