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こんにちは、ステップあやです
なんか、一つ前の記事に、旦那くんが描いた私宛の”イラストメッセージ”載せたら、思いがけず、ツイッターやインスタ、FBなどあちこちのSNSのメッセージで
”あやさんの旦那さん
あったかいですね💛”
っていう声がいっぱい届いてたのですが。
違うわよ。
本当にあったかいのは、
彼の行動を”温かいもの”と受け取り
”ありがとう💛と温かい反応をする
ていうのは半分冗談ですがww
でも半分本気です(笑
ここから真面目な話をします。
よく書いてるけど、私もね、摂食障害やうつ病になりやすい人の典型的な”生き辛くて当たりまえの考え方”の人だったの。
たとえば、
世間の常識や人の顔色から、どうすべきか、すべきでないかの正解を集めて、その型に自分を合わせて生きていて自分がどうしたいかしたくないかは後回し
という他人軸の考え方は、その一つ。
旦那に対しても、、そういうときがあったの。
旦那も、
”そもそもフツーじゃない”ひとです。
やりたいことはやる
やりたくないことはやらない
っていうことを、疑問も持たず普通にやってる人ですから
仕事も嫌ならすぐ辞めちゃってたww嫌だと思えば、三日でやめることもあったw
当時の私はそんな彼をたしなめるように、フツーのこと言っていました。
皆辛いことあるけど頑張ってるんだよ
少なくとも三年は続けないと。
今は嫌でもそのうち慣れるかもしれないしもう少し頑張ったほうがいいんじゃないの
人間関係でやめても、どこに行ってもへんな人はいるよ
仕事内容でやめるって、どこに行っても嫌な仕事はあるよ
やりたいことがあるからやめるのはいいけど、嫌だからやめるなんて甘えじゃないの
などなどwwww
今思うと、ぞっとするような言葉ばっかり
ダイエットに関してもそう。
彼は、エクササイズの習慣もありますが、”見た目のため”ではなくて、”筋肉があると重いものをラクにもてるから”とか”やりたいときやりたいだけやると体が気持ちいいから”という実用的な目的なので
休みたいときは休む
体調や気分でやりたくないときは減らす、やらない
美味しいものも食べたいなら食べる
健康的とされるものも、食べたきゃ食べるし、食べたくなきゃたべない。
ってことを平気でするんです。
当時の私には、それがもう、
間違ってる
甘えてる
ちゃんとしてない
という風な評価目線でしかみらえなくて、私自身もイライラしてつらかったし、彼にも、押し付けがましいことばをいう、
という具合のコミュニケーションの仕方で、すごくストレス大きかった。
当時の私は
自分が自分に良い・悪いの〇×の評価基準で下しながら生きてるから、人にもいい悪いと評価を下しており苦しいコミュニケーションになってしまっていたのです。
別に、彼、ダメじゃないのに、ダメなやつ、って思ってそんなこと言ってた。
仕事すぐやめるのはダメだって信じてる人にとってはダメであるというだけで、別にダメじゃなかったんだよ。
辞めたり、またやってみたり、何度も繰り返し実践しながら、どんどん自分の好きなこと、嫌いなこと、得意不得意を見つけていって、
だからこそ
彼自身にとっては
嫌じゃなくできること見つけて
働き方も、自分に合った仕事みつけて
長期的にみたら、私なんかよりよっぽど、心地よく成長していってた。
しかも、
辞めちゃった自分を責めたりもしてなくて、いつもなんか、生きてて楽しそうだし、
自分に優しいから
他人にも優しい。
一方、私は、、、。
何してても、もっと頑張らなきゃって苦しくて、頑張れないと自分が嫌いになって、
ラクに楽しく生きてる人みては「なんであの人は頑張ってないのに幸せになってんの?」って、なぜか、人にも苦しい頑張りを押し付けて自分も苦しむことになってたんだ。
もう小さいころから、そんな頑張り方も、自己否定も、当たり前になってたからストレスと気づいてなかったけど、自分が思うより、苦しかったんだと思う。
病気の症状はどんどん悪化して
それまでなんとか
続けてこられた仕事もダイエットも、
まったく頑張れなくなって、
どんどん生きる力を失っていって、、
そんな私のとなりで、
当時の私にとっては
ありえないことやってた彼が、
なんか楽しそうで、
ドンドン自分なりの成長して
いったのを間近で見るハメになった。
あれ???
って、なんか気づきだしたよね、、、
ふと、周りみたら、彼以外にも、そういう生き方してる人一杯いた! 灯台下暗しとはよくいったもので、父親もそんな人だったことが判明したりww
自分が、あれはダメ、これはダメ、ってジャッジが癖になってるころは、そういう人が近くにいても
”あーダメなことやってるな”
”だから、ダメなんだ”
という風にしか、見えなかったのだと思う。
そして逆に、
その時の自分が
こういうのが素晴らしい(ああなるべき)
と思いこんでる型にはまった人だけが
素晴らしく見えて、
それと違う自分を責めては、そうならなきゃ、と苦しい努力を自分に強いて、できないと自分を責める。
そういう人生だった。
それで成長したこともある。
でも、もうそろそろ、この考え方/生き方では限界だよ~っていうサインが、摂食障害やうつ病だった。
だって、病気と本気で向き合うまでは、
体型も
食べ方も
仕事も
恋愛も
話し方も
ふるまい方までも
自分が絶対ダメ!
