■ ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.209

このエコ批判のトピックを展開している最中、以前より注目していた中部大学の武田邦彦教授が「R30」に出てきていました。

とにかくこのやんわりとした言論封殺の圧力の中でこのようなひょうひょうとした方がいるのは頼もしい限りです。

彼は、環境問題という各論よりもまず「なぜ誰もが『王様は裸だ!』といえない?」とわれわれ庶民に問いかけをしているような気がしてなりません。


とかく「絶対正義」というモノはオソロしいですし、「絶対正義」になろう、あるいはとある概念、考え方を「絶対正義」にしてしまおう、という動き、勢力にはホントウに注意しなければならない。そもそも民主主義社会に絶対正義などは必要ないはずで、何かを絶対正義にしたいヒトには、必ずそうしたい理由(コストメリット)があるのです。




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メルマガ [第六部] 地球と「エコ」批判

20070916
「エコとか」と思想
思想的に大人になりきれないヒトたちが、なぜか「エコ」に傾倒し、身体に入るたべものは有機でなければ、とか、衣類の質がどーのこーの、インテリアがあーだこーだ。。

うんざりしますね。まったく説得力がない。本末転倒なのでしょう。


「アナタにはその前にやることがあるでしょう?」と。

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■ ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.208

「オンリーワン幻想」というのが昨今、はびこっておりますが、「オンリーワン」なヒトは他人や世の中から「選ばれた」ヒトではないということです。
そして今後選ばれることもない。自身を「オンリーワン」と規定することによって。
それはきわめて「自己満足」に近い。

自己満足は悪いことではないのですが、常に客観的視点での相対評価は必要です。自分を見つめるもうひとつの「目」とセットでないと自己満足至上主義は危ういものです。






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メルマガ [第六部] 地球と「エコ」批判

20070909
「エコ」にイチャモン

とあるチェーンのクリーニング屋で、もうすぐクリーニング袋が有料になる、という話を聞きました。
貼り紙を見たら、「環境問題に配慮して」とか書いてありました。
そんなの、会社のコスト削減の一環に決まってるじゃないですか。これをホンキで信じている人間はいるのでしょうか?
会社としては、コスト削減をしたいと考えていたところに、ちょうどよい言い訳が舞い込んできた、と考えています。

自分が「エコ」がキラいなのは、こういうふうに経済活動のていのよい言い訳として使われているからなんですね。
ホントに環境問題に配慮しているのであれば、もう、遅すぎでしょう。今から有料化するというのは。
逆に、この遅さが、環境問題に配慮していない、という証左になってしまうのでは?

「エコ」以外の話題であれば、こういう、日常でのちょっとした違和感はスルーできるのですが。。「エコ」が絡むと正面からぶつかってみたくなります。



20070914
またまた「エコ」批判

先日、青物横丁の旧東海道を歩いていたら。。なんのお店か忘れましたが、「環境対策のため電気を消しています」とか何とか。。
飲食店ではなかったことはおぼえているのですが、営業してる店が昼間暗くしているとは、いかがなものか? です。
どう考えても、その店は、電気代をケチっているだけなのですが。。
これも「エコ」という格好の言い訳が、思考ができない庶民に蔓延してしまった悪例。
電気代をケチったおかげで売上げも激減していることでしょう。だって、その店は営業しているかどうか、わからないのですから。

ここの店主が確信犯ならばまだ救いようがあるのです。でも、もしかしたら、ココロの底から、自分の店が昼間電気を消すことで環境対策に一役買っている、と思い込んでいるのだとしたら。。
哀れですね。
そんな自主的行動は誰も望んでいない。ただの自己満足にすぎないのに。。

違和感、感じませんか? もはや、怒りにも似た違和感。。
真のエコとは、アナタのお店にあった車、これを廃車にすることですよ。
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「肉」

