離婚するのは別に勝手なんだけどさー(私は未経験ですが)

添い遂げられる伴侶を、人生の前半、あるいは中盤で見つけられるかどうかが、幸せな人生だったかどうかの大きな、とても大きなポイントらしいのよ。
男子も女子も!

それはみーんな、うっすら知ってる。けっこう若い世代が特に。
この「価値観」がね、押し付けられたものかどうか、なんてのはたぶんどうでもいいの。

押し付けられたと感じているから、戦後世代はこれに反抗してきたわけだろ。すなわち、たくさんの人と付き合ってから伴侶を決める、と。でもなあ、この手法には欠点があって。。

たとえば5人と付き合って、最初から2人目がやっぱりよかったなあ、じゃあ2番めの人に戻ります、なんて、戻ることができないんだよ!ほとんど。だって、戻ってみたら「売れてる」から。ほぼ100%。

アナタが気にいる相手はどこかの他人も気に入るに決まっているのだ。そりゃそうだ。

選択期間を、いつまでにするかは自由のようで結局自由じゃない。女子は30までとかさ、そういう「空気」は変わらず支配してる。

男子でオタクっぽいヤツらなんてさ、選択期間(すなわち「モラトリアム」ね)はいくらでも長くできるのに相手がいない、みたいな悲劇もあり。。


だから結局ただの運じゃねえの?みたいなね。

でもさあ、アナタが誠実に、まっすぐに、生きてたら、誠実で、まっすぐな異性に出逢えるか?どうかはわからんが、その確率は異常に上がると思うし、少なくとも誠実で、まっすぐじゃない人間は近寄ってこないんじゃねえの?

と、いうことだよ。ありていにいってしまうとまず自分磨きじゃね?みたいな。(自分「探し」じゃないからな)

あれ?何を書きたかったんだっけ。。


あ、そうそう。大事なのは、その伴侶に「合わせて」いけるかどうかだからな!
つまり自分が「合わせて」ゆく価値のある伴侶を見つけられるかどうか。

他人(いってみりゃ伴侶って他人だから)に「合わせる」覚悟って大したもんだよ。オレはけっこう歳とったけど、そう思うわ。

ただ「ビビビ」ときたから、とかじゃなくて、やっぱなんていうの?「尊敬」に近い感情?

長い期間の間には家庭がダメダメの時期も120%あるから、そんときにちょっとでも相手に対して「尊敬」に近い感情がなきゃ、ダメだろうな。


あともうひとつは相手が「育つ」かどうかなんだが。。これはホントにわからん。
言い方を変えれば「化ける」?

これこそが運。オレは相手が「化け」てくれたから助かった、ともいえる。
でもオレも化けたから。だって大卒フリーター年収200万→「25歳ハケン社員」からの今、だからね。

相手に化けてほしいんだったらまず自分が化けろ、と。お後がよろしいようで。
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病院こそ元凶!

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病院こそ元凶!
みんな知ってるけどさ、そろそろこれを日本人の基本的な理念にしないと。。

「病院にいくと病気になる!」

だから、病院にいかない習慣を!

病院にいくと病気になる、っていうのはふたつの意味で。いや、みっつか?

なんかどっか具合が悪い、といって病院にいき、何かしらの「病名」をもらって狂喜乱舞する庶民がほとんどだ。自分が病気だ!とわかるとうれしくてしょうがないのだ。それが俺にはまったくわからんのだが。。

そして医者も、サービス精神なのか、保身なのかしらんが。。「薬だしときます」と。。
患者を薬に頼らせる。そうすっと患者は、薬に依存するようになるんだよ!
それはイコール身体が弱くなるってこと。医者がそうさせてるってこと。


庶民は、医者っつーか医療制度の真似をして、とにかくまず薬を買う。

おっと。。これが本題ではなかった。


病院にいくと病気になる、理由は、「そこに菌がうようよいるから」だっ!!
だろ?

身体が弱っている人間がいってはいけないのは「人ごみ」じゃねえよ、「病院」なんだよ!!

特に子供!


