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ここからは、依存症・摂食障害の治し方、治り方について。
*昨日の記事でお伝えしたように、摂食障害=「痩せること・食べるコトへの依存ととらえて話をすすめています。
*以下の赤字部分は先日紹介した薬物依存症についての松本先生のお言葉です。
引用元は薬物依存の記事ですのでもちろんその性質も治り方や治し方も、痩せること・食べることへの依存とは徹底的な違いはあります。
ですが、「依存症」ととらえた場合に「共通する部分」と、摂食障害にも「応用できる部分」「応用した場合の解釈」を書いていきます。
>薬物依存症は病気だということです。治らない慢性疾患の病気です。
薬物に手を出す前の状態に完全に戻ることができるかというと、できません。
>治らないというと、どきっとする方もいると思うのですが、回復はできます。
高血圧とか糖尿病なんかと同じです。病気を発症する前の健康状態まで戻すのではなく、自分が抱えている病気と上手に付き合って症状を抑止していく。
病気と付き合っていきながら、症状を抑止していく病気って少なくないんですよ。適切なサポートがあれば、上手に付き合って、社会復帰できる。これが大事なんです。
■摂食障害は
治る病気?治らない病気?
摂食障害についても「治る」っていう先生もいるし、治らないっていう先生もいるんだよね…。
私は、治らないって言われたら言葉のイメージで「今の苦しみは一生続きます」って意味にきこえるので治りますっていってきたし、そういう先生の本を紹介してる。
でも、「治らない」っていう人も、実は、私が書いてきた治るの意味と同じことをいってる場合もあると思うんだよ。
それを知っておくと、お医者さんやテレビや誰かがうっかり「依存症だから治らないよ」的なことをいっても、自分の中で書き換えることができる。
必要以上にパニックになったり傷ついたりすることから自分の身を守ることができます。
■摂食障害は
「治る病気」=「治らない病気」
へ???って感じだとおもいますが
それがどんなことをさすのか今から書きます。
まず、クスリは「体内にいれても少しだったら大丈夫」とか「時々だったら楽しめる」わけじゃないので、まずは体から抜いて、その後も残る「欲求」のスイッチがオンにならないよう、生涯を通して体にいれないすむようになることで回復&健康維持を目指す。
だから「治らない」けど、「回復はできる」ってかいてある。
じゃあ、摂食障害は「痩せること」「食べること」の依存なのだから、ダイエット・食べ物を体から抜かない限り、一日中痩せること、食べることに支配されるほどの痩せたい欲求・食べたい欲求が治らないのか、
といえばそれはもちろんNOです。
当たり前だけど
食べること続けてたって、治るよ。
逆に、他の記事でも書いてるように、痩せたい、食べたいを、否定してたら、痩せたいって思っちゃ駄目、体にいれちゃだめなんて否定してたらなおらんよ(/_;)。
(↑これ、薬物依存の他の赤字にした部分で、”まずは欲求を認めるところから始める”ってあったけど、
ここも摂食障害にもいえることなので、後ほどのページですこしずつ説明ししていきます。 ⇒こちらの記事)
ソフトドラッグといわれるジャンクフードだって、いまは口に入れたら過食になってるひとも、ふつうに楽しめるようになります。
摂食障害は 痩せたいも食べたいも、
欲求そのものが病気なわけじゃなくて欲求の「程度」が病気なわけです。
”生活のバランス、痩せる食べる以外のほかの全ての楽しみや、心身の健康を犠牲にしてまでも”痩せたい食べたいになってる、その程度が。
そもそも痩せたいも食べたいも、それ自体は健康な人にもある欲求ですから。
なので、
摂食障害の回復っていうのは
痩せたい・食べたい欲求そのものを
「なくす」必要はまったくなくて
欲求の「程度」をラクにしていくってことになる。
一日中とまらない痩せたい「程度」も一日中食べたいのあの「程度」も、治るよ。
事実、私もあのころは、毎日毎日、一日中、痩せること《体重・体型》のことに思考が支配されて、一日中一年中体重増加におびえていたも今は平和に過ごしています。
一日中食べ物のことが頭をめぐっているわけでもなければ、一日中過食していたころのような過食衝動もありません。
でも病気真っ只中では「治す」のイメージが「痩せたい」や「過食したい」の欲求に支配されてるものすごい「程度」まま、行動だけ「ダイエットしない」「食べない」ように我慢することだと勘違いして、
