前半は優秀賞をとられたアート作品の
解説、終盤になると311以降、アートやデザインに関わる人たちが、アーティストという立場から自分は何ができるのかということで、自分のその在り方を問い、自分の立ち位置をもう一度考えさせられ、アートと呼ばれる活動の社会性を考えさせられる話でした。
簡単にいうと
私たちには新しいモノサシが必要になったこと。
乗り越えられるべきものが提示されなくなってきたのは幸福な時代とはいえないと。
直接的に必要でないものを作る時、
それはゴミである
それでも自分の価値を言い張るなら
その為の作戦を考えなさいと。
そして、電気なしに生きていけない社会で
電気の供給がどれだけのリスクを背負っているのか?ということの自覚。
社会にとって他者である、どうしても根源的抜本的にみる目を持つ人たちがいることが大切で、それがアートの役目であると言ってました。
ちょうど、今読んでいる本にこんな言葉がありましたので、紹介します。
我々は世の中には
完全に肯定的なものなどない
という事実を
受け入れなければならない。
権力は
すべて誤用される可能性をもっている。
愛は残酷さに連なり、
科学は壊滅をもたらす可能性をもち、
野放しの技術は公害を生む。
最適経験はエネルギーの一形態であり、
エネルギーは役にも立てば
破壊の為に用いることもできる。
火は暖をもたらすが
焼き尽くしもする。
原子力は
電気を生むこともできるが
世界を抹殺することもできる。
エネルギーは力であり、
力は手段にしかすぎない。
それを適用する目的によって、
生活はより豊かにも
苦しみに満ちたものにもなる。
フロー体験 喜びの現象学/M.チクセントミハイ(著)P.88より
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これからは「希望と絶望の両方を抱えて生きていくようなものだ」と、発達心理学の先生がつぶやいてましたが、その意味がよくわかる内容だと思いました。
そう言えば、東京工芸大学の卒展に展示されていた学生の論文の中に、グレートマザーにも両極性があることの象徴としてあり、つまり「完全に肯定的なものなどない」ことを示しているかのようであったのを思い出しました。
文脈によって、正義は悪に変わる。何処にあったのかこの目の前につながりつづけるエネルギー。人間を信頼して与えられたものは、人間にはあまりにも巨大なものになろうとしているのかもしれません。それをどういった目的でもって取り扱っていくのか?多角的な視点と状況に合わせた柔軟な対応と選択が求められる…絵と向き合う姿勢を通して、目の前にある現実を観ていけば、何か無意識だったことにも意識的になり、思い込みに気づいたり、単純に元気になれたら、それで充分だと思います。
振り返ると青く輝くお月様が綺麗でした。
(本当はもっと長文でしたが、何十回やっても更新できないので、半分にしてまとめました。)