じゃあどうするか? なんて知らねーよ、専門家が考えろっつーの。
ひとついえるのは、実現は不可能だが、医者はすべて御用聞きに。つまり家をまわるんだよ。完全に訪問医療にシフトする。

そもそも医者っつーのはふんぞりかえって偉そうだから。。

手術とかは別だ。そんなのふつーに考えりゃわかんだろ。すぐ揚げ足取ろうとするバカがいるから。。
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おいしいものは我慢しない

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おいしいものは我慢しない
おいしいものは我慢しないほうがいいような気がしている。
「おいしいもの」でいわゆる健康に良いであろうメニューはたくさんある。
おいしいものとは贅沢なものとは限らない。ただしけっこうイコールに近い。

つまり、食事を我慢してまでダイエットとかしないほうがよいのでは?ということ。

食事を我慢しないのであれば選択肢は明確になってくる。
・走る
とか
・すごく歩く
とか。
とにかくカロリーを消費すりゃいい話で、
・死ぬほど働く!
だってカロリーを消費する。デスクワークであっても。

死ぬほど働く!というのがいちばんおすすめだ。
つまりその、新たにジョグをするとかウオーキングするとか、そういうのを設定するんじゃなくて、今までの日常で巻きとってゆく、ということ。

「働く」を深化させるのがいちばんいいような気がしている。健康という意味でも。

そして!
おいしいものを食べるっていうのは別に、腹いっぱい食べろとはいってない。
おいしいものは少しでよい。少しであればそんなにカロリーを摂取しない。

おいしいからってガンガン食べ過ぎるな、と。そこで、人間の節制力が試される。
おいしいからってガンガン食べ過ぎたり、依存になっちゃったりしたら、それはただのガキでしょ。もうオトナなんだから。
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服の選び方

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服の選び方
一目惚れか!と店先で立ちすくんでしまった場合でも服を買わないケースが増えた。

それは、昔は、カネがないからであった。。
でも今はちょっと違うかもしれない。

最近はね、違和感を感じるものを選ぼうとする。
「ちょっと派手すぎない?」「なんかヘンじゃない?」「(今の俺に)似合うか?」
こういうのが、未来の自分にジャストフィットする(可能性が高い)。

ただし、条件としては、派手だろうがヘンだろうが、まずは「ぐっと引き込まれる」ものでなければならない。ただいたずらにドハデだったりデザインが珍しかったり、ということではないのだ。


結局、昔何かに書いたけど「モードを着るのではなくアートを着る」ってことだ。
(我ながら気に入ってるフレーズ)


昔ね、家内が「これがいいよ」と選んでくれた服がね、その瞬間は「え、俺ってこれが似合うの?」と違和感を感じるんだけど着ているうちになじんで、結局長く着続けるということがあった。
今は、違うけどね。タイヘン申し訳ないんだけど今、家内が選んでくれるものは(はっきりいうと)「物足りない」。
それは、「違和感」とはちょっと違うのだろう。

俺も成長したのかもしれない。

食べなきゃいいんだよ。

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何か食材があるときは毎日毎日それを食べりゃいいんだよ。なくなるまで。いつかはなくなる。

で、なくなったら食べなければいいんだよ。中毒性をもたせちゃいけない。無理やり連続して買い続けて食べ続ける必要ってないんだよ。
主食以外はね。いや、米だって別に毎日毎日食べる必要はない。麦の日(パン、パスタ)があっても当然いい。
いや、主食がない日も必要だ。

旬のものってまさにそうだよね。
自分の記事の引用
食について(4) 豊かな生活とは?を考える
 工業食品について、私はもちろん全否定はしていません。前回も書きましたように、我々現代人が生活を営んでゆく上で必須の「嗜好品」だと考えています。

 私のような都市に住む人間は、コンビニのない生活に戻るのは非常に困難だと思います。そしてご存じのように、コンビニには生鮮食料品はほとんど売っていません。



 嗜好品ですから、息抜きに、「たまに」ならよいと思うのです。人間はその「たまに」、すなわち余暇をより楽しむために、嗜好品を発達させてきたわけですから。

 おそらく、「趣味」なのでしょうね。例えば毎日チョコレートを食べるのが趣味である、と。趣味なのだから何しようと勝手ではないか、と。

 他人に趣味に口出しするなと言われればそれまでですが……でも、少量であっても嗜好品を毎日食べ続けるのはよくありません。嗜好品の依存症になってはいけません。依存症になってしまったらそれはソフトな「奴隷状態」であり、生活が豊かであるとは決していえないと思います。



 今を生きる主婦(主夫? )の方々は、工業食品と外食産業の発達により、毎日毎日三度の食事を作る必要はなくなりました。この事実に対し、ある程度は感謝しなければならないと思います。

