RESET BOX ファスティングセットを、棚の奥に押し込んだ夜
冬の夜って、部屋の輪郭だけがやけにくっきりする。キッチンのシンクに水滴が残っているのも、脱ぎっぱなしの靴下が床に落ちているのも、いつもより「見えてしまう」感じがして、私は暖房の温度を一度上げてから、何となく部屋の電気をひとつ減らした。明るいと現実が鮮明すぎるときがある。今夜はそういう日だった。
帰り道、コンビニの入口で風がまとわりついて、コートの前をぎゅっと閉めた。ああ、寒い。寒いと人は、あったかいものだけじゃなくて、やさしい言葉も欲しくなる。だけど今日は、やさしい言葉を自分に投げる余裕がなかった。欲しいのは慰めじゃなくて、静かな「整理」だったのかもしれない。
部屋に戻って、いつもならすぐお湯を沸かすのに、今日は湯気の気配すら面倒で、冷蔵庫の前で立ち尽くした。開けても、そこにあるのは、食材じゃなくて「判断」だった。今日は何を食べる? 食べない? 作る? 買う? 片づける? 捨てる? それ全部を、30歳の一人暮らしが背負う夜がある。誰にも責められてないのに、なぜか自分だけが、ずっと採点されているみたいな夜。
そこで思い出したのが、棚の奥にしまいっぱなしにしていた「RESET BOX ファスティングセット」だった。買ったときは、もう少し軽い気持ちだったはずなのに。あれから時間が経って、箱は“意思”というより“宿題”みたいになっていた。
私はその箱を、引き出しの奥から引っ張り出した。箱の角が少し潰れていて、まるで私の気持ちみたいだと思って、ひとりで笑いそうになって、結局笑えなかった。
ひとりの夜に、「整える」が重たくなる瞬間
今日の小さな出来事は、ほんとうに小さい。棚の奥から箱を出して、テーブルの上に置いただけ。たったそれだけなのに、私の中では妙に大きな音がした。箱を置いた瞬間、部屋の空気が「さあ、どうする?」って言ってくる。
ファスティングって聞くと、どうしたって“体を整える”とか“軽くなる”とか、そんなイメージがついて回る。だけど今日の私が向き合ったのは、体じゃなかった。自分の暮らしの中に溜まっていた、判断のゴミみたいなもの。気づかないふりをしてきた細かい疲れとか、誰にも言わなかった苛立ちとか、やるべきことをやってるのに満たされない感じとか。
そういうものが、箱のフタを開ける前から、ずるずると出てきた。
そしてそのとき、心の中で浮かんだ本音がある。誰にも言わなかった本音。
「整えるって、なんでこんなに“ちゃんとした人”じゃないとやっちゃいけない感じがするんだろう」
これ、たぶん私だけじゃないと思う。自分を整える行動って、いつの間にか“意識高い人がやること”みたいな棚に置かれていて、私みたいに、洗濯物をたたむのを三日放置する人間が手を伸ばすと、ちょっとだけ罪悪感が出る。笑えるけど、笑えない。
テーブルの上の箱を見ながら、私は自分の中の「やる/やらない」を行ったり来たりさせた。やればいいじゃん、って簡単に言えないのは、別に根性がないからじゃなくて、たぶん怖いからだ。何かを始めるのって、少しだけ、今の自分を否定することにも似ているから。
ちゃんとしたい気持ちと、放っておきたい気持ちが同居する
箱の中身を確認している間、私は何度もスマホを触った。誰かから連絡が来ているわけでもないのに、通知欄を下に引っ張って、何もないのを確認して、また戻る。自分の集中を、わざと散らかしている感じ。こういうときの私は、自分で自分の邪魔をするのがうまい。
ファスティングセットは、きっと「迷わないため」の道具でもあるはずだ。決められたものを、決められたタイミングで、淡々と。なのに私は、そこに余計な意味を足してしまう。
これをやったら、私は少しマシになるのか。
やらなかったら、私はまたダメなのか。
続けられなかったら、どうする。
途中でやめたら、それは失敗?
