すべてを糧に。 にお立ち寄りくださり ありがとうございます。
継息子(以下、長男) と 継娘(以下、娘)との、11年余りの継母生活について
自分の心の整理と、
これから 継母経験を 深める方々へ
ここまでに ならないように と 祈りつつ
反面教師など…何等かの お役に立てば という 思いで 綴っています。
趣旨をご理解いただける方に お読みいただけたら 嬉しく思います。
どうぞ よろしくお願いします。 (勝手ながらアメトピ掲載はお断りします。)
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前回の記事に関して…
問題のある 里子と 継子との 共通点。
それは 育ちの過程で 愛着に 問題を抱えていることだと 思う。
逆に
愛着に 大きな問題を抱えていない 里子や 継子は
おそらく 新しい家族とも それなりに やれているのではないか。
幼い頃の 愛着の問題は
里親でも 継親でも …
そして プロであっても!
簡単に 対応しきれないぐらいの 困難極まる問題。
そのことを 世間に 周知する必要があると 思う。
何なら 高校や 大学の 授業で 取り入れてほしいと思うのですが…。
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2年前の春… が 一番 長男が 手に負えなかった。
本当に ひどかった。
一言で言うと 「人」 としての 目を 失っていた。
春から あらためて 通院しはじめた 新しい病院の先生に 相談の上、
長男の 頭を冷やしてもらうため、
長男本人に 精神科に入院することを 決断させた のが
ちょうど 2年前の 6月…。
ある春のこと
何が あったのか もう 覚えては いないけれど、
長男に すべき 重要な話が あったんだと思う。
他人の免許証の コピーが あった件か…
他人の ATM利用明細が あった件だったか…
それとも なんだったか…
どこにいるのか? いつ帰るのか? という問いに対して、
ウソが わかったので、
「今から そこ 見に行くわ。」 という やりとりが あったんだと思う。
そして
「もう そこには いなくて ここに いる。」 と 振り回された。
どうにも 長男が 見つからなくて
困り果てて 警察に そのまま 相談しに行った。
その1か月の間 少年課には 相談に行っており、
長男へも 心のこもった お説教を してくださったこともあった警察。
今回は 夜勤の方の対応だったけれど、
話を聞いてくださり 少年課へ 報告しておきます、と 言って下さった。
そんな最中に 夫から 長男が 帰宅した、 という 連絡も入った。
もう ホント 長男に どう接すればいいのか わからなくって わからなくって
それこそ
「スキンシップ」 みたいに 体に 触れてあげた方が いいのだろうか…
そんなことしか 思いつかないぐらい 私の心は しんどかった。
そして リビングで 長男の顔を 見るなり、
私は 長男に 近づいて、
「もー どこに 行ってたの!!! 探し回ったのよ!!!」
とか 言ったのかな…
そんなことを 言いながら、
長男の頭を もじゃもじゃと 触った。
…そうしたら 長男は…
「気持ちわりーっ!!! 触るなっ!!!」
と 切れた。
絶対に 消えない 思い出。
もう 長男に 触れるものか! 触れた私が バカだった、 と 思った思い出。
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幼い頃の 愛着に 問題を抱えたままの 子ども・人間は、
・実母に 愛着の穴を 埋めてもらう
または
・本人自身が 大人になって 目覚めて 愛着の思いを 消化・昇華 する
の どちらかしか 道は ないのでは? と
私の 勝手な思いながら そう 感じている。
そして そもそも そんな 愛着の問題を 子どもに抱えさせた 実母では、
子どもの 愛着の 穴を 埋められないだろう とも 思っている。
- そもそも 愛着に問題の ない子は 母親が 引き取っているだろう。
継母が いくら 頑張っても、
里親が いくら 頑張っても、
幼い頃の 愛着に 問題を抱えたままの 子ども・人間は、
育てる側に とっては 困難極まりない 子育てになる。
それこそ 「限界」 が ある、 と 私は 思う。
褒めれば 調子に 乗りすぎて 人を 蔑む行動に 出る。
わからせよう と スマホを 取り上げたり… などすれば
被害者意識を 周りに ばらまく。
見えないところで ばれなければいい精神で 背信行為 考え、 行動する。
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そんな 私たち 里親・継母が できる 限界は、
「悪いこと以外も 見てますよ」 という サインを 出すことまで なのかもしれない。
「帰ったのね」 「食べたのね」 「お風呂入ったのね」 「着替えたのね」
否定的でない 当たり前の行為を 口ずさむ。
文句や 指摘したいことが 山ほど ある中、
不適切な行動だけが 継母から もらえる 言葉だと 継子が 察してしまったら、
構ってもらいたいが ために、
不適切な行動を し続ける可能性がある。
そうならないための 「当たり前の行為を 口ずさむこと」。
このことに 私が 気づいた時には
もう 長男とは 別居になって いたけれど…
でも 娘に対しては 役だっている。
そして 「当たり前の行為を 口ずさむこと」 は 実子(セメント) にも 役だっている。
継子に対して、
もう 顔も 見たくない と 思ったり、
拒絶反応が 起こったりも するけれど、
でも なんだかんだで、
どうにか ならないか と 模索してしまうのも 私たち 継母の 現実…
本当に 何もしないぞ! と 思っても、
どうにか ならないか と 模索してしまうのも 私たち 継母の 現実…
そんな中、
「当たり前の行為を 口ずさむこと」
ここまでが
継母が 「無理を し過ぎずにできる 限界」 なのかもしれない、
と 思う私です。
今日も ここまで お読みくださり ありがとうございました。