 家庭の食卓に、ちらほらと工業食品をちりばめるのもよいでしょう。そして金銭的に余裕があれば外食もよいでしょう。日常にうまく外食を取り込めば生活が華やかになります。

 でも、親が「面倒くさいから」といって子供や家族を工業食品漬け、外食漬けの生活にしてしまってはなりません。

 工業食品は、日常の「息抜き」に、たまの外食は、家族の「ごほうび」としてあるべきです。頻繁に家族でファミレスにいったりほか弁で済ませたりするのは、正常な家族の状態とはいえないでしょう。



 あくまで生活の基本は、ごはんを「作って食べる」のです。「買って食べる」のではなく。

 「買って食べる」のはあくまでイレギュラーケースです(もちろん外食も含みます)。特に子供らには、日々の大切な食事を「買って食べる」のがアタリマエであるという感覚を、決して持たせないことです。

 母親は、子供や家族のために一生懸命に献立を考え、食べ物をつくる。父親は、家族が食べることに困らないよう、一生懸命働く(いろんな別パターンがあるでしょうが、それらをすべて書いている余裕はないので、典型的なパターンのみ書いています)。

 「食」を通して、子供にそういう姿勢を見せてゆくのが大事です。そして子供は親の行動よりも「姿勢」に敏感に反応します。

 子供たちは自分たちが親になったときに、高い確率で同じ姿勢になります。親が、「買って食べる」ことをあたかもそれが豊かさであるかのように奨励しているようでは、いつまで経ってもこの国の「不健康の連鎖」を断ち切ることができません。

※私が既婚なもので家族についてばかり書いてしまいましたが、独り暮しについては機会があれば書きます。



 極端な話、私たちは生きる(食べる)ために狩猟したり農耕したりする必要はないはずです(趣味でやられている方はいますが……)。それを考えれば、スーパーで食料品を買って、家でごはんを作って食べるという行為の煩雑さなど、なんてことはないはずです。

 その時間すらとれない(家族のうち1人も)というのであれば、その生活は見直す必要があると思います。今はよくとも年取ってから苦労する可能性が高まりますよ、と(持病を持ってしまうなど)。

 小声で主張しておきます。医者に言われれば言うことを聞くのでしょうが(この業界の人たちはけっこう、権威主義的なところがありますので)、症状が出てからでは手遅れになる可能性すら、あるのです。



 でも、よく聞く話ですが、「○○で死んだら本望だよ」と豪語する人たちは、いざその「○○」で大病したら落ち着いていられるのでしょうか? 後悔しませんかね?

 どうも軽い気持ちで発言しているような気がしてならないんですよね。実際のところ、食生活に問題があることをうっすら自覚しながら(つまり、自業自得で)寿命を縮めたいとは私は思いません。



 私は生活習慣を少しずつ意識して変えていって、特に、ご飯については(家族で)「つくって食べる」のがあたり前という考え方に完全にシフトしていきました。

 もちろん前述したとおり、つくって食べるのが「あたり前」という感覚を取り戻しただけであって三度のごはんをすべてつくっているわけではありません。ほか弁もコンビニ弁当もたまにおいしくいただきます。数カ月に一度は豪勢に家族で外食します。

 でも、このような考え方にシフトしていったら、それ以前の自分と比べて「人生が豊かになった」気がしたのです。確実に。

 つまり、日々の食事を「買って食べる」のがあたり前という人生は(外食含む)、豊かではないのです。

 10年前であれば間違いなく、「買って食べる」「外食する」のが「豊かさ」であると思い込んでいました。よって、「つくって食べる」はまったく優先していませんでした。(当然貯金もなく…)

 ちょっと小金持ちになった成金の方などは、金にものをいわせて外食オンリーの生活にシフトしていきますが(我々庶民とはケタが違うレベルで)、やがて戻ってきます。やっぱり、ごはんと味噌汁と漬け物が一番だよな、とか言い訳しながら……。

 なぜ戻ってくるかといえば何かしらの虚しさを感じるからだと思いますが、その気づきがあればまだよいほうで、大変残念なことに、戻ってくる前に身体を壊す方がとても多いようです。身体を壊してやっと気付くというのも……それ自体が豊かな人生とはいえませんね。

理想の店

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理想の店
なんかね、商店街とか繁華街のはずれに、ぽつんとあって。

そこだけ、灯りがついてる、みたいなね。

で、のれんをくぐると、交通の便は悪いはずなのに、ひっそりとあるはずなのに、いつも混んでいる!

