メイク直しポーチを開けられない夜に、私たちは何を隠しているのですか
六月一日。暦のうえでは衣替えの日で、街の空気も少しだけ白く、軽く、そして湿り気を帯びてきました。朝の駅に立つと、半袖のブラウスを着た人の肩先がまぶしくて、まだ長袖を手放せない自分だけが、季節の切り替えに遅れているような気持ちになります。梅雨入り前の空は、晴れているのにどこか曇っていて、まるで「大丈夫」と言いながら目だけ笑えていない日の自分みたいです。
最近、私はひとつだけ小さな悩みを抱えています。誰にも相談するほどではないけれど、毎日の中でじわじわ心を削ってくる悩みです。それは、外出先でメイク直しポーチを開けられないことです。
たったそれだけ、と言われたら本当にそれだけです。ファンデーションが崩れたとか、リップが落ちたとか、前髪が湿気で言うことを聞かないとか、そういうことは大人の女性なら毎日のようにあります。けれど私が苦手なのは、化粧室の鏡の前でポーチを開ける瞬間です。
あの場所には、独特の緊張感があります。誰もこちらを見ていないはずなのに、隣でリップを塗る人の手つきがあまりに迷いなく美しいと、自分の指先だけが急に不器用に見えてきます。ポーチの中には、使いかけのリップ、少し粉っぽくなったパウダー、期限を覚えていないコンシーラー、そしてなぜかずっと入っている絆創膏があります。どれも私の生活を助けてくれるものなのに、人前で広げた瞬間、生活の疲れまで見られてしまう気がするのです。
きれいになりたいのに、きれいにしている姿を見られたくない日があります
三十代になってから、美容は「かわいくなるため」だけのものではなくなりました。もちろん、かわいくいたい気持ちはあります。できれば肌は明るく見せたいし、顔色の悪さをリップ一本で救えるなら救いたいです。けれど本音を言うと、最近の美容は、誰かに選ばれるためというより、今日の自分を社会に提出するための身だしなみに近いです。
朝、鏡の前で下地を伸ばす時間は、まだ眠い自分に「今日も一応、出席します」と判子を押すような時間です。眉を描くのは、心がぼんやりしていても仕事中にちゃんとして見えるためです。リップを塗るのは、元気ですと口に出さなくても、顔が勝手にそう言ってくれるようにするためです。
でも、その努力の途中経過を見られるのが少し恥ずかしいのです。
たとえば、会社の化粧室でポーチを開けたとき、隣に若い後輩が来ると、私はなぜか急いでしまいます。別に競っているわけではありません。後輩の肌がきれいだから落ち込む、という単純な話でもありません。ただ、彼女のポーチは小さくて軽そうなのに、私のポーチはまるで小さな避難袋みたいに見えるのです。
乾燥したとき用のバーム、血色が消えたとき用のリップ、くすみを隠すためのパウダー、急に人に会うことになったとき用の香りもの。どれも必要だから入れているはずなのに、並べてみると「私はこんなに不安を持ち歩いているんだ」と気づいてしまいます。
きれいになりたい。でも、きれいになろうとして必死な自分は見られたくない。そんなわがままな感情が、ポーチのファスナーに引っかかって、いつも少しだけ開けにくくなるのです。
ポーチの重さは、顔ではなく心の保険の重さかもしれません
バッグの中に入っているメイク直しポーチは、私にとって小さな保険のような存在です。仕事終わりに急な予定が入っても大丈夫なように。昼過ぎに顔色がくすんでも大丈夫なように。好きな人から「今日会える?」と連絡が来ても、慌てずに笑えるように。
でも実際には、そんなドラマみたいな連絡はめったに来ません。来るのは、宅配便の不在通知か、アプリのおすすめ通知か、友人からの「今日、無理せずね」という優しいメッセージです。それなのに私は、毎日ポーチを持ち歩きます。使わない日も、重いなと思いながら持ち歩きます。
なぜでしょう。
たぶん私は、メイク道具そのものではなく、「まだ立て直せる」という感覚を持ち歩きたいのだと思います。朝うまくいかなかった顔も、昼に少し疲れた顔も、夕方にしょんぼりした顔も、あとから少しだけ整えられる。人生そのものは簡単に塗り直せないけれど、リップなら塗り直せます。人間関係の失敗はすぐ消せないけれど、目元のくすみなら少し飛ばせます。そう思えるだけで、今日を最後まで歩ける日があります。
