ステップあやです。昨日↑の家族恋人会の第一日目終わりました。
 
 
 
オンタイムで参加せず後で音声動画の聴講希望の連絡を頂いた方には、結局、「録音」ではなく、「録画」のリンクを送信しています。
 
※発言者がいなかったのと、私がホワイトボードに書いて、話さなかった言葉があった気がしたので。、、
 
 
 
 
参加者の方には申し訳ありませんが、私、自信がないままやりました。
 
 
いや、いつも自信があるわけじゃないのですが、今回は、10月に父を亡くしてからまだ四か月で、
 
先月LAに戻る迄は相続手続きなどでやるべきことに追われて思いをはせる時間がなかったところ、いまやっときて、父のこと、20年もまえに亡くなった母のこと、色んな思いが、洪水みたいにあふれだしたときなのです。
 
 
 
 
父のこと、
母のこと、
 
沢山の思いが摂食障害の克服過程に関係していたのですが、
 
 
口にすると、涙で話せなくなってしまいそうで、その話題に触れられなかったことも、、あった。
 
昨日の会では。
 
 
 
 
だけど、今日は、
 
 
泣いて話せなくなってもいいから、
 
話したいこと、
話すべきと思うことは、
 
話そうと思います。
 
 
 
 
大嫌いで
大好きだった
お父さんお母さん。
 
 
あなたたちから、私は
 
摂食障害やうつ病に苦しむきっかけ(原因ではないです)をもらったのも事実だけれど
 
 
 
同時に、
 
あなたたちから、
 
摂食障害やうつ病の底にあった「生き辛さ」に気付き、
 
病気になる前よりラクに生きるヒントときっかけをもらい、
 
病気になる前より温かい気持ちと安と自信を感じながら心地よく生きられるようになったのも事実です。
 
 
 
 
 
支えるって、
 
 
食事がどうこう体重がどうこうの不安を不安じゃなくなるようなアドバイスをするとか
 
 
食べるな
太るな
あの人達みたいに頑張るべきだ、
フツーになれよ、
 
・・・
 
 
という病気の声(考え)のいいなりに自分を変えて一瞬だけ自分の中の病気さんを安心させるお手伝い
 
じゃなくて、
 
※もちろん、そこも今のところは病気の「症状」として出てるので、否定も肯定もせずに受け入れてほしいけど
 
 
 
本当に、症状が必要になるほどの生き辛さからラクになるためのお手伝い。
 
 
 
 
病気に圧倒されて見えなくなって「健康な自分の声」が何かを知り
 
見えてきた「健康な自分」の声を優先させて、健康な自分をラクに楽しませながら生きても大丈夫なんだ、
 
(↑これすると病気は怖がったり悲しんだりするから大丈夫じゃない気がしちゃうから)
 
って、大丈夫を増やすお手伝い。
 
 
 
 
それ私、
 
私が摂食障害治る前に亡くなってしまった母にも、彼女の生き方を振り返っていたらヒントをもらえたし、
 
回復期に一緒に過ごした亡くなった父にもやたくさんヒントをもらえたんだ。
 
 
 
私の生き辛さを作る考えや感じ方に共感することは、全く違う人種の彼らにとっては「どうしてもできないこと」だったけれども、
 
私が「病気の声」にいうこときかずに「健康な私」のほうが進みたい方に思い切って進んで「大丈夫なのかも?」「怖いけど行動変えてみようかな?」って
 
 
少しずつ変わるきっかけを見せてくれたんだ。
 
 
 
そんな私の体験が、聞いてる人の何になるか、どう受け止められるのかはわからないけど、
 
 
 
今日は、泣いちゃっても、言葉にしようと思う。
 
 
 
 
↑今の私が思うこと
 
 
 
だけど、昔はこうだった。
 
 

 

▼母と私と摂食障害

 

母のキャラ は、一般的にはふつうに真面目なやさしいお母さん。

自分がどうした以下、したくないかは後回しに 世間や人にみっともなくないように、非常識と思われないように、どうすべきかを考える人。いつも、人に、いい母、いい妻、いい嫁、いい人、と思われるように、と生きていて、子供の叱りかたもほめ方も人にどう思われるかが中心だった。

 
 
 
 
次の記事の中にあるリンクは、上記に抜き出してあります。
 

>なにわ生野病院での講演内容が会報に(ステップあや)

 

 

 

▼父 たいていの人はびっくりする強烈きゃら。
 
短気。こうと思ったらこう、人の話は聞かない。デリカシー皆無。私が子供の頃は仕事一筋、家庭は母に任せきりで、あまり話したことがなかった。
 
世間や他人を意識して”正しさ”を重視する母とは真逆で、他人にどう思われるかはどうでもイイ人。
 
ただ頑固なので、こうしないとこの子は不幸になると思ったら、大声でやれー!と怒鳴り散らかす。。
 
 
 
 
▼4か月前に父がなくなってから書いた記事
 
 
 
 
 
 
怒鳴られても
否定されても
足蹴りされても
人生にわたる「生き辛さ」を作る考え方植え付けられても
 
「そのこと」については
ふざけんなよ、くそじじぃくそばばぁ、
 
 
って思うけど
 
 
私、めちゃくちゃ、愛されてた。
 
 
表現方法は「私のこうしてほしい」と違っていて、愛として受け取れなかったときがあったのだけどね。
 
 
 
家庭環境なんて皆違うし、人の体験聞いてもしょうがないな、と思う人もいるみたいだけど
 
 
昨日の家族恋人会でもお話しした(3月6日の当事者会第一日目でもお話しします)
 
摂食障害=依存 のからくり
を応用して考えてみると、
 
共通点をみつけることも人の体験から自分のヒントをくみ取れることも、たくさんあるはず、
 
と私は思っていて。
 
 
事実私自身が、
 
この人同じ病気でも
全くわたしと違うな、
まったくわかんねーな
 
って思った人はいままで一人も出会ったことが、ないの。
 
 
食症状も体重も環境も体験も全くちがうんだけどね。
 
 
 
 
私の話も、私の体験談としてふーんて聞きながら、
 
自分の気持ちに気づくきっかけ、
自分の傷と癒しの方向性を見極めるきっかけ
 
それでなくても、
 
自分はどうなのか、自分自身の気づかぬ声に耳を傾けるきっかけ
 
など、どなたかの何かになったらいいな。
 
ただ、私が文章に父親、母親、、って書いていても、大切なのは私がその相手から何をどう受け取り、どう感じたか、、ということであるので
 
私にとっての父は皆さんにとってのお母さんかもしれないし、彼かもしれないし、、、対象は違うかもしれません。
 
 
 
 
さてそろそろ、10時からの家族恋人会の準備します。
 
 
こんなふうに泣いてもいいから話そう、なんていいながら、まったく泣かないかもだけど。
 
毎回、自分でも全く予想外、予定外のところで涙が出そうになって、びっくりすることが、あります。
 

 

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