意志でとめられない症状を、ひたすら自分の意志のせいにして症状と戦ってる人がいるんだけど、そうじゃないんだよ~。
ダイエット以外のことも「心が」自然に楽しめるようになるし、自然に「今はいらないな」「もうおなか一杯、いらない」って感じる満腹感や満足感を感じるからだの機能も、もとに戻ります。
それでも「治らない」といわれることがあるのは
「完全には」治らない部分=治らなくてもいい部分”も”ある
ってコトじゃないかと思うのよ。
私もこうかいてきました。
体型のことで傷つきやすいとか、敏感だったりする部分は、治る過程でも治ってからも残るかも。
気になりながらも心地よく過ごせるようにはなるけど、病気になる前と同じにはならないかも
って。
みんなでビキニ来てビーチに遊びにいくとか温泉行くとか、毎日鏡で体型みてもぜんぜん気にならず平和に過ごせる心になる人もいるけど、ならない人もいると思う。
だけど、それが平気になるまで痩せる必要はないな、って思える心になればそれで問題なく生きていけるし、立派な回復した状態といえます。
ずっと体型のこと忘れて平和にすごしていても、なんかの拍子で、また体型や体重のことが気になって、痩せたいよ~太るのやだよ~って「強い欲求」を感じるときも、治ってからもでてくるかもしれない
ってもかいてきた。
それでも、「病気に支配されて人生を楽しめない病気の状態からは回復することはできる」んだよ。
「治る病気です」って言ってくれる水島先生の本も紹介してるけど(>こちら)」、これ凄く励みになるしイイ本なのですが、読んでいくと最後のほうに
「治る病気です。でも、もう一生絶対過食しないとはいえない」ってかいてあるんだよね。
*もちろん、一切なくなる人もいるけど、っていう意味だと思うけど、全くゼロになるカタチだけが回復ってコトじゃないっていう意味だと思う。
体型や体重にについても、
全然気にしなくなることが治ること、とはかいてない。
じゃあ なんでそれでも
治る病気ですってかいてるのか、っていうと
体重や体型が気になる気持ちも
日常生活に支障ない過食も
それが完全に無くならなるまで
生きるのが辛い毎日が続くわじゃなく
そんな自分を受け入れて
心も体も健康に平和に過ごせるようになることは可能だから」
「それが完全になくならなくても
症状とうまく付き合っていくことで
病気になる前よりラクに楽しく
生きられるようになることは可能だから」
■症状と上手に付き合っていくとは?
健康な人だって痩せたいって思うし
たまに無理したら逆に太った食べ過ぎたはあるし
やけ食いや気晴らし食い位だって
別に病気じゃなくたって
する人はするんだから、
キッチリ食や運動を”管理してるからって
たまに無理なダイエットしちゃったからって、
時々過食がでてくるからって
⇒だから 治ってない ずっと治らない
じゃないよね??
私はこの10年かもっとの間、
過食したかときかれたら、ありません。
でも、病気のときなら、そこから過食スイッチが入っていたと思われる「あの時の自分だったら許せない量や食べ方《=自分的に過食》」くらいなら、してるときは、あるかもしれない。
それ駄目と思ってないから気にならないだけで。
ダイエットも、気になる時は気になる。
普段気にならないのに
自分の体型がもうイヤだ~ってなる波もあったよー。
そうなるのも駄目と思ってないから
気になってることが気にならないだけで。
じゃあそれって治ってないってことじゃんっていわれたらそーなのかもしれない。
でも、別に私は生活に支障なくラクに楽しく生きてます。
そうなるのが
いけないことって思ってないので
「安全」で「平和」に過ごせてるのです。
それは、自分の、やせたい願望が刺激されやすい、心身ののストレスが限界に達すると、痩せたいまたは食べたいがスイッチが入りやすい、、という自分の特性を
「減らすことはできるけれどもゼロにはならない」
ものだととらえて、
だったら
そんな自分とうまくつきっていこう
ってダイエットを含めた生き方全体を
自分軸に切り替えたから症状自体も気にならない程度になってきたんだよ。
っていうのも書いてきたとおりです。
たとえば
そんな自分のスイッチが入りにくい自分にあった食べ方や動き方《ダイエット情報)、
そんな自分がここちよくすごせる生き方や考え方、
そんな自分のままで心地よく付き合える人や環境、仕事や趣味。
・・・などなど、全部
できる限り、
こんな自分にあうものを
自分で取捨選択することをしてきた・いる、から
症状に支配されないですごせるようになったの。
あんなにくるしい
ダイエットや過食に依存して