三十代の毎日は、思ったよりも切り替えが多いです。仕事では落ち着いた大人として振る舞い、恋愛では重くなりすぎないように気をつけ、家に帰れば誰にも見せないだらしなさに戻ります。朝の顔、昼の顔、夜の顔。どれも本当の自分なのに、どれか一つだけを本物と決められると苦しくなります。
だからポーチには、ただのコスメではなく、役割を切り替えるための小さなスイッチが入っているのかもしれません。リップを塗ると仕事モードから私生活モードに戻れる。パウダーを重ねると、疲れた顔に「もう少しだけがんばろう」と声をかけられる。香りを手首にのせると、誰かのためではなく自分の輪郭を取り戻せる。
けれど、その保険が重く感じる日もあります。何を入れても不安が消えない日。どれだけ整えても、鏡の中の自分に納得できない日。そういう日は、ポーチの中身を減らすより先に、自分にかけている期待を少し減らしてあげたほうがいいのかもしれません。
その夜、私が開けたポーチから出てきたのはリップではありませんでした
その日は、朝から湿気の多い月曜日でした。六月一日の衣替えに合わせて、白いブラウスを着て出かけたのに、駅に着くころには背中が少し汗ばんでいました。月初の仕事は思ったより忙しく、昼休みもゆっくり取れませんでした。夕方、鏡を見ると、朝の自分がどこかへ行ってしまったような顔をしていました。
その夜、私は久しぶりに婚活アプリで知り合った人と会う予定がありました。正直、そこまで気が乗っていたわけではありません。でも、断る理由も見つからなくて、待ち合わせの三十分前、駅ビルの化粧室に入りました。
鏡の前は混んでいました。きれいな人たちが、それぞれの小さな世界を広げていました。私は端のほうに立ち、バッグからポーチを出しました。ファスナーを開ける手が、少しだけ震えていました。リップを塗って、顔色を足して、何事もなかったように笑えばいい。そう思っていました。
けれど、ポーチの中にあるはずのリップが見当たりませんでした。
焦って奥まで探ると、指先に紙の感触が触れました。出てきたのは、半分に折られた小さなメモでした。最初はレシートだと思いました。でも違いました。そこには、自分の字でこう書いてありました。
「今日は、会いたくないなら帰っていいです。」
一瞬、意味がわかりませんでした。けれどすぐに思い出しました。数か月前、婚活で疲れ切っていた夜、私は未来の自分に向けてこのメモを書いたのです。会う直前に無理をしそうになったら読めるように、ポーチの奥に入れておいたのでした。そのことを、すっかり忘れていました。
私は鏡の前で、リップを探すふりをしながら泣きそうになりました。誰かに選ばれるために顔を直しに来たはずなのに、ポーチの奥から出てきたのは、過去の私が未来の私を守るために残した言葉だったのです。
その瞬間、今日いちばん直すべきだったのはメイクではなく、無理して笑おうとする癖だったのかもしれないと思いました。
私はアプリを開いて、「すみません、今日は体調が優れないので予定を変更させてください」と送りました。嘘ではありませんでした。心の体調が、少しだけ優れなかったのです。
そのあと、駅ビルを出ると、夜風が湿っていました。六月のはじまりらしい、少し重たい風でした。私は白いブラウスの袖をまくって、リップを塗らないまま帰りました。顔色はたぶん、あまりよくなかったと思います。でも不思議と、鏡の中で見たどの顔よりも、自分に戻っている気がしました。
家に帰ってポーチの中身を全部出しました。古いパウダー、乾いたマスカラ、いつのものかわからない試供品。そして、あのメモ。私はそれを捨てずに、もう一度たたんでポーチに戻しました。
メイク直しポーチは、きれいになるためだけのものだと思っていました。でも本当は、自分を飾る道具だけでなく、自分を逃がす許可証も入れておいていい場所だったのです。
だから明日からも、私はポーチを持って出かけます。少し軽くして、でもあのメモだけは残しておきます。きれいに見せたい日も、誰にも会いたくない日も、どちらの私もちゃんと連れて歩けるようにです。
大人になるほど、私たちはうまく塗ることばかり覚えてしまいます。でも、たまには塗らないまま帰る勇気があってもいいのだと思います。六月の夜に、リップより先に自分の本音を取り出せた私は、少しだけ季節に追いつけた気がしました。