そもそも、始める必要ある?
頭の中が、意見の違う自分たちで会議している。どれも私なのに、全員が少しずつ意地悪だ。そういう夜がある。
そして、その会議の奥に、さらに小さくて、さらに言いにくい本音が隠れていた。
「私、誰かに見張られてないと、何も決められないのかもしれない」
ひとり暮らしって自由だ。自由だから、誰も止めてくれないし、誰も背中を押してくれない。やるもやらないも自分次第で、その“自分次第”に私はときどき負ける。誰かが「それいいね」って言ってくれたら、たぶん私はもう少し軽く動けるのに、そんな都合のいい審査員はうちにはいない。
わかる…って、こういう瞬間に出る言葉だと思う。
「別に大きな悩みじゃないのに、なんかずっと疲れてる」ってやつ。
“頑張る”より、“選ばない時間”が必要だったと気づく
ここで今日だけの違和感がひとつ出てきた。私、ファスティングを「頑張ること」だと思っていた。だから重かった。だから棚の奥にしまっていた。
でも、箱を前にしているうちに、ふと気づいた。ファスティングって、もしかしたら“頑張る”じゃなくて、“選ばない時間”を作ることなのかもしれないって。
一人暮らしって、毎日選択の連続だ。仕事の返事の仕方、冷蔵庫の残り物、洗濯のタイミング、部屋の片づけ、誰かに返信するかしないか。全部、自分が決める。決め続ける。決め疲れる。
その決め疲れが積もると、私は「食べる/食べない」みたいな小さなことさえ、面倒になってしまう。面倒になった結果、適当に済ませて、適当に済ませた自分にまた疲れる。ほんと、なにこの無限ループ。
そんなときに、たとえば、決められたセットを頼って「今日はこれでいい」にしてしまうのは、逃げじゃなくて、回復の手段なのかもしれない。頑張るためじゃなくて、頑張らないために整える。
そう思った瞬間、箱が少しだけ軽く見えた。フタの角の潰れが、急に愛嬌みたいに思えてきたのも不思議だ。
私は結局、今夜は「ちゃんと開始」はしなかった。ここが、私のいいところでもあり、弱いところでもある。でも、何もしていないわけでもなかった。箱から一つだけ取り出して、マグカップの横に置いた。明日の朝、目に入る場所に。たったそれだけの行動。
それが今日の、小さな変化だった。
「全部やる」じゃなくて、「目に入るところに置く」。
それだけで、私はほんの少し、明日の自分にやさしくなれた気がした。
ひとりで整えるって、孤独じゃなくて“静けさ”かもしれない
不思議なことに、箱を戻さずにテーブルに置いたままにしたら、部屋が少し落ち着いた。私の部屋にあるのは、いつも“途中”ばかりだ。読みかけの本、畳みかけの洗濯物、飲みかけのお茶、返しかけのメッセージ。その途中たちが、今日は妙に私の味方に見えた。
途中でいい。今夜は、途中で止めていい。
むしろ、途中で止められるって、けっこう大事な才能じゃない? って、ちょっとだけ思えた。
ひとり暮らしって、孤独だと感じる日もある。だけど今日は、孤独というより、静けさだった。誰にも急かされない静けさ。誰にも見られていない静けさ。だからこそ、私が私にだけは、変に厳しくならないようにしたい。
ファスティングセットは、明日どうなるか分からない。明日の私が「やっぱ無理」って棚に戻すかもしれないし、「意外といける」って淡々と続けるかもしれない。どっちでもいい、とまでは言えないけれど、どっちでも“私”ではある。
私はマグカップに白湯を入れて、ソファに座った。湯気が少しだけ立ち上がって、窓ガラスがうっすら曇る。今日の私は、何かを変えたかったというより、これ以上自分を散らかしたくなかったのだと思う。
あなたは今、棚の奥に押し込んでいる“箱”みたいなもの、ありませんか。
それを開けるのが怖い夜、どうやってやり過ごしていますか。