自分の知ってる範囲では誰も書いてないから書くけどさ、「肉」っていうのはね、特殊な食材なんだよ。今もムカシも。

肉っていうのはね、産地とかブランドとかじゃなくって、いかに食肉市場からすばやく仕入れてこれるかどうか、なんだよ。

売れてる店はそういうルートを持ってるんだ。

肉だけじゃなくって、モツとか、内臓系も同じ。


肉のブランドにこだわる庶民を見てると、ホント失望する。「肉」、そして、オイラたちが、肉というものを食べないと生きてゆけない、という事実から目を背けてさ、ブランドのオブラートに包んで、なんだかファッショナブルなものとしてみようとしている。

なんだかムカつく。。
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■ ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.207

いつまでも名無さんではいけないなあと思いまして、そういえば自分のハンドルはずっとスティーブンだったことを思い出しましたのでしばらくはスティーブンを名乗ります。

先日どこかのブログを見たのですが、実名で発言しないブログは卑怯者だとかなんとか。。
ここでもまた出てくる「アメリカでは実名があたりまえ!」と。

なんでもかんでも、この御時世、21世紀になっても文明開化の頃と同じ「欧米に追いつき追い越せ」なのでしょうかね。





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メルマガ [第六部] 地球と「エコ」批判

20070906
-「地球」って何
自分が地球のために何ができるか、などという発想は、自意識が肥大化してしまった典型的な日本人が考えることであって、それに対する回答は、「アナタがそのような大それたことを考えているうちは何もできない」ということです。

ペットボトルを分別したところで、そのペットボトルはもう生産されてしまっている。地球のために何ができるか、と考えるのであれば人生なげうってでもペットボトルの生産を減らす側にまわってください。

地球規模で考えることも単なるトレンドに過ぎず、なぜ流行っているかというと、まずカッコいいから、ですよね。先進国に生きているという原罪を、「地球規模で考える」というギゼンにより振り切りたい、というカタクルしい意識はあるでしょうが。。

そして、これをトレンドに乗せている「誰か」がいる。

そんなことよりも、しつこいようですがまずは自身の死生観を固めることです。

アナタは、地球のために何かする義務なんて持っちゃいないのです。はっきりいってしまえばアナタは「選ばれていない」し、選ばれるための努力もしていない。

そんなことよりも隣人、家族そして自身を大切にすることでしょう? まず。それがアタリマエだと思うのですが、そのアタリマエの思考ができないヒトが多い。。

自分が、いかに死ぬべきか、死ぬまでに何をすべきか、を真剣に考えた結果として「エコ」とやらがぽんと出てくるわけはないのであって、真剣に生きた結果として「エコ」はついてくる。真剣に生きるヒトは地球を破壊しながら生きるわけがない。

生きるだけで地球を破壊している、などと自虐的になることなどないのです。であれば世の中はアナタに死ぬことを要求しているのですか? 違うでしょう。

世の中はアナタに「真剣に生きること」を要求しているのかもしれませんよ。

フジの深夜番組

テーマ:

**自分について

大学の頃の思い出といえばまず思い浮かぶのはフジの深夜番組。。(暗い青春)
--カノッサ
このオープニングはすばらしい。

--IQエンジン
洒落た番組でした

--マーケティング天国
城ヶ崎祐子アナの濃い化粧が印象。


オールナイトフジ全盛の時代ではなかった。僕らはもう少し、後です。
オールナイトフジの最終回の、延々とバブルガムブラザーズの"won't be long"を流していたゆるい番組はおぼえています。
フジテレビが夕方に、おニャン子の二番煎じで乙女塾とやらをやっていた間抜けな時代。。
幼稚園とかの方針どおりに優しい子に育っていったとしても、現実社会(小学校~高校ぐらい)に出たらバカをみるだけ。

だから、小さい子の教育なんて、ただ夢、幻想を追ってるだけでしょ。

コドモはいつ、「交通事故を起こしたら『謝るな』」と学ぶのか?

優しく、かつ傷つきにくい子っていうのを、育てるのはムリでしょ。
やっぱ大事なのは「したたかに」育てることだと思うね、親が。

「喪失感」

テーマ:
-カラオケでホントに唄いたい曲
気分は90年代
--Time goes by
「過ぎた日に背をむけずに~」

--Hello,again
「『記憶の中で ずっと二人は 生きて行ける』」
「雨は やがて あがっていた」

この頃の曲を思い出すとじわっと「喪失感」を感じます。過ぎた時代、もう取り戻せないという意味での喪失感。そして、その時代そのものが僕にとって「喪失の時代」だったという意味での喪失感。

**ミチクサ(散歩、都市論etc)

たとえば日本からいちばん遠いのはリオデジャネイロか小笠原か、なんていわれます。小笠原には航路がないから。(ですよね? 今はあるのでしょうか?)

