▼本文の前に-------------
本当は喪中の人はあけましておめでとうは言うべきでないとか、喪中の人に言ってはいけないとか、なんか色々めんどくさい常識があるみたいだけど、
私は(←自分軸で考えると
別に言われて嫌じゃないし、それとこれとは別だと思うし普通に言いたいと思う、、
のでふつうに言わせて頂きます✨
明けましておめでとうございます
年末30日にブログを書いて、大晦日も別にやることないし(←一つ前の記事に書いたように年末だから〇〇すべき、を手放したら特別にやることがなくなったので)、ブログ書きたいし書くんだろうなあ
と思っていたので、良いお年を✨的な挨拶も書かなかったのですが、結局書かずに新年三日もたってしまいました(;^_^A
計画性、ありません(;^_^A
人生全体でもそうですが。
でも、こういう計画性のなさも、それがダメという考えを持ってる人にとってはそう見えるっていうだけで、別になんもダメじゃないよね。
書こうかなって30日の時点では思ってたブログ、なんか書こうって気持ちにならなかったので書かなかったけど
書けなかった、
じゃなくて、
書かなかった、の。
別にすごい忙しかったわけでもなくて、その時々で、したいことしてました。
ゆっくりのんびりしてるか、
好きなもの食べてるか☺
↑
ここ、
何もしてない、
何もできなかった、って昔の私ならいってそう。
ほんと、昔の私は
今の自分がしてることと
同じことやっててもやらなくても
書けなかった
と考えて
万年不全感
万年自己嫌悪
だったんだ。
人間だからそういう感情がない人はいないけど、そういう感情でいるのが通常で、たまに調子いいときだけそれがない人生、という、今考えれば、健康的ではないメンタルで生きていたのでした。
なんでそんな生きづらい感情に支配さるのが、あの頃の私の「当たり前」になっちゃってたかって
・目標を決めて、決めたことはやるのがいいこと、しないのはダメで残念なこと、
・休む = 何もしてない = ダメなこと
という考えを信じて疑わず、その考えをもとに自分を良い悪い(〇か×)のジャッジを下すのが当たり前になっていたからなんだ。
私の場合は、うつ病や摂食障害をきっかけに、
自分の生きづらさにつながっていた自分の中の思い込み、当たり前(=心のフィルター)や、人とのコミュニケーションの癖(対人関係版の思い込み、当たり前)に気づき、
その当たり前を疑ってみて、
それを楽に変えていくための証拠集め(←詳細は過去のブログにいろいろ記事あり)、それを腑に落とすための行動の変化を
少しずつ
できることから
年単位で
コツコツ重ねていたら。。。
いつのまにか
なんとなく
そういえば楽になってた、
という感じだったのでした。
※そう、↑そんな感じで、何月何日をもって摂食障害が治ったとか生きづらさが楽になったとかいう区切りがあったわけじゃないんですよね。よく美人塾や個人セッションでも聞かれるのですが…。
無駄がなくてもさ、無駄を出さないためにキツキツに生きてたら面白くないっしょ。
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