深夜、買わない通販カートだけが私にやさしい夜があります

女性がスマホで通販サイトを閲覧

5月28日。暦のうえでは小満を過ぎ、街路樹の緑が少しずつ濃くなって、雨の匂いが近づいてくる季節です。昼間は半袖でもいいくらいなのに、夜になると少しだけ空気が湿って、窓の外の暗さがやわらかく重たく感じます。

そんな夜に、なぜか私は通販サイトを開いてしまいます。

 

別に今すぐ必要なものがあるわけではありません。洗剤もまだあります。化粧水も底をついたわけではありません。ワンピースだって、クローゼットの中に何枚か眠っています。

それなのに、気づけばスマホの画面を親指でなぞりながら、「これを買ったら少し変われるかもしれない」と思っている自分がいます。

 

新しいルームウェア。
肌がきれいに見えそうな下地。
レビューの良い枕。
痩せ見えしそうなパンツ。
疲れが取れそうな入浴剤。
ちゃんと暮らしている人に見えそうな保存容器。

 

ひとつひとつは小さなものなのに、カートに入れる瞬間だけ、少し未来の自分が整って見えるのです。

買うかどうかは、まだ決めていません。ただカートに入れて、合計金額を見て、少し考えて、また戻って、別の商品を見ます。

深夜の通販カートは、財布ではなく心の中身を映す鏡みたいです。

 

昼間の私は、それなりにちゃんとしています。仕事では笑いますし、メッセージにも返事をします。人前では清潔感も気にしますし、誰かに迷惑をかけないように、そこそこ機嫌よく振る舞っています。

でも夜になると、急にほどけます。

 

誰にも見せていない疲れが出てきます。今日も特別なことは何もできなかったな、と思います。周りの人は結婚したり、家を買ったり、昇進したり、子どもの写真を投稿したりしているのに、私はまた同じ部屋でスマホを見ているだけです。

そんなふうに思った瞬間、通販サイトの明るい画面が、妙にやさしく感じるのです。

「あなたには、まだ選べるものがありますよ」と言われている気がするのです。

買いたいのではなく、“変われる予感”を眺めていたのかもしれません

深夜にカートへ入れるものは、だいたい現実の自分に足りないと感じているものです。

疲れている日は、マッサージグッズを見ます。
肌に自信がない日は、美容液を見ます。
部屋が荒れている日は、収納ボックスを見ます。
恋愛がうまくいかない日は、ワンピースや香水を見ます。
仕事で落ち込んだ日は、資格の本や手帳を見ます。

不思議なことに、商品を見ている時間は少しだけ救われます。

まだ私は変われる。
まだ私は整えられる。
まだ私は、今よりましな明日を選べる。

そんな気がするからです。

けれど、購入ボタンの前で手が止まります。

 

本当に必要なのかな。
また無駄遣いになるかな。
今月カード代が高かったな。
これを買ったところで、私は本当に変わるのかな。

そう考えて、結局カートに入れたまま寝落ちします。

 

朝になると、なぜあんなに欲しかったのかわからないものもあります。深夜の自分が選んだものは、昼間の自分から見ると少し大げさで、少し切なくて、少し恥ずかしいです。

でも私は、その深夜の自分を笑えません。

あの時間の私は、ただ何かを買いたかったわけではないのです。自分を立て直すきっかけが欲しかったのです。

誰かに「大丈夫?」と聞かれたかったのかもしれません。誰かに「今日もよくやったね」と言われたかったのかもしれません。でも大人になると、そんな言葉はなかなか都合よく届きません。

 

だから私は、商品説明を読んでいたのです。

「寝るだけで疲れをケア」
「塗るだけでツヤ肌」
「着るだけでスタイルアップ」
「置くだけで部屋が整う」

本当は、そんなに簡単じゃないとわかっています。

それでも、深夜の心にはその言葉が少し効きます。まるで小さな絆創膏みたいに、今日のささくれた部分を一瞬だけ隠してくれるのです。

 

 


 

カートの中身は、私が口にできなかった本音のリストでした

ある夜、私はふとカートの中身を見返しました。

そこには、買うか迷ったままの商品がいくつも残っていました。

 

きれいめのブラウス。
小さな観葉植物。
鉄分サプリ。
遮光カーテン。
おしゃれなマグカップ。
冷凍スープ。
姿勢を整えるクッション。
やさしい色のアイシャドウ。
一人用の土鍋。

 

