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継母になって 15年半が経ちました。

 

継子たち(以下、継長男・継娘) と その実父=夫 との 継母生活の経験を

(現在は 継子との同居は卒業しました)

 

自分の心の整理と、
 
これから 継母経験を 深める方々へ
ここまでに ならないように と 祈りつつ
反面教師など…何等かの お役に立てば という 思いで 
 
綴っています。
 
趣旨をご理解いただける方に お読みいただけたら 嬉しく思います。
どうぞ よろしくお願いします。
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昔の私と 今の私では 「自己肯定感」 の解釈が 変わりました。

 

 

以前は、

自己肯定感って、

こんなことができる!こんなに良くできた!こんなに良く評価された!
私ってすごい、僕ってすごい。
  :
そんな風に 思えること だと思っていました。

 


だから、夫が

「僕って すごい?」 と よく言ったり、

自慢話を よくしてきたので、

自己肯定感が高い人… と思っていました。



私は 当時の解釈の 自己肯定感を 守るために、

いろいろと 一生懸命すぎた の かもしれません。

継子のことも。






でも今の 解釈は 違います。

すごかろうとも すごくなくとも

足りない部分が あろうと なかろうと

そのままの自分を OKと思えること、 愛しいと思えること…

 

それが、自己肯定感の高い人。
そんな解釈に 変わりました。

 

 

周りの人の存在に 温かみを感じて

安心感があって、心が安全なこと。
それも 自己肯定感が高い、なんだな、って。


だから 実は 自慢話をしてくる夫も

自己肯定感が 低いんじゃないか… 

自慢することで 他者から 認められることで、

低い自己肯定感を 上げようとする 行為なのかも… と思ったり。





子どもの頃の 私は、

衣食住的には 安全はあったけれど 安心はなくて、

心の 安心感や 安全感は なくて。

 

自分のことは 自分で 守らなきゃ… と 思って、

そんな気持ちで 勉強も してた。

「そこの位置」 を 自分で 守るために。

  :

本当の自己肯定感の低さを、カバーするための、
鎧みたいな ものだったのかな…。

 

いろんな場面での 今で言う「生きづらさ」 みたいな感じは
自分の 心の奥に どんどん 隠していった。

 

 

 

 

 

 

解釈が 変わるまでは、

(継子も含めて) 子育てを する中で、

自身が そうであったように

  自立・自律できるように

という 思いが 一番先頭に 来ていたと思う。




だから

子どもの 安心・安全感を 育てることへの

 理解がないまま、

 意識がないまま、

 

 (自身の育ってきた環境次第で 意識しないでも できる人も

  たくさん いらっしゃるんだろうけど)

 

しつけ や ルール や 学び の 習得 に

目を 向けすぎていたのかもしれない。 いや、向けすぎていた。

もっともっと 「よしよし。 大丈夫。」 が 必要だったんだよね。
子どもにも。 私自身にも。





今の解釈では…

 

人生の 真のチャレンジ は
  心の 安心感・安全感が しっかり育った上でこそ

  できることなのかな… って思う。
 

 

 

 

アダルトチルドレン的な 大人は、

安心・安全感を 親から もらい損ねていても

自分自身で 獲得していくこともできる。

 

  それが アダルトチルドレンの 克服でもあるのかな。

 

 

 

私も 以前よりは 安心・安全感が 何か を

わかるように なってきてるだろうけれど…。

 

  数十年後の 私からしたら、

   「まだまだ わかってないこと あるわよ。」

  と 言われるかもしれないかな(笑)。

 

 

 

 

 

今日も ここまで お読みくださり ありがとうございました。