脳にばーって快楽ホルモン出してまで
麻痺させる必要のあるほどの心身のストレス、抱えなくなってきた。
取捨選択ってことは
選ぶこともするけど
いらないものは捨てる、ってことでもあります。
スイッチがはいるような情報や考え方は、避ける。
正論でもふつうでも自分に押し付けないでいい。
*病気になる前や病気のときって「こうすべき」「できないのはおかしい」で自分縛って
それを許してこなかった。
体重計で振り回されるなら乗らないっていうのもその一つ。
雑誌のモデルやダイエット番組でスイッチ入るならできるだけ、見ない。
体重や体型を変えるなど将来に目線をおくダイエットから離れるのもその一つ。
ダイエットがやめられないなら、そんな自分もみとめて、できるだけ自分がラクに付き合えるダイエット論を選ぶ。
*それが私の場合は、本やブログにかいてる心身の声を聴いて食べる&運動する&生きるというダイエット論だった。
ふつうの”やり方”に従って理想体重や体型を自分に押し付けるダイエット方法とは、少しずつ距離をおくようにした。
君子危うきに近寄らず。
~べき、~ねば、世間や他人のふつうや正しさを自分におしつけないでいい。
それを実行してきたから私も
楽~になってきて
楽~になってきたから
痩せたい 食べたいの症状もよくなってきた。
そんなわけなんですね。
あの記事で みんながひっかかったラーメンのたとえは、摂食障害の場合は「食べることを受け入れる」ことで回復していく病気なので、あの例はまったくあの通りではないけれど
あの文章で表現されてることも同じことで、
どんな状況でも欲望に
負けない自分になろうって
強くなろうとしなくていいから、
自分の依存を認めて
逃げること,非難すること、避けることも含めて
自分自身が心地よくいられる
情報や環境、人、考え方を選べばいい、
辛くなるなら取り入れなくていいから
強くなるより賢くなろう
《あの記事にもでてきたね?)
っていうことが、かかれてるんだよね。
ラーメンを買い置きしないことについては、摂食障害の人は買い置きしないほうが平和な人もいるし、逆に買い置きがきれると不安なひともいろいろいろだから、そこはどっちってきまってないよ。
**
人によっては、
何ヶ月、何年かに一回とか
何か 対応できないストレスにぶつかったときだけとか、
過食が出てくるっていう人もいるよね。
それでも、それも本人が辛いなら辛いんだよ。
だけど、それくらいになったら
日常生活に支障があるわけじゃない。
だから辛くないっていってるわけじゃなくて
そこまでラクになっても
「絶望的」になってしまうのだとしたら、それは
症状を「出るべきでないもの」
「いけないもの」ってって否定するから、なわけなのよね??
で、その症状否定するストレスが
また更なる症状や苦しい心を作りだす悪循環になる(/_;)
だからね、
治るよっていってる先生も、私も
症状がある限り駄目じゃなくて
症状を自分のストレスの指針として
使えるようになれば、ラクになるんだよ。
症状にふりまわされず
自分がラクに生きられるようになればいい。
そうなれば、症状が出ても病気ではないよ、
っていうことをいってるんだ。
「いや、辛いよ、ラクじゃないよ・・・」
て感じるなら、まだ、回復の余地があるってことだと思うよ。
治ってからだって、健康な人だって
「より心地よく」生きられるようになることも可能だし、そのために、ストレスから身を守る考え方を身につけてよりラクになっていくこともできます。
今の私も、これから一生、症状が出ないかっていったら、出ないと思うけれども、それはわからないね~って思ってます。
でもだからjこそ、
「症状を心身のストレス&ケアの
指針として使う」。
症状がでた、あ、なんか体、あるいは、心、あるいはどっちも、ストレスかかってたのかな。
私、無理してたことがあれば手を抜いてみよう。避けられるものは避けてみよう。
・・・て自分の心身を振り返って、自分をねぎらって、またラクになって日常生活に戻れるようになったら、
それって、病気になる前よりラクに生きられるようになるってことだよね。
病気になる前の状態に
戻らない部分はあっても、
病気になる前より、
むしろラクに生きられるようになる
こういう状態を
私は「治る」って思ってるけれども
同じ状態を
依存症だから治らない、という
先生やテレビもあるだけ、って思っといたらいい。
言葉がどっちだって
ラクに生きられるようになるんだよ。
依存症って言葉にネガティブなイメージを持ってる人は、その言葉だけで人生否定されたように感じるかもしれないけど、
