-■ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.275
「ナビタイム」、ハゲしく広告を打ち始めましたよね。。

相当な広告費がかかっていると思います。
おそらく、ナビシステムに会社として自信がついたのでしょうね。「そろそろ打って出る時期だ」と。。


ところで僕は「人間ナビタイム」を目指していますので、自身のナビシステムは脳に蓄積してゆくつもりです。。





━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
[第八部] 神経症なりたがり


-表情でガードしているつもりなのか? (20070914)

ココロをオープンにしてはいけない、というハナシをずっと書いてきました。

よく考えると、最近の若い世代のヒトたちは、ココロをオープンにしていることにすら気付いていませんね。

外面でガードしきれている、と信じて疑っていないのです。

たとえば、表面上ムスっとしていたり。。 近寄りがたい表情なり格好をしていたり。。

でも、その輪に入ってしまったらすぐにココロをオープンにしてしまう、というのであれば、その、外面をとりのぞけばよいだけですから、「ココロ」を狙っている人間の格好の標的になります。



ココロを「閉じる」では表現が悪いんですよね。。

現代人は、部屋を空けるときカギを閉めるようになったでしょう? ムカシの自分の田舎では、昼間はカギをかけたことすらありませんでしたが。。

それと同じことを「ココロ」でもしましょうよ、ということです。

(略)

でも若い世代の多くは「トラウマウェルカム!」ですから、聞く耳を持たない。なら好きにすれば、という結論ですね。
AD

健康法

テーマ:
ふみしめて歩く。上りの階段を、二段ぬかしで。

走り抜けるのではなく、じっくりと、手を振って。
重い鞄片手に。

これが僕の朝の健康法。。
駅のホームの階段と、オフィスではエレベータを使わず。。

歩くと、相当疲れる。走り抜けるよりも。


下りは、別によいのです。走り抜けても。
上り階段を、一段一段(といっても段ぬかしですが。。)踏みしめて歩くこと。
「走り抜ける」という逃避をしないこと。
AD

コドモ好きだから何

テーマ:
未婚、若いヒトたちで「自分はコドモ好きである」という自己申告がね、ムカシから違和感アリというか。。

はっきりいって気にくわないというか。


自分が子を持つ親になるとわかるんだけど、まず、コドモ好きだからといってコドモを育てられるかといったらそうではない。先立つものはカネ。


カネさえあればコドモは勝手に育つ。

という前提条件を理解したうえで、コドモ好きなのであれば、次のステップとしてコドモを「良い子」に育てられるかもしれないけれど。

でも、「良い子」に育てたからといって世の中をうまく渡ってゆけるとは限らない。



女子も男子も、「自分はコドモ好きである」というアピールは、なんなんだろうね。。

コドモが好きかどうかよりまず、人間一般に対して優しいかどうかじゃねーか?

他人に優しければ自然、コドモにも優しいだろう。
AD

芸術と芸能

テーマ:
芸能人の多くが、自身の活動を「芸術」と位置づけたいがために芸を磨くのを怠り、あるいは、ヘンな方向へ自分の芸を持っていくがために失敗します。

芸能を「芸術」にもってゆこうとするのは奢りであります。

ただし、「芸術」というものが高尚なものである、と、いっているのでは、ありません。芸術というのは「ふつーの」ことです。

たとえば芸術を鑑賞するのに正装して出かける必要は、まったくない。だから僕は、「オペラ」とか、サントリーホールで行われるなんとか会とか、そういうのはキライですし、おそらく一生いくことはないと思います。

「画廊」のように、鑑賞する側に一定のルールを強要する場もキライです。


別にこちらは傍若無人にふるまうつもりなわけではありません。みなが静かに鑑賞しているところで自分だけ騒いだりすることがよくないということは、わかっています。

こっちは一般常識の尺度で礼節は守っている。だから、あえて、「鑑賞するときは~に気をつけて~」とか、明文化されていたり強要されたりするのがキライです。


「落語」という分野も、それで大いに失敗しているようです。大衆芸能は断じて芸術ではないのです。


ところで、芸術というのは「ふつーの」ことであるが、芸能というのは「ふつーの」ことではないのです。

芸能というのは下層なのです。下層に息づくものなのです。

今、芸能に携わる人間で、芸能が「下層」であると認識しているヒトはどれぐらいいるのでしょうか?