絶対こうなるべき!って
思い込みんだ〇×の型が
絶対の真実だと疑わず
×を避け、
〇の型にあわせて
自分を無理やり変えれば
自信がつくし
幸せになるんだ
なんて信じこんでいて、
”その考え自体を疑ってみよう”なんて、絶対に思わなかった頑固な私だったから。
対人関係は相性もあるのでね、
自分と向き合い
見えてきた気持ちを伝え
相手の気持ちを聞く
その一連の繰り返し=コミュニケーション
を暫くやってみたら、誰とでもうまくいきますってわけではない。
コミュニケーションをとって見えてきた相手に、”選ばれるか”どうかたびくびくするのではなく
”自分は”
そうすることで見えてきた相手と
一緒に生きていきたいと思うのか、
そうでないのか
それとも
適度な距離をおいて付き合うのか
平和な別れを選ぶのか
全てにおいて、
自分主体で、取捨選択していく。
っていうプロセスをやっていく。
摂食障害治ったら
そうするんじゃなくて
症状があるときから、
症状があってうまく食べられない
今ここの自分をまず見せて
協力求めていくこと
そんな自分を
受け入れてくれる人かどうか見極め
自分がつきあっていく相手を選ぶ
てことをしていく。
私もそれに気づく前は
人付き合いも
相手に合わせるか、
合わせること疲れて関係ゼロにする
ってことを、恋人でも友達でもやってて、ドンドン人間関係なくしていったけど。。
もっと早く、自分と人とのコミュニケーション始めて、人を頼ればよかった、今ここの自分に必要な人、付き合い方、自分主体で選ぶこと始めればよかったって思う。
・自分が自分を見せて、
ということしていこうと思って、コミュニケーションとったらみんなと平和に仲良しになったわけでもなくて
・適切な距離を見つけて付き合うことにした相手
・心の平和のために別れを選んだ相手
…もいたよ。
だからこそ、一人二人と、
今ここの自分が心地よく付き合える人が誰か、その人との適切な距離感、今は離れるべき相手、、みつかってきたんだ。
”愛情表現”も含めて。
こうして欲しいしてほしくないと思うことがあれば、ただ待つのでもなく、ただ期待通りに動いてくれない人に怒るのでもなくて、こうしてくれると嬉しいよって伝えたらいいよね。
自分の欲しい愛情表現でないとそれは愛じゃない、って決めつけてしまうのはもったいないから、自分の”考え【思いこみ】と向き合うことも大切だよ。
けど、どうしても愛情一杯あるのわかっても、、その表現が無理な人もいると思うし、ここは譲れないというものがあってもいいし、あるものだと思う。
自分が生きてくにあたって絶対に”ないとダメ”なものが
”セックスがある関係”という人もいれば
”セックスがない関係”を望む人もいて、
”セックス以外のスキンシップ”が必要な人、
”セックスはどっちでもいいから
愛情表現の言葉が多めに必要な人”、
”普段の特定の行動(こうしてほしいと思う行動)で愛情表現が必要な人”
・・色んな人がいるし、どうしてもここは譲れないと思うことは人それぞれあっていいと思う。
そういうモヤモヤも、
・一人でガマンして相手に合わせるか
・相手に我慢させて自分に合わせさせるか
を繰り返すだけじゃなく、
やっぱりまずは
自分が本当はどうしてほしいのか
それがないことで”どんな気がするのか
まずは、自分が自分と向き合い、
本当の奥の奥の本心を見つける、
って”自分とのコミュニケーション”をして
(↑この時点で、セックスがなくて寂しい、も、セックスが嫌も、”それ”が問題じゃないことに気付いたりもする)
そうして見えてきた
自分の本心をそっと言葉で伝え、
それに対する相手の気持ちにも
耳を傾けていく、
…ということの繰り返し=コミュニケーションをしていかないと、
自分が相手とどう付き合いたいのかも、
お互いに歩み寄れる方法は何なのかも、
そもそもその相手を愛しているのか、
本当はその人と生きていきたいのかも、、
。。。
自分の気持ちも
相手の気持ちも
何も分からないままになり、
苦しいストレスは何も変わらない。
プラス、そのストレスでうつ病に直結してたり、
そのストレスから一時でも楽になる依存--”せめて体型くらい痩せてなきゃ”って拒食心や、過食の症状でそのストレス一瞬曖昧にしてやりすごす日々、、というな摂食障害の症状が強くなってる人もいて、、
かつては私もその一人でした。
これはたまたま、
恋人・夫婦のことですが
友達でも
親子でも
自分の心に大きな影響を及ぼす重要な相手
だったらなおさら、
自分とのコミュニーションも
相手とのコミュニケーションも
向き合っていくことが必要になってくる
っていうことです。
合わせるか
合わせてもらうか
支配するか
支配されるか
じゃなくて、
コミュニーションを通じて、本当の意味で人生の問題を解決していく方法もあるんだっていうこと、、
早めに知ってほしいと思います。
********
ここで今日の初めのトピックに戻りまして
一つ前の記事(←しつこい
旦那もあったかい人だと私は思うけど、それを温かいと受けとれるのは、私が私の内側とちゃんと向き合い、コミュニケーション
(自分の気持ちと向き合い気持ちを伝える・相手の気持ちの聞く)というプロセスを頑張ったから
というのも、
一つ本当にあるので、
私のおかげも一つある
ほんと、当時は本当に彼ともうまくいかなくて、、
よく傷ついて
よく泣いて
よく怒鳴って
酷いときは、物を投げて破壊しちゃったり
・・とかしてたころもあったんだ。
それは
コミュニケーションの必要性わかってなかったことも一つの理由だけど、
拒食・過食嘔吐・ダイエットと非嘔吐過食の繰り返し・下剤乱用・栄養状態を上回る過剰な運動…などにより、脳も体も栄養不足キレやすくなってたから
ということも、心身両方から出ていた症状だったと思います。
今はあの頃は嘘みたいにとても穏やかに生きています。
今苦しい皆も大丈夫!
食べることも、コミュニケーションと向き合うことも怖いかもしれないけれど、大丈夫な未来は、今の延長線上にあるんだよ。