【今回の記事】

【記事の概要】
いじめが一向に減らない現実を前にして、どのように子供を守るべきなのだろうか。教育研究家の石川幸夫さんが解説する。「子供は小さなけんか諍い(いさかい)から、まずは自分の痛みを知り、痛みに対処する方法を学び、次に相手への痛みをおもんぱかる感覚を学びます。ですが、今は少子化や核家族化の影響で、子供を守ろうとする親の意識が強すぎ、小さなけんかや諍いさえ排除されてしまいます。その経験不足から、子供たちが打たれ弱くなり、危機に陥った際の対処法がわからず、短絡的に自殺という最終手段に出てしまうんです。子供が危機に直面している時やけんかしている時には、よっぽどの場合を除いて、親が介入することを我慢することも必要です」
   近年は子供たちの自主性に重きを置いた「叱らない子育て」を賛美する向きもある。しかし、学校における集団生活は時に人間関係のトラブルを孕み、社会は往々にして厳しいものだ。そこに至るまでの間に、自殺を選択肢から外す「打たれ強さ」を授けてもらえない子供たちは、いじめとはまた別の“被害者”なのではないだろうか。幼児教育研究家の平川裕貴さんが続ける。「頭ごなしにガミガミ叱ることは、最近は悪だとされる傾向があります。ですが、時には親が感情をあらわにして叱ることがあってもいいと思います。それは“自分を庇護してくれる親でさえ、感情を持った人間なんだ”ということを教えることになります。“人は感情的になることがある”ということを経験則で知っていれば、池田中のような行きすぎた感情的な指導に遭遇したときにも、状況をある程度客観的かつ冷静に受け止めることができるかもしれません」いじめや指導死は悪である。だが、そういったものを世の中から駆逐することが現実的ではない今、必要なのは「生かすために叱る」ことなのかもしれない。

子どもが打たれ弱くなる、親のNG行動5つ(1)危険や失敗を先回りして回避する
   チャレンジ精神が旺盛であるほど、失敗も当然ながら多くなります。が、どんな失敗も人生勉強です。失敗を回避するということは、人生勉強の経験を失わせていることになります。
(2)失敗の尻拭いをしてしまう
   忘れ物を届けたことがある、先生がした子どもへの対応にクレームをつける、子ども同士のケンカに口を出す……。このどれかをしたことがある方は、要注意です。子どもが自分で考えてなんとかするチャンスを、親が横取りしています(3)先回りして行動を指示する
「次はアレして、その次はコレ」と、口うるさく言っていませんか?最終的に時間が足りなくなった、うまくいかない、などの経験を奪っていては、いつまで経っても自分で考えて行動するようになりません
(4)生活を管理しすぎる
   マジメで常識的な親ほど、生活に“遊び”がありません。日常から逸脱したい子どもの欲求を抑えつけすぎていると、子ども自ら“コレがやりたい!”と訴える意欲が失われてしまいます
(5)出来た“結果”を引き合いにしたり、人と比較して褒める
  “絵が上手”、“問題が正解だった”などと“結果”自体を褒めたり他の子に比べて“出来た”からと褒めたりしていると、逆に子どもは自信を失っていきます。なぜかと言うと、親が褒めるのは自分が好きだからではなく、“何かを出来る自分”だと解釈するからです(できない自分は嫌い)。

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【感想】
   記事①の前段で指摘されているのは次の点です。
子供を守ろうとする親の意識が強すぎ、小さなけんかや諍いさえ排除されてしまいます」
「その経験不足から、子供たちが打たれ弱くなり、危機に陥った際の対処法がわからず短絡的に自殺という最終手段に出てしまう」
   また、記事②では、一貫して、親が世話をし過ぎることによって自分で考え判断する力を奪ってしまうことの問題性を指摘しています。
   いずれも、親の過干渉によって、子供が直面する問題や危機に対して自分で考えて乗り越える経験が奪われてしまっているために“打たれ弱い”子供になってしまう事が問題視されています。そのために、記事①では子供が危機に直面している時けんかしている時には、よっぽどの場合を除いて、親が介入することを我慢することも必要」と指摘しています。
   つまり、子供が問題や危機に直面しても、子供に任せて親は一歩離れた所から見守っているという「自立4支援」の考え方が、“自立性”の他に、“打たれ強さ”を身に付けることにも繋がるようです。

   さて、記事①で紹介されている「池田中のような行きすぎた感情的な指導」とは、昨年の3月に福井県の池田中学校の中学2年生の男子生徒が担任と副担任の過度に厳しい叱責を苦に自殺した事件の事です。
   これに関わって、記事①では、「『親でさえ、感情を持った人間なんだ』と知っていれば、(先生から叱られる)状況をある程度客観的かつ冷静に受け止めることができるかも知れない。だから時には(親が)感情をあらわにして叱ることがあってもいいという指摘がなされています。
   しかし、この考え方は少し乱暴ではないかと私は思います。これは、「叱らない子育て」を支持する家庭を念頭に置いた指摘であり、実際には、「親による否定的・支配的な養育が多くの家庭で行われている」と精神科医の岡田氏が危惧しており、現実に親子間の関係が破綻して殺傷事件や殺人事件まで起きているのです。ここに更に「時には(親が)感情をあらわにして叱ることがあってもいい」という指摘を肯定すると、親子間の「愛着(愛の絆)」に一層傷が深く残る恐れがあります。
   また、「時には(親が)感情をあらわにして叱ることがあってもいい」と言ったときに、「どんな時?」がハッキリしていないと、親の気分次第で子供に感情をぶつける事になり、子供の「見通しの立つ安心できる環境で生活したい」という「安全の欲求」が満たされないことに加え、予測不可能な親の行動が要因となる「混乱型」の人格になる危険があります。
   また、「時には感情的に叱ってもいい」となると、子供を褒める時と叱る時との親の態度のギャップが大きくなる恐れも出てきます。すると今度は、親の顔色ばかりを伺い嫌われないように行動する「不安型」の人格を持つ子供になり、その結果、いつも他人の顔色を伺い相手の気分を害さないように怯えるようになり、結果的にいじめなどの被害にも遭い易くなると考えられます。
   これら「混乱型」や「不安型」という不安定な人格は、親との「愛着(愛の絆)」が形成されていない、いわゆる“愛着不全”の現れですが、“愛着不全”にしない叱り方をしないと、不安定な人格の子供にしてしまいます。逆に言えば、“愛着不全にしない叱り方をすれば叱ってもいいのであり、「叱らない子育て」という偏った考え方をする必要もなくなるのです。