もはや、芸能は「下層」ではない、と鼻息荒く、奢っているのでしょうか?

奢っているからこそまさに、一般大衆がテレビ離れをまさに起こそうとしているのではないだろうか?


職人も同じ。
自分のやってる仕事を芸術、あるいはそれに類することであるとカンチガイしはじめてから堕落がはじまるのです。

職人というのは大衆文化の位置づけから脱することはできないのです。
オイラは一応、健康な生活を送るためにそれなりに食生活は気をつかっているつもりだ。

ごくごく一般的な。。肉を必要以上に食べないとか油っこいものを食べないとか、そういう感じの。

でもね、別にオイラはそういう原理主義者ではない。カンゼンなるベジタリアンになる気もない。

そしてそれを家族や周辺に押し付ける気は、さらさらない。オイラは勝手にやるから(勝手に「健康にならせていただきます」)、干渉しないでくれ、ぐらいに思っている。

だから、我が家の食卓はべつにふつうであり、ギンギンのベジタリアン志向でもない。(でも、一般的家庭に比べたら若干ヘルシーかも。。)

家内がつくりたい料理にケチはつけない。別に有機野菜でなくともよいし、添加物が入っていても何の問題もない。

家内と、コドモたちが食べたいものをつくり、食べればよい。


そしてそして、オイラのちんけな食生活に対するポリシーよりも、我が家の残飯整理のほうが優先される。

オイラは、自ら望んで油っこい肉は食べないけれど、家族が残した残飯の肉は喜んで食べる。

コドモには、ごはんを残してはならないことを教えなければならない。それは、オイラの主義主張よりも大事なことだ。
■ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.274

どうやら、耳鳴りが自分の軽いストレスの原因らしいですね。。
これがいわゆる「通奏低音」なのでしょうね。

耳鳴りも自分の「長いトモダチ」として受け入れていかなければ。。



今回からしばらく「神経症なりたがり」についての過去ログです。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
[第八部] 神経症なりたがり


-「思いつめる」のはカッコいいのか? (20070913)

なんでまたそんなにカンタンに、「思いつめる」状態に陥ろうとするのでしょうか。

なぜそんなに「思いつめたい」のか?

なぜ「ココロ」を常にあけっぴろげにして「トラウマになりそうなネガティブイベント大歓迎!」状態にしておくのか。。



「ココロ」を自らガードして、どんなイベントに対しても淡々とこなしてゆくのが、「オトナ」でしょう?

「オトナ」をやれば、いちいち「思いつめる」必要はない。
「思いつめる」とは苦しいことではないのですか?

なぜわざわざ苦しいほうへいくのか。

苦しいほうを選んででも、オトナにはなりたくないというのでしょうか。

そんなに「責任」を背負うのがイヤですか?

それではアナタはこれから、何のために生きてゆくのですか?

責任を背負わないヒトに、人生を楽しむ資格はない。

真の「思いつめる」とは、ホントにマズい状況なのです。自らの手で「死」をぐっと、引き寄せている状態。



ああ、そうか。今つながりましたね。

自らが、生きる資格なしということを無意識的に感じて、「思いつめる」という表層上の行動により、自ら「死」を引き寄せてみる、ということですね。



それにしても、ココロをオープンにしておくのはホント、キケンなのに。。

おそらく、最近の子育てなどで、ココロをオープンにしておくように、教え込まれているのでしょうね。。

感受性が豊かなほど、ヒトとして優秀、という間違った教育方針。。

それと、感受性が豊か、イコール、ココロをオープンにする必要あり、というさらに間違いの上塗り。。

これが、若い世代の凶悪犯罪を生み出している、ということに、誰か気付いてほしい。

特に、文部科学省。



重要なのは、ココロのケアではないのです。「ココロの交通事故」の予防なのです。


結婚観、とか

テーマ:
結婚の動機が、「楽させてくれそうだから」(女子→男子への目線)とか、「料理つくってくれて掃除してくれるから」(男子からの目線)とかだったら(それがホンキで、動機最上位にくるのであれば)、タイヘンだろうね。。その後の結婚生活は。

でも、特に戦後の結婚観ってカンゼンにそれが主流だったわけで。。
かつ、それで世の中はうまく回っていたのはなぜだろう?


