精神科医との裁判。
自身も含め、複数の事例を追っている。

この問題を、裁判という司法の場に引きずりだすことについては、非難されることも多い。
そういうのは、やはり医療関係者に多い。
そして、その多くは、医療崩壊の問題と混同して、非難してくる。

通常の医療過誤裁判は、外科手術時のミス(過失)や管理上のミスを問う場合が多い。あくまで、過失は過失である。しかし、精神科の被害は、全く事情が異なる。それは、過失ではなく、そもそもの常識が間違っているだ。本人達は、当たり前のことをやっていると思っている。
精神科と裁判をするというのは、その間違った常識と戦うということなのだ。

精神科との裁判が、全く他科と異なることを少しはご理解いただけただろうか。

精神科領域は特別だから・・・

これは、他科の医師からよく聞く言葉である。薬理学の先生からも聞く。これはいったいどういう意味だろう?

何が特別なのか?

精神科なら、薬理学を無視した処方を許しても良いということですか?うすうす、おかしいと気が付いているのではないですか?結局、よその事に口は出さないという、事なかれ主義ではないのか。

良くなっている人もいる。

本当だろうか?それはどれくらいの割合?私は、そのエビデンスを知りたい。治験データでは、自然治癒率が50%近いうつ病。抗うつ剤の有効率が60%。その差10%の人の存在を証明するデータが見たい。

もし、提示されるなら、私は次のことをチェックする。

治療が成功したとされる人たちが、薬をやめているかどうかである?それしか、客観的なエビデンスはない。

厚生労働省の自殺対策PTの処方30万件のデータ分析の結果がまだ発表されない。今年の春には発表されるはずだった。何故出てこない。もう、待ちくたびれてきた。(私が、分析するから生データごとよこせと言いたい。もう少し待って出ないようなら、情報公開請求をします。)

では、確かに、メリットが得られる人がいるとしよう。そうであったても、まだ、精神医療が免責されることはない。

「SSRIをうつ病治療の第一選択肢としたことは誤り、それで何人死なせたことか?」これは、ある精神科医の言葉である。ブログに書いてある。

この精神科医は、患者の死を知った時に、どう行動したのだろう。
・SSRIを第一選択薬として選択したことが誤りで、それで、患者が亡くなったことを遺族に説明しのだろうか?
・PMDAに副作用報告を上げたのだろうか?
・その事実を学会に報告したのだろうか?

被害者は、最初から、裁判を前提に話を聞きに行っているのではない。私もそうだった。最初は、説明を聞きに行ったのだ。いったい、なにが起きたのか、その説明を聞きにいっているのだ。

「病状が悪化した。」
「最善はつくした。」などという言葉は聞きたくない。
ちゃんとした医学的な説明を聞きたいのだ。

私の場合は、
13種類40錠の処方を「これでも眠れない人はいる。」と説明されただけである。私は、さらなる説明を書面で求め、医師は、一度はそれを了承したが、次回電話した時には、スタッフに緘口令がひかれ、弁護士の連絡先を伝えられた。その弁護士を通じ、書面での説明を求めたが、その約束はいまだ果たされていない。

医師のほうから、そうした説明がない以上、被害者遺族にとって、裁判は、真実を知るための唯一の手段となる。


精神科は特別。

この言葉は、裁判においても、被害者に重くのしかかってきている。
それは、裁判における医師の意見書として現れてくる。
多剤処方や自殺促進処方は、精神科領域では、ごく常識的な処方であるからだ。

被害者についてくれる医師は、ほんのわずかである。
ごく稀に意見書を書いてくれる医師はいるが、それは、あまりにも逸脱した極端な例の場合だけだ。

裁判官も、医療裁判専門といえど、結局、素人である。そして、最近の裁判の傾向として、専門家の意見書を重視する傾向がある。どの事例も、たいてい、そこで行き詰る。

だが、打開策はある。常に言っているが、精神科処方は、薬理学の基礎、いや自分たちの精神科の基礎さえ守っていないのだ。多剤併用大量処方、多剤プラス抗うつ剤による自殺。これらは被害者の主張として十分に説明できる。裁判官に理解してもらえる説明として通用すると思う。証拠は、医薬品添付文書と薬理学及び精神科の教科書である。

どうも、日本人は、裁判を特別なものと思っている。そこに関わるだけで、なにか悪いことをしているような気になってしまうのだ。実際に裁判所に行くとわかるが、裁判所自身は、もっと気軽に裁判を使うことを推奨している。

裁判は、一般国民が、正式に権力や不条理と戦う最終手段である。

訴訟をお考えの方は、ぜひ精神医療被害連絡会に相談ください。個別の酷い案件は、十分戦えると思う。

次回は、こうした個別案件以外のことを書きます。