このページも、今まで書いてきたことも、その言葉から思いつく自分のイメージじゃなくて、もう一度その言葉で書かれている意味を、かみ締めて読んでみてほしい。
治らないといわれたらいやなのは
今の苦しいのがずっと続くって意味だと思うから。
でもそうじゃない。
今のその苦しみは、ラクになる。
「完全に」は治らない「部分」があっても
自分自身がそれとうまくつきあってれば
ラクに楽しく充実した人生をおくれるようになるんだ。
治らないその「部分」は、
治らないんだから
「治さなきゃ」「治らない」・・って
症状と戦っては自分を責めるなんてこと、しなくていい。
ただ 今の自分自身が
「より心地よくラクに生きる」ために
今の自分にとって
心地よい選択をすることを続けてればいいんだ。
・・・・って思えると
たまに症状でてきても
症状が消えないことがストレスでまた過食、
。。っていう悪循環にならないよ。
どこかのお医者様やテレビなんかで
「依存症だから治らない」っていってるのを見聞きしても、
その意味を絶望的に解釈するんじゃなくて
「ああ、あれは治らないといえば
そういう言い方もできるけど、
あれは治るって意味だから大丈夫」
って意味に自分でかきなおせる。
↑これもあるね。
なぜ、依存症の記事を取り上げた意味。
いま、食欲も心も、「完全に」「いい状態で止める」のが回復の形だと思い描いてるとき(ひと)はそんな治り方、いやだって思うかもしれないけれども・・・。
多分わたしも、依存スイッチは持ってて
私の中に眠ってるのは感じる。
誰でも何かしらに「依存」してるもの・・
っていうのも後でかくけれども
依存てことばが好きじゃなかったらスイッチってよぼうか?。
私もスイッチもってるからこそ
ダイエットに対する考え方も
心の「あり方」「生き方」も
そんな自分がここちよく過ごせる
食べ方・生き方としを取捨選択してきたの。
本やブログにまとめてきた
体の声を聞く食べ方や運動、生き方のこと
対人関係、コミュニケーションのこともそう。
私はこんなスイッチもってるんだって認めるから
テレビで紹介してるダイエットや
誰かが紹介してるストイックなダイエットや
ストイックな生き方をしよう、これが正しい!って誰かに言われても、
できないどうしよう、やらなきゃ(/_;)
じゃなくて
「私にはあわないんだから
できなくていいし、やらんでいいし」
と思えるわけだよ。
できるのが、やるのがふつうなのに
私はできないって自分責めてたころは
それで症状のスイッチオンになってたけど
おかげさまで今は穏やかです。
***
「依存症」っていう言葉が
自分にとっていいか悪いか
「治る病気」というのがいいか
「治らない病気」というのがいいか
それは好みの問題だから、
それぞれお好みで選んでくださいネ。
だいぶ昔と比べてラクになってきて
ぶり返しのたび敗北感と罪悪感、
自分てなんてだめなんだろうって苦しんでる人は
このページにかいてきたような意味で
「治らない部分がある」
「依存症」って考えるほうが、ラクになるみたいです。
あまり好きじゃないひとも、治らないも、治ると同じような意味なんだって知っとくと、ここのブログ以外のところでいわれたとき、自分を守れると思うよ。
最後に、繰り返しますが、
あの、一口たべたらも~のすごい過食衝動や、一日中体重と体型に支配されちゃう「程度」のの痩せたい欲求は、治ります。
ちょっぴり傷つきやすいとか敏感な部分は残るかもしれないけれども、そんな自分とうまく付き合っていけば、全く問題ではなくなります
それどころか、病気になる前よりラクに楽しく生きられる人生になります。
今日はここまでです。
またねー。
>>次へ続く (まずは「痩せたい症状」「食べたい症状」を認める(回復の指針その1)
▼依存症シリーズ一覧
■「痩せること」「食べること」に”依存する”とは(依存症とは-その3)
■摂食障害の背景にストレス、大切なものランキングが”痩せるか”絡みになる-(依存症とは-その4)
■摂食障害・依存症の人は強さにとらわれている・頑固である-〔依存症とは-その5)
■摂食障害と薬物・アルコール依存は違うのではないですか?〔依存症とは-その6)
《依存症からの回復》
*その1はこの記事
摂食障害からの回復、体に「入れる」「満たす」がキーワード(回復の指針その2)
摂食障害の心の回復、健康的な依存対象を増やす=快楽物質の分泌経路を増やす(回復の指針その3)
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