進化はやめない(やめれない) 矛先を変えよ

吉本隆明さんインタビューをうけて、

人間はどんな事故(今回の大震災による原発事故をさす)が起こっても技術革新はやめない、やめることはできないのだ、といったようなことをおっしゃっています。

それは、おっしゃるとおりなのです。だから、「矛先を変える」べきだと思うのです。原発が嫌だというのは技術革新をやめるべきだといってるわけではない。

いつのまにか、「四日市ぜんそく」とか川崎病とか水俣病とか、そういうものがなくなってきたじゃないですか。隅田川にも鶴見川にも多摩川にも魚がもどり、「きれい」とまではいかなくともふつうになってきたじゃないですか。

そういうことなんです。人間が向けるべき「矛先」というのは。
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感謝のココロ

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感謝のココロ
なーんか今思い返すと子供の頃、「あわれに思え!」と強制されていたような気がするのね。学校から、あるいはテレビから。
アフリカとかカンボジアとかの子供たちよ見よ!と。

なーんか違うんだよなー。。

餓死と隣り合わせの子供らの映像や画像を見せて「あんなに恵まれない人たちもいる! それに比べて我々は!」というアプローチじゃなくてさ。。

もっと、そういうのを見せなくとも、この幸せな日本、幸せな東京に感謝するように、自然に、子供らには思うようになってほしい。

ムズカしい。。

若干、「仕向ける」必要はある。それが、教育だ。
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ブルーハーツ

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ブルーハーツ


先日、TSUTAYAでブルーハーツを借りてきました。

なぜ、突然借りたくなったのか、自分でもあまりわかっていないのですが。。

「TRAIN-TRAIN」は、僕にとってツボですねー

TRAIN-TRAIN/THE BLUE HEARTS

¥2,500
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「聖者なんてなれないよ だけど生きてる方がいい だから僕は歌うんだよ 精一杯でかい声で」

「歌うんだよ~」のところで、声が詰まってしまう。

こういう、僕のツボにはまる唄というのが、あります。

小沢健二さんの「流星ビバップ」(または「流れ星ビバップ」

痛快ウキウキ通り/小沢健二

¥1,020
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「ただ激しい心をとらえる言葉をロックンロールの中に隠した 時は流れ傷は消えてゆく それがイライラともどかしく忘れてた誤ちが 大人になり口を開ける時流れ星探すことにしよう もう子供じゃないならね」

同じく「強い気持ち・強い愛」
強い気持ち・強い愛/小沢健二

¥1,020
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「長い階段をのぼり 生きる日々が続く 大きく深い川 君と僕は渡る 涙がこぼれては ずっと頬を伝う 冷たく強い風 君と僕は笑う」

DAI(Do As Infinity)の「陽のあたる坂道」
陽のあたる坂道/Do As Infinity

¥1,050
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「誰もがいつか 越える坂道 その先には まるであの日の 素顔のままの 僕等がいる 遠まわりでも 必ず たどりつける きっと きっと いつか」

僕の90年代TOP4でしょうか。
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UAとかcoccoとかcharaとか、
あと林檎さんとか鬼束ちひろとかもかな。

けっこう好きで聞いてたんだけど、「こういうひとたち」のファン層ってほぼ共通でさ。。

自意識スーパー過剰なヤツばっかりで(男子も女子も)
世の中に対してハスにかまえて愚民をバカにして。。
自分がどっぷり愚民なことにも気づかず。

そのうちイヤんなってきたんだよね。
オレもそういうヤツにカテゴライズされてるんだろか、と。

ラーメンの食べあるきをやめたのもたぶん同じ原因。
一緒に行列してる小太りなヤツらとか、食べてはアップして
エラそうに評論かますだけが生きがいのヤツらと同類にみられんのイヤだなあ、って。
テレビはへーきでウソをつく、と子どもに教えようとするとなぜか家内が「いや!」とテレビをかばう。

なぜかばう(笑 オマエは手先か?
マスコミによる洗脳完了してやがるし。。

ま、そういうヤツの常套句はね、「いや!いい番組もある!」っていうんだよ。ということは、「ほとんどはわるい番組である」ってことは認めてるってことなんだが。


いい番組かわるい番組か、っていうのとウソをつくかつかないかってのは違う切り口かと思うが。

だって「フィクション」=ウソをつく、という解釈もできるわけで、確かにテレビで良質のフィクションが存在することは否定しない。


テレビにはいたるところにウソがちりばめられていて、かつ非常に巧妙である。
偏差値ばっか高かったヤツらがこぞってマスコミに入り、アタマだけはいいヤツらが全力で「どうやったら巧妙にウソをちりばめることができるだろうか?」と日夜考えつづけてるんだから、オレたちが勝てないのはアタリマエなんだよ。

