美しい建築物は世界各地にあります。

こんな本もありました。

これ、図書館? 

天井画の豪華さよ・・・美術館みたいですよね。

ザンクト・フロリアン修道院図書館という場所だそうです。

 

上の段の本は果たして取れるのか?

はしごで取るのかもしれませんが、そもそも読みたい人ってどんな人なんだ?

 

世界一美しい映画館はアムステルダムにあるトゥシンスキー劇場という場所だそうです。

ここで観る映画ってどんなものなのかしら。

ダイハードみたいなドンパチ爆弾系は似合わないし、ジャッキーチェンの香港映画も違う気がするw

やっぱり、タイタニックとかかしらね。

エリザベスとか。

あとは、豪華な感じのイメージだけで言えば、インド映画とかw

 

最近、久しぶりに数少ない友人の一人に再会しました。

もう知り合って30年くらいの友達ですが、5年ぶりくらいに会いました。

話を聞くと、彼女もそうとう悪夢に近い妄想に駆られていました。

自分と比べたら、彼女の方が若干重症な感じがしましたが、言ってることは分かりました。

 

これは、思考回路の違いのことであって、人によっては「なぜそんな風に考える?」と理解できないと思います。

パートナーとそこんところの価値観が違うと苦しいだろうし、ドクターにかかってもそのドクターとの相性も相当大切だと思います。

 

彼女にしても、わたしにしても、それが妄想によるものだとは分かっています。

ただ、ハマると抜け出せなくなるだけ。

悪夢から覚めれば「なんという・・・おかしな夢であったことか!?」と思うんです。

でも、夢を見ている最中は、なんか設定がおかしいなと違和感は感じてはいるんだけど、なぞの恐怖心なんかに縛られて、本当のことみたいに半強制に信じさせられる。

 

例えば、わたしのことで言うと反政府組織に巻き込まれるとかいう夢(寝てる時に見るやつね)だったりします。

非現実の極致。

組織のことなんて何も知らない。思想も活動の理由もリーダーも知らない。

そんなバカげた設定の映画にキャストとして突然起用されて、セリフも分からないまま放り込まれて、周りの役者さんはもう現実としか思えないくらいに演技が上手くて、これが現実のことみたいに思えてしまっている。大声をあげる軍服を着た髭の大男が恐ろしい。

リアルすぎる。

 

しかし、目が覚めてみたら「おいおい、なんだよその映画。しかも、なんでわたしがキャストに?意味不明、意味不明ガーン」って笑えるんだけど、観てる最中はそう思えないの。

 

夢ではなくて、現実に起きてる不都合な出来事に対しても、きっと同じなんです。

いやいや、夢と現実の違いは大きいよと言われるかもしれないけど、一緒だと思う。

 

わたしは先ほどのような美しい映画館を心の中に建てている。

生まれたときにそれは建設完了していて、ここで素敵な映画を上映しようと決めたのだ。

それが、人生を始めるということだと。

そして、観るのも不快な大根役者勢揃いの愚作であるとか、先ほどの美しい場所にそぐわない低俗な内容とか、つまらないギャグばかり延々と続くコメディなんかが流されると、不愉快でたまらないのだ。

そんなの流すための映画館ではない!!と。

やめろ、そんな映画を流すのはやめろ。わたしの映画館でわたしが支配人なんだぞ、なのにやめさせられないわけがないではないか。

 

観たい映画しか流さない。嬉しくなるような、幸せになれるような、心が温まるような、そんな映画以外、今後一切流すな。

そう命令できるのはわたしなのだ。

 

そう思った時、嘘みたいだけど流れ星が流れた。

そんなタイミングで・・・。

それを奇跡というよね。偶然にしては出来過ぎだもの。