僕は上大岡の京急百貨店にたまに買い物にいきます。上大岡というのは横浜駅のさらに10キロほど南で、そんな遠いところになんでわざわざ行くのか、などといわれるのですが、上大岡は泉岳寺から京急の快特にのれば30分。京急百貨店は、駅ビルなので、駅から歩く時間もありません。だから、時間でいえば近い。それと、乗り換えも楽。

半蔵門線を活用すれば、二子玉川のSCも、錦糸町のアカチャンホンポも、楽々いけます。距離の問題ではないのですね。

最近の僕ら世代は、電車の発達もあり、けっこう軽やかに遠くまで買い物に行きます。もちろん、車を持っているヒトたちであれば、郊外のイケアとか、名前を忘れましたが大型の外資系のスーパーにいったりします。広大な駐車場が確保されているところは、行きやすいのです。

ですからなぜ、地元の買い物にこだわらなければならないのか、がわからないのです。特に地元を愛していないわけでもない。でも買い物は郊外にゆく。これがまったくムジュンしていません。
■ ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.206

メルマガ発行は週一、日曜というサイクルに。。なってきているように思えます。
そのサイクルに身体がなじんできたら、ケイゾクします。

今週も引き続き「エコ」についてです。





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メルマガ [第六部] 地球と「エコ」批判

20070903
-環境破壊と自分
人間は、環境破壊とか「やっちゃって」、自らが「愚か」だという自覚はでてきているようですが、「馬鹿」あるいは「アタマが悪い」とはこれっぽっちも考えていません。
「馬鹿」でかつ「アタマが悪い」から環境破壊するのだというのに。。

ところで、私自身が環境破壊に加担している、なんて、これっぽっちも思っていません。しているのは「私以外の誰か」であり、これは確信をもっていえます。

人間の存在自体が環境破壊なんていう暴論は、許容できません。環境破壊に加担している人間とそうでない人間がいるのです。

もっと詳しくいえば、環境破壊に加担しているのは個人ではなく主に「企業」です。
たとえばヒトが寝静まった深夜に産廃を山に捨てに行く業者とか、「誰もみてないからいいだろう」と企業が考えるときに環境破壊が生まれます。

そして、「みんなでやればこわくない」。。そんな意識で環境破壊しまくりの企業に属しているヒトこそ環境破壊に加担している「個人」です。そんなヒトたちと一緒にしてほしくないですし、企業として環境破壊に加担しているヒトたちと、たとえばペットボトルを分別「しない」とか、そういうヒトはまったく同類ではないのです。

破壊のケタが違うのですから。いや、そもそもペットボトルを燃えないゴミに捨てるという行為が「破壊」ではありませんね。

言い換えれば、破壊そのものと「破壊抑止に賛同しない」というのは違う、ということでしょうか。

考えれば考えるほど「エコ」はウサンクサい。。


ところで今、もっとも環境破壊しているのはかつて後進国と呼ばれていた国だ。
なぜなら、そういう国は「国策」として環境破壊しているのですからどうしようもありません。また、かつての日本もそうだったのでしょう。

ミュージックマガジン

テーマ:

**ミチクサ(散歩、都市論etc)

今はほとんど読まなくなってしまったのですが、今思い返すと、新譜レビューとかで日本の「ロック」と「ポップス」に明確に分けられていたのです。当時はそれをなんの疑いもなく受け入れていましたが、今はなぜそうなのか? と疑問を呈したいですね。
今もそうなのだろうか?
日本の音楽シーンにおいて何が「ロック」で何が「ポップス」なのか? いや、違うな、「J-POP」から逸脱するシーンとは何か? ということですね。

J-POPじゃないシーンといえば、もはや灰野敬二さんぐらいしかいないのではないか? と考えてしまいますね。