第三回 東北支援 報告 | cafe Stay Happy カフェ ステイ ハッピー 東京 下北沢の旅カフェ こたつ ハンモック オーガニック 自然派ワイン

第三回 東北支援 報告

cafe Stay Happy カフェ ステイハッピー 東京 下北沢の旅カフェ~世界一周の旅からカフェOPENまで~  この垂れ幕は印象的


cafe Stay Happy カフェ ステイハッピー 東京 下北沢の旅カフェ~世界一周の旅からカフェOPENまで~  これが埼玉県の廃校となった騎西高校

cafe Stay Happy カフェ ステイハッピー 東京 下北沢の旅カフェ~世界一周の旅からカフェOPENまで~  寄せ書きが至る所に


cafe Stay Happy カフェ ステイハッピー 東京 下北沢の旅カフェ~世界一周の旅からカフェOPENまで~  千羽鶴には希望の文字が


cafe Stay Happy カフェ ステイハッピー 東京 下北沢の旅カフェ~世界一周の旅からカフェOPENまで~  広い高校の学食をお借りして


cafe Stay Happy カフェ ステイハッピー 東京 下北沢の旅カフェ~世界一周の旅からカフェOPENまで~  校内放送が流れると見る間に行列が

cafe Stay Happy カフェ ステイハッピー 東京 下北沢の旅カフェ~世界一周の旅からカフェOPENまで~  ボランティアの個人店が協力して出店

cafe Stay Happy カフェ ステイハッピー 東京 下北沢の旅カフェ~世界一周の旅からカフェOPENまで~  ユウさんは幾つもの珍しい楽器を操り、花を添える


cafe Stay Happy カフェ ステイハッピー 東京 下北沢の旅カフェ~世界一周の旅からカフェOPENまで~  ここにこれは必要なのか?


cafe Stay Happy カフェ ステイハッピー 東京 下北沢の旅カフェ~世界一周の旅からカフェOPENまで~  スケジュール表には時間割のように催し物が





東北支援の第3回目、今回は福島県の双葉町の被災者向けのカフェ出店

カフェ経営するものとして本来の姿と、ゆっくり寛いで日頃の心労を癒して頂ければと

ペーパードリップのコーヒー、手作り感のあるハチミツレモンソーダ、

お年寄りに受けるかと抹茶ミルク、子供達に100%ストレートジュースにバナナケーキを

携えてやって来たのは埼玉県加須市の高校。


ガランとした学食を彩ろうと、店からラグや雑貨を持ってきて

店のお客さんとして知り合ったユウさんに世界の様々な楽器を

BGMとして弾いてもらおうとご足労を願い、

これからの被災者の方からの要望を聞こうと、アンケートを作成し、

地元の個人のパン屋さんやケーキ屋さんも協力して

なかなかの品ぞろえ。


これで満足してもらえるのではないだろうか、、、と


しかし、校内放送が流れるや否や、被災者の行列ができること1時間。

あれよあれよという間にパンやケーキは、段ボールでつくった大きなお盆の中へ。

すかさずお部屋へ直行のお方が多く、テーブルで寛ぐ方はおりませぬ。


こりゃ、まるで配給だ。 あのキューバで見た社会主義の配給が脳裏をかすめた。


足の悪い高齢者のために、配給を部屋に運ぶ。

人より多くの配給を受け取った者は足早に帰るしかない。

何よりそんな優雅にお茶する者がいない中、できっこない。


これは想定できたことだった、、、。


なのに、なのに、もっと考えて時間に余裕を持って臨めば良かった、、。

レイアウトひとつで随分違ったはずだし、配給方式をとらないでカフェ形式を貫けば

こんなことにはならなかった。


確かに日頃食べられない物が食べれて被災者の方は良かったと思う。

校内に貼ってあった催しスケジュールには、ビッシリといろんなボランティアの方の

予定が詰まっている。毎日何かある。毎日何か、、、


その何かをやったのだ。


震災後半年が過ぎた。

騎西高校に避難している方、およそ800人。

当初1000人を越えていたから、200人の方はここを出た。

そのほとんどは若い夫婦や受験を控える子供を持つ家族。

残ったのはやはり老人


この施設をでても、被災者は家賃を補償される。

しかし光熱費は自分で賄わなければならない。

月13万円の支援金が被災者に渡っている。

でも未来に全く希望が持てない彼らには1円のお金も使う心の余裕はないだろう。


町長室の脇の廊下には多くの求人募集が貼りだされていた。

しかし、働けば支援金が減るシステムなので、わざわざ白い目で見られてまで働きたくないだろうし、

こんなことになったのは国や東電のせいだし、この際一生面倒みてもらおうと思ってもおかしくない。


そして、福島の方には辛い現実だと思うが、あの地に戻ることは非常に難しい事を

国ははっきりと被災者に伝えるべきだ。

そうした国からの告知があってはじめて諦める準備ができるのではないだろうか。

いつまでも叶えられない希望を持たせ、仮住まいをさせていて幸せなわけがない。

気持ちの整理がついて、埼玉で第二の人生を始めようと踏ん切りがついたなら新たな希望を持てる。

それが今の現場をどれだけ明るくするか、行った者だけがわかることだと思う。


今、至る所で脱原発の運動が本気で行われているにも関わらず、

国や電力会社の反応は信じられないくらい鈍い

ブームで終わるとでも思っているのだろうか。

確かに半年たってボランティアの数は減り、

東京の人々も普通の暮らしを取り戻しているのかもしれない。


国民の介在しない所で勝手に首相が変わったが、

それは決して原発を辞めることが前提で変わったわけではないのが

正気の沙汰ではない。 

ここをやり過ごせば、また安泰の時が来ると思っている輩を

徹底的に潰さねば、もう未来はないのに。


アメリカのモルモット実験で死ぬか、アメリカ同盟軍となって戦争に行くかだけは

死んでもやりたくない。日本に命をかけて戦う政治家が現れない限り、

悪は君臨し続けるだろう。


また根本の話になってしまったが、

国にも東電にも、できるのは最低限の住居と食事を配給することしかできない。

でも人が真っ当に生活するのに必要なものは実は希望を持てるか?だけなのではないだろうか。


要はもう原発を止める、だからこんな事はもう起こらないんですよと。安心してくださいと。

犠牲者が一番求めているのは、そのひと言だけなんじゃないかと。


だから双葉町の人々はその「希望」すら与えられずに

言い方は悪いかもしれないが

ただ国に飼われている過ぎないのではないか。


だから我々も他人事では済ませれない時代が来たことを

深く認識しなければ何も変わらない。




最後になりましたが、我々の活動資金となった義援金のご協力を頂いた皆様

ありがとうございました。

今思うところを正直に書き連ねましたが、今後も継続支援は行っていきます。