藤本英昭
1972年8月1日
外野手
経歴
7歳から野球を始める。
88-90年:東城国際高校
1年秋から外野のレギュラーを獲得。
3年夏に夏季全国高校野球選手権大会に出場し、ベスト8進出を果たす。自身も4番打者として2本塁打を記録。
高校通算打率は6割を超え、通算本塁打数は44本。
3年秋に1990年プロ野球ドラフト会議にてテクノライツより5位指名を受け入団。
91-95年:テクノライツ
二軍で2度、三冠王(打率、本塁打、打点)に輝くも、一軍の厚い外野陣(永井哲也、福島泰志、大林昭仁ら)に阻まれ、出場機会が最多で25試合(1994年)にとどまった。
1995年オフ、光星ライティングスにトレードにより移籍が決まった(トレード相手は捕手の五十嵐雄貴)。
96-10年:光星ライティングス
移籍2年目(1997年)に外野のレギュラーを獲得し自己最多の132試合(打率.268、12本塁打、75打点、24盗塁)に出場し、年俸も3000万円(推定)に大幅増額した(前年は推定750万円)。
2000年は初めて打率3割以上(打率.305、24本塁打、107打点、28盗塁)をマークし、年俸も1億円(推定)に到達した。
2002年にはトリプルスリー(打率.322、32本塁打、138打点、35盗塁)達成。年俸は3億円(推定)まで上昇。MVP獲得。
2003年に通算1000本安打到達。
2010年に通算2000本安打、通算300本塁打に到達。オフにFA権を行使し、東海ファントムズに移籍。
11-13年:東海ファントムズ
2012年には代打での出場が中心となり、「代打の切り札」としてチャンスの場面で活躍した。
2013年に現役引退。
現役引退後
2014年より、野球解説者に転身した。
2018年に宝東首都知事選挙に立候補。
※この内容はフィクションです。
(東京都知事選挙とは一切関係ございません!)
某大学の助教授、某会社の社長とは一切関係ありません!
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