ま、マスコミによる洗脳完了している家内に育てられる(オレの)子どもらはこれからタイヘンだよなあ、とまるで他人事。


アタマだけはいい官僚にふりまわされる政治家と、なんか似てるかも。アタマだけはいいマスコミにふりまわされ続ける庶民。

いや、マスコミだけじゃねえよ。電通、官僚からはじまって生保、金融、商社etc。。

あいつらは庶民を巧妙に騙してどうカネをまきあげようかと日々全力で考えるのが仕事だからな。

オレの持論としては、偏差値の高いヤツらが集まれば集まるほどバカになる、と。集団としてね。
この場合の「バカになる」とはね、「正しいことから乖離してゆく」ということだ。

リコウが集まるとバカな集団になってゆく、というのがヒニクではあるのだが。。でも一面では、それがある種の救いというかね。だってリコウなヤツらが集まってますますリコウな集団になってゆくのが決まっているんだったら庶民はまったく太刀打ちできねえだろ。
だからオレたち庶民にもチャンスはある。
たとえば何か偏向された報道があるとするじゃない。
それを分析?すると。。

誰かが虚偽のことを言ったり行動したりして、それをマスコミがノーチェックでそのまんま流してしまうパターンと、ニュースソースは正しいことを言ってるのにマスコミが勝手に虚偽のフィルタをかけて報道するのと、2パターンあるような気がすんのね。

で、世の中は圧倒的に2番目の虚偽のフィルタで成り立っているような気がする。つーかそれに気づけよってこと。

あえていえば3つめもあるが。。ニュースソースも間違っていてそれに対してさらに虚偽のフィルタをかける。そうなっちゃうともうわけがわからん。ただの「物語」だろ。


[引用]山田博士さん

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[引用]山田博士さん
健康で今日まで元気に仕事をして来た人が、病院の門をくぐった日をきっかけに、突然、「病気」を宣告される。
なぜなんでしょう。たとえば、高血圧。
確かに、皆さん、自宅で家庭用血圧計を使って、「あ、上がった、あ、下がった」なんて一喜一憂していらっしゃる。その気持ちはぼくにも分かります。
でも、高血圧だというその数値が、いったい正しいのかどうかを考えたこと、一度でもあります?
じつは2000年に、「日本高血圧学会」というところが、高血の基準値を一気に引き下げたんです。
(略)するとどうなりますか。(略)「おめでとうございます!あなたは高血圧になりました!」と宣告されることになります。まあ、別におめでたくも何ともないのですが……(笑)。その結果、誰が儲かるでしょう。
そうですね。薬メーカーと医者と病院が、イヒヒヒヒヒ……となります。
たったこれだけ数値をいじくっただけで、なにしろ高血圧患者が、2100万人(!)も増加したのですから。そして、これだけも多くの人間が危険な「降圧剤」を飲む。この数値に根拠が一つもないことは、すでに分かっているんです。
そして、この「降圧剤」の副作用で、脳卒中や心不全などが増える可能性が指摘されているのですから、何を言わんや、でしょう。またまた、薬メーカーや病院がイヒヒヒヒヒ……となる図式。 
こんな先進国、どこにあります? だからぼくは、いつも怒っているんです。
結局マスコミに飲み込まれてる僕ら
リンドバーグの初期の名曲で「easy go, easy love」(だったかな?)というカッコいい曲がありました。

渡瀬マキさんは、その曲の中で「雑誌もテレビも 嘘だらけだよ!」と、何度も唄っていました。


でも。。でもね。
渡瀬さんは、あの頃の僕ら世代のコトバを代弁していたはずです。
でも、結局大人になっても僕らは、雑誌とテレビにふりまわされ続けてないでしょうか?

「雑誌もテレビも、嘘だらけだ」と、若いころうそぶいていたって、結局マスコミに飲み込まれてしまった僕ら。
それはなぜか? といえば、「嘘だらけ」とすら思ってないのです、実は。

「若干」嘘が混じっている雑誌に、テレビに、飲み込まれたくてしょうがないんだ、と、我々は思っているフシがある。
それが「オトナになる」ことだと、我々世代は曲解している。

そうじゃないだろう、と僕なんかは思うんです。
そして今でもヒッシにモガいているわけですね。世の中に居心地の良さを感じられずに、ね。。

ええ、ツッパってますが何か?