最初は「またこんなに入れてる」と思いました。でも、ひとつずつ眺めているうちに、少しだけ気づいたのです。

私は、ブラウスが欲しかったのではなく、仕事の日の朝に自信が欲しかったのです。
観葉植物が欲しかったのではなく、この部屋に生きている気配が欲しかったのです。
鉄分サプリが欲しかったのではなく、理由のわからないだるさに名前をつけたかったのです。
遮光カーテンが欲しかったのではなく、ちゃんと眠れる夜が欲しかったのです。
マグカップが欲しかったのではなく、朝を雑に始めない自分になりたかったのです。
冷凍スープが欲しかったのではなく、疲れて帰った夜に自分を放置したくなかったのです。
一人用の土鍋が欲しかったのではなく、一人の食卓を寂しいものにしたくなかったのです。

 

カートの中身は、物欲ではありませんでした。

私が誰にも言えなかった願いのリストでした。

「もっと大切にされたい」
「もっと眠りたい」
「もっと自信を持ちたい」
「もっと丁寧に暮らしたい」
「もっと誰かに会いたい」
「でも、今夜は誰にも会いたくない」
「一人で平気なふりをしているけど、本当は少し心細い」

そんな本音が、全部商品名に変換されて並んでいたのです。

 

30代になると、悩み方も少し器用になります。泣きたいときに大泣きするより、買い物サイトを開いてしまいます。誰かに相談するより、口コミを読んでしまいます。寂しいと打ち明けるより、「新しい服でも買おうかな」と言ってしまいます。

それは弱さではなく、たぶん生き延びるための小さな工夫です。

ただ、その工夫が続きすぎると、自分の本音がどこにあるのかわからなくなります。

欲しいものを探していたはずなのに、いつの間にか「欲しい自分」を探しているのです。

 

 

 

そして私は、何も買わずに一番高いものを手に入れました

その夜、私はカートの中身を全部削除しました。

少し勇気がいりました。何かを失うような気がしたからです。

でも削除してみると、画面は驚くほど静かになりました。

空っぽのカートを見ながら、私は急におかしくなって笑いました。深夜1時すぎ、部屋着のまま、髪もぼさぼさで、誰に見せるわけでもないのに笑っていました。

そして、ふと思いました。

 

私はずっと、買うことで明日の自分を変えようとしていました。でも本当は、今夜の自分を一度ちゃんと見てあげるだけでよかったのかもしれません。

そこで私は、通販サイトを閉じました。

代わりに、スマホのメモを開きました。

「本当は疲れている」
「本当は誰かに甘えたい」
「本当は結婚したい気持ちもある」
「でも、焦って誰かを選びたくない」
「本当はちゃんと眠りたい」
「本当は自分の部屋を好きになりたい」
「本当は、今の私を失敗だと思いたくない」

そう書いていくうちに、胸の奥にあった重たいものが少しずつ形になっていきました。

そして最後に、私はこう書きました。

「買わなくても、私はまだ終わっていない」

その一文を書いた瞬間、なぜか涙が出ました。

びっくりしたのは、その翌朝です。

 

私は何も買っていないのに、いつもより少しだけ部屋を片づけました。古いマグカップでコーヒーを飲みました。冷蔵庫に残っていた卵で簡単な朝ごはんを作りました。着慣れた服にアイロンをかけました。

新しいものは何も増えていません。

でも、生活が少しだけ戻ってきた気がしました。

 

もしかすると、深夜の通販カートは悪者ではなかったのかもしれません。

あれは私に無駄遣いをさせようとしていたのではなく、私の本音をこっそり翻訳してくれていたのです。

「これが欲しい」の奥に、「こうなりたい」があります。
「買いたい」の奥に、「満たされたい」があります。
「迷っている」の奥に、「今のままでいいのか不安」があります。

 

だから、もし今夜もあなたが買わないカートを眺めているなら、自分を責めなくていいです。

また無駄な時間を過ごしている、なんて思わなくていいです。

 

そのカートの中には、あなたの弱さではなく、あなたがまだ自分をあきらめていない証拠が入っているのかもしれません。

ただ、購入ボタンを押す前に、一度だけ聞いてみてください。

「私はこれが欲しいのかな。それとも、この商品を持っている未来の私に会いたいのかな」

その答えがわかったら、買ってもいいです。買わなくてもいいです。

大事なのは、どちらを選ぶかではありません。

 

深夜の小さな画面越しに、自分の本音を見捨てないことです。

5月の終わり、梅雨の気配が近づく夜に、私たちは少し湿った心を抱えて生きています。からっと晴れた答えなんて、すぐには出ない日もあります。

 

それでも、空っぽにしたカートの中に、私はひとつだけ残しました。

商品ではありません。

「明日も、私をちゃんと連れていく」という約束です。

それは送料無料でも、セール価格でもありません。

でもたぶん、今の私にとって一番高くて、一番必要なものだったのです。