しかも、満席で並ぶということもなく、いつもほどよい入り。7~8割とか。
つまり、「いつも必ず座れる」「いつも歓迎される」が間違いないということ。

接客がよいのはいわずもがな。

「不便なのに混んでいる」というのは、実力が確かだから。

やっとたどりついた「灯り」があって、のれんをくぐるといい感じでワイガヤしていてほっとする、というのは理想だよ。そしておかみさんは待っていてくれた、みたいな素振りをみせてくれる。(それが商売上のポーズであっても、だ)
[重要]「健康」より「幸せ」のほうが上だって
「しあわせ」とはね。。

手料理を、おいしいね、おいしいね、と言い合いながら、みんなで食べることだよ。

その料理の種類とか質とか(例えば栄養価がどうこうとか、野菜がすくねーとかなんとかとか)、そんなの「基本的には」問わない。
手料理であればいい。

大事なのは、その手料理をつくるのは別に母親でなくともいいんだよ。母親「固定」じゃないんだよ。父でも子でもいーじゃんか。ローテーションでもいい。

あの、なんだか知らんがおっさんどもが礼賛する「昭和の風景」っての? 夕方になると母さんが包丁をとんとんとんとかやってさ、夕飯の準備をする風景。。みたいな?
あれってさ、おっさんの妄想だからゼッタイ飯の支度するのは「母さん」固定じゃん。あれがおかしいっつーの。平成の時代は必ずしもそうではない。

それとね、「みんなで」とは家族が基本だけど家族とは限らない。週末のパーティー的な? 知人友人を呼んだり、呼ばれたりするのも楽しい。
けどな、そういうときの食事はオードブルのケータリングじゃダメなんだよ。ていうか別にそうしたきゃすりゃいいんだろうが、それは「幸せ」な状況ではない。
大人数で飯食うんだったらみんなで準備してみんなで片付けりゃいいんだって。

あとはね。。「おいしい、おいしい」って食べるんだからおいしい食事である必要があるわなw 
でもな、「おいしい」の判断基準ってのは別にあの「レストラン的な」ものじゃないんだよ。
一生懸命、誰かのためにつくれば、自然とおいしいものになる。つまり、誰かのためにつくるのが肝要だってことだ。その点では世の中のパパさん連中ってのは大きなカンチガイをしてるヤツらが多くてな。。自分のために、自分のエゴのために食事をつくるヤツがホント多くてね。
そういうヤツは「レストラン的な」基準の「おいしい」食事をつくろうとする。さっきと似てるけどそうしたきゃそうすりゃいいんだが、それは「幸せ」ではないのだよ。
ま、技術的な点をひとつだけいわせていただければw 味見はちゃんとしようねwwと。

最後に。。別に毎日さ、「手料理でなければ!」なんてプレッシャーに感じる必要なんて、ないんだよ。たまにはレストランで食事してもいいじゃない。レストランで「おいしいね、おいしいね」っていえる間柄であれば。

日常の食事にたまに惣菜をとりいれてもいいじゃない。レンジでチンでもいいじゃない。

最後に書いたこととその前に書いたことは絶対的に矛盾しないんだ。矛盾しないんだってわかるまでは、「修行」したほうがいいよw

でもね「軸」は手料理であるべきだ。
軸さえブレなければいいんだよ。
なんで地震予知ができないんだろ
はやぶさが惑星イトカワにいって、帰ってこれるこの時代に。。
億キロだか離れたはやぶさに1ビット通信できる技術をもっているこの時代に。。

なぜ地球の奥底の変化を予知できないのだろう?


カネのかけかた? 宇宙より地球のほうがでごわいの?

はやぶさと通信ができるんだったら、そして、海底ケーブルを世界中に張り巡らせているこの時代なんだから、海底にpingを打って「健康診断」するなんてカンタンなことだと思うんだが。。


なんか優先順位が間違ってんじゃないのかな。

こういうシロウトの素朴なギモンは大事にしていただきたいもんだ。
[引用]子供を抱き過ぎてはいけません。

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子供を抱き過ぎてはいけません。はったり、歩いたり、走ったり、自由にさせておくことです。健康を保つために、子供にはこうした活動が必要なのです。感傷的な愛情から子供を束縛してはいけません。
(略)子供はそれぞれに異なった要求をもっています。それを注意深く聞いて、やや少な目に与えるようにしなさい。
子供のことでもっとも大きな問題は、飲み物や食べ物をたくさん欲しがることです。やや空腹ぎみ、寒いぎみにしておくのが、責任ある親のやり方です。できるだけ素足にし、かけふとんも薄いもので充分です。