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ええ、ツッパってますが何か?
「元ヤン」を批判し続けているのは、今ツッパってないからだよ。「オレも落ち着いたな。。」とか場末のスナックでオバチャンママ相手に愚痴いってるだけだから。

その、場末のスナックのオバチャンママも似たようなもんだからね。「アタシもムカシは。。」って客に吹聴したくてしょーがねえんだから。

今考えれば、すべてにおいて社会や親から庇護されている学生の期間にヤンキーを気取るのは、社会人になってからツッパり続けるより、1万倍カンタンだ。

ヤンキーを「卒業」とかいって結局、社会に対してツッパり続けられないからギブしてるだけだよ。

法定速度を遵守する元暴走族の「同窓会」なんてサイテーサイアクじゃない? いい歳して茶髪のブルーカラーが似たようなファッションの奥さんと子供連れてそういう会に参加して。。

社会に対してツッパり続けられるのってもしかして大卒のほうが多いんじゃねーの。

オイラは学生のころヤンキーでもなんでもなく、ただのマジメ君だったけど、逆に社会に出てから独りでツッパってるっていう自負はあるよ。かなり「社会」にボコボコにやられてるけどな。。(今でも?)

つまり、難しいことをやっている。

なんかさー、朝の通勤ラッシュで、いい歳して申し訳程度の茶髪で、ずっと周りにガン飛ばしてるバカがいるよね。
そうやって、結局世の中に反抗しきれずに毎日満員電車に揺られ続けて「プチ反抗」してるバカが「元ヤン」と同義。(オイラの中では)

そんなにイヤだったら辞めればいいじゃん! ヤンキーらしく車通勤すりゃいいじゃん! もっとツッパれよ。ツッパる方向が違うんだよ、ちっせーんだよ。

いい歳こいて「理由なき反抗」しているオトナは酷い。もっと大きなモノに立ち向かってくれよ、頼むから。もう「いいオトナ」なんだからよ。
[重要]オリガミ(赤坂見附) パーコー麺の効用
先日、赤坂見附のオリガミにいって「名物」パーコー麺を食べた。

これがまた、ウマいんだが。。(辛さを調節できたりするし)
パーコー麺2500円。

オイラはたまに、そういうムダ金を使いに街に出ることがある。たかがラーメンに2500円というのは、ムダ金以外のなにものでもない。
という、自覚がある。

それでも、そういう行動をしなくちゃならないんだ。
自分のこの行動の「衝動」の理由が、ムカシはよくわからなかった。

なぜ自分が、カネをドブに捨てるようなことをしているのか、ね。。


でも、最近歳をとってみると、なんとなくわかる。
僭越ながら(エラそーだけど)若いヒトたちには、オイラの二の轍を踏まないよう、若いうちからうっすらとわかっていてほしいと思う。


まず、人間というのは、特に都市部で生活していると、どこかで「損」をとりにいかなければならないのだ。
すべての行動が勝ち組ではいられない。特に、都市部での生活というのは、それだけで恵まれているのだから、どこかで「ガス抜き」のような「損をとりにゆく行動」をしないと、バランスがとれない。
どのシチュエーションでもガツガツと「得」ばかりをとっていてはいけない。

その「損」が、たかだかラーメンで2500円払って、ゲットできるのであれば、相当安いもんだ。

オリガミのパーコー麺は確かにおいしいのだけれど2500円の価値はないだろう。仮に1000円の価値なのだとすると、オイラは積極的に1500円の「損」をとりにいっていることになる。
それで、いいのだ。1500円は、人生でバランスをとるための授業料なのだ。

でも、1500円が授業料では、安すぎるから、いろんなところでちょくちょくと、「損」をとっていかなければならない。


で、もひとつのハナシだけど、カネというのは、使わなければならないんだよね。
それは、よくいわれてることでしょ。カネというのは使わなければ巡ってこないというのは。
それは、それなりの年数生きてきて、ひしひしと感じることだ。

。。書いていてつながってきたけど、「人生ではちょくちょく損をとりにゆかなければならない」というのと、「カネというのは使わなければならない」というのは、根底にあるのは同じ考え方なのだろうか。。