世の中のパラダイム・シフトはもう待ったなしで行われていて、こと結婚に関しては、互いに依存したいから、互いが互いを楽させてくれそうだから結婚する、じゃもうダメだろうね。

特に女子。。それなりにOLしてて、ちょっと疲れたから結婚に逃げる、とかじゃあねェ。。
そんな女子に選ばれてしまった相手(男子)もタイヘンだろうなあ。そんな女子だったら男子を家事の面で楽させてはくれなそうだし。。

家事も育児もすべて「協力! 協力!」の大号令だからな。。


そう、カンタンにいえば互いの利害関係が一致しねーんだよ。いつまでたっても。

好きキライじゃなくて、「利害関係」なのね。大事なのは。

なぜ、このヒトと結婚するのか? みたいなことは誰でも、結婚前に考えるんだけどね、その前になぜ結婚するのか? を考えることが大事だ。

なぜ結婚するか? の理由がポジティブだと、人生好転してくんだろうね。
「まわりがしてるから」とか「楽したいから」じゃあねえ。。

過去の日記を読み返していると毎年この時期に、浅草三社祭への不信感、違和感を書いています。
ここここ

今年は予想通りというか茶番といいますか。。いわゆる「宮出し」が復活したようです。

祭りとはキレイゴトではないのです。暴●団との調整や、カネの絡みでいろいろとあるのでしょう。周辺住民がいつもキレイゴトのようにコメントしているのが、違和感があります。

遠いところの祭りよりも地元の祭りに参加すべきでしょうね。

それにしてもテレビニュースというのはなぜ、季節の風物詩で全国の祭りを紹介するのでしょうね。。カタにはまりすぎですね。


■ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.273

自分の中にある「弱い自分」とは、向き合っていこう。。
とは、思っています。

「弱い自分」は、自分の中から消え去ることはないので。

「弱い自分」にムチうって強くさせる、というのはある時期には必要ですが。。なぜ弱いのか? を、聞いてあげるほうが大事です。








-ファッションの移り変わり(20070830)

ムカシの映画、ドラマなどを観ていると、ファッションや女性の化粧が古臭かったりしますが、それを楽しむのではなくて「ダサい」と片付けてしまうようなヒト、いますね。

そういうヒトは、単一性しか経験していないといいましょうか。。
たとえば我々であれば、その時代を一生懸命生きていた。その時代を一生懸命生きていたヒトのファッションがそうだったのであれば、それを「歴史」として受け入れればよいだけのハナシです。

ムカシよりも今のほうが洗練されている、だから、今のほうがエラい、という短絡的な図式に凝り固まっているわけですね。

いつの時代も斜に構えて、その時代を一生懸命生きることができないヒトほど、過去に対して批判的なので、そういうヒトはほおっておいてよいと思われます。

そういうヒトは閉じた経験の世界に生きていて、経験そのものに多重性がないのです。それは、「外」に出ていっての経験、体験がゼッタイ的に不足しているからです。

そういうヒトほどプチ刹那的であろうとしますね。内向的な世界でのプチ刹那的ですから、全く説得力がありません。




男子の家事

テーマ:
男が家事をやるというのは、結構ね。。「修行」の域に入ると思ってるんだけど。

同じように女子が、男性優位の社会に進出して仕事するのも、「修行」のような気がする。

「他人の土俵に上がる」というかね。。


男子の場合専業主夫をのぞき、自分の仕事に肉体的精神的に拘束され、さらに加えて家事、家族サービスがあるわけだから。。
ホントはその時間は、休息したいわけでしょ。
という意味で修行的。

女子の場合は、前述したようにそもそも日本は未来永劫、おそらく男性優位の社会のはずだ。ビジネスにおいては。
そういうところに積極的に進出する、という気概自体が修行的というか。。

家庭を持つ女子は特に。
独身で、実家住まいで、家にカネを入れる必要もなく、家事手伝いもする必要なし、なんて境遇のヒトはのぞくけどね。そういう境遇に甘んじてるとあとで泣きをみることになる。

ってことは、書いていてわかったけど、ホントにホントに忙しい、という状態自体が修行なんだわね。
忙しいフリしてるヤツはゼンゼンダメ。ハナシにならない。