最近読んだ本を紹介。
大学生のときから何度か読んでいる
「僕の中の壊れていない部分」
今までは、帯に書かれた「どうして僕は自殺しないのだろう?」
という問に対する答の部分にしか注意がいかなかったが
今回は、理想の生き方についても述べられていることに気がついた。
それは、言葉をかえて繰り返されるが
一番短い言葉を使うと
「自分以外のものに対して懸命につとめ、自らを虚しく」する
ということだ。
俺はようやく最近やりたいことを見つけ
牛の歩みながらも、それに向かい始めた。
自分がやりたいことをやる。
それだけで十分だと思っていたが、急に不十分な気がして
今回、この本を再読した。
そういう経緯で読んだ俺にとって
「他人のためだけに」生きる、というのは新鮮であり違和感もある。
しかし、「自分以外のものに対して懸命につとめ、自らを虚しく」しなければならないのは
次で紹介する本の中ででてくる
「5歳児の大人」にしか、あてはまらない。
なぜなら、彼らは、それくらいの意識を持たなければ、他人を思いやることができないから。
まともな人は自分がやりたいことをやればいいと思う。
俺は自分が幼稚であると認識している。
そして、なんとか大人になりたいと望んでいながら
なかなか、幼稚さが捨て切れていないことも認識している。
それで、どうしたらよいものか、と思って読んだのが
「大人になりきれない人の心理」
この本では大人になりきれない人がどのような状況にあり
どのようなバックグラウンドを持った人かを述べた後
そのような人は、どのように生きていくとよいかアドバイスしている。
筆者は、大人になりきれない人は
心理的に5歳児のままで成長が止まっているのだという。
そして、その原因を「母なるもの」を持たない
要は、母親からの愛情を十分に享受することができなかったから、としている。
そのような原因で心理的成長が止まった人は「生きるのが辛い」と感じる。
その生き地獄を天国に変えるために、ある調査結果を用いて
次のようなアドバイスをしている。
①自分の持っている才能を使うこと
②自分の信じること、信じたいことを心の中で祈ること
③趣味を持つこと
このほかにも、自分に足りないものが何かを認識することが重要であるだとか
個人的な意見が散見されるが
②の祈ることが重要ととらえているようである。
なぜならば、無条件に頼れるからだ。
確かに、いい大人になって「私のことを理解してくれ」なんて言えないし
そもそも、「理解してくれ」という人のことを理解したいと思わないのではないか。
宗教って、数少ない、無条件に頼れるものなのかもしれない。
俺は、歌詞に祈りをこめて、歌う。
大学生のときから何度か読んでいる
「僕の中の壊れていない部分」
今までは、帯に書かれた「どうして僕は自殺しないのだろう?」
という問に対する答の部分にしか注意がいかなかったが
今回は、理想の生き方についても述べられていることに気がついた。
それは、言葉をかえて繰り返されるが
一番短い言葉を使うと
「自分以外のものに対して懸命につとめ、自らを虚しく」する
ということだ。
俺はようやく最近やりたいことを見つけ
牛の歩みながらも、それに向かい始めた。
自分がやりたいことをやる。
それだけで十分だと思っていたが、急に不十分な気がして
今回、この本を再読した。
そういう経緯で読んだ俺にとって
「他人のためだけに」生きる、というのは新鮮であり違和感もある。
しかし、「自分以外のものに対して懸命につとめ、自らを虚しく」しなければならないのは
次で紹介する本の中ででてくる
「5歳児の大人」にしか、あてはまらない。
なぜなら、彼らは、それくらいの意識を持たなければ、他人を思いやることができないから。
まともな人は自分がやりたいことをやればいいと思う。
俺は自分が幼稚であると認識している。
そして、なんとか大人になりたいと望んでいながら
なかなか、幼稚さが捨て切れていないことも認識している。
それで、どうしたらよいものか、と思って読んだのが
「大人になりきれない人の心理」
この本では大人になりきれない人がどのような状況にあり
どのようなバックグラウンドを持った人かを述べた後
そのような人は、どのように生きていくとよいかアドバイスしている。
筆者は、大人になりきれない人は
心理的に5歳児のままで成長が止まっているのだという。
そして、その原因を「母なるもの」を持たない
要は、母親からの愛情を十分に享受することができなかったから、としている。
そのような原因で心理的成長が止まった人は「生きるのが辛い」と感じる。
その生き地獄を天国に変えるために、ある調査結果を用いて
次のようなアドバイスをしている。
①自分の持っている才能を使うこと
②自分の信じること、信じたいことを心の中で祈ること
③趣味を持つこと
このほかにも、自分に足りないものが何かを認識することが重要であるだとか
個人的な意見が散見されるが
②の祈ることが重要ととらえているようである。
なぜならば、無条件に頼れるからだ。
確かに、いい大人になって「私のことを理解してくれ」なんて言えないし
そもそも、「理解してくれ」という人のことを理解したいと思わないのではないか。
宗教って、数少ない、無条件に頼れるものなのかもしれない。
俺は、歌詞に祈りをこめて、歌う。