パクチーが好きだと言うと、ちょっとだけ試される気がする
今朝の空は、冬にしては珍しくやわらかい色で、駅までの道にあるパン屋の湯気がいつもより白く見えた。コートのポケットに手を突っ込んで、指先の冷えをごまかしながら、私は「今日は帰りにパクチーを買う」と決めていた。
理由は、健康とか、美容とか、そういう“正しい動機”ではない。単純に、あの香りが恋しかった。あの、好きな人にはごちそうで、苦手な人には事件みたいな香り。
仕事は仕事で、いつも通りにやることが多くて、チャットの通知が絶えなくて、昼休みも会話のテンポについていくので脳が半分溶けたみたいになった。そういう日に限って、誰にも見つからない角で深呼吸したくなる。
私はたぶん、ちゃんと“元気なフリ”が得意だ。表情も声も、なんとなくそれらしく整えられる。でも、うまく整えられるほど、どこかが置いていかれる感じもある。置いていかれてるのは、たぶん本音のほうだ。
帰り道、スーパーに寄る。いつものルートなのに、野菜売り場だけは季節ごとに少しずつ配置が変わるから、そこでいつも「人生の小さな迷子」になる。今日はパクチーが一束だけ残っていて、透明の袋の中で葉がふわっと広がっていた。見つけた瞬間、心が先に歩き出すみたいに嬉しくなって、私は迷わずカゴに入れた。
そのとき、背中のほうから声がした。
「パクチー買うんだ。え、好きなの?」
職場で同じフロアの人だった。親しくないわけじゃないけど、距離感はきっちりあるタイプ。私は反射で笑って、「好きなんです」と言った。
その人は、ちょっと面白そうに眉を上げた。
「へえ〜、意外。クセ強いよね」
“意外”。この一言が、なんでこんなに胸に残るんだろう。
私は「あはは、確かに」と笑いながら、頭の中では別の会話が始まっていた。
(意外って、なにが?)
(私は、どんな人に見えてたんだろう)
(クセがあるものを好きって言うと、ちょっと変って思われるのかな)
(いや、変でもいいけど、なんか…今そのラベル貼られるの、だるいな)
誰にも言わなかった本音はこれだ。
私はパクチーが好きなだけなのに、好きって言った瞬間から、ちょっとした“キャラ審査”が始まる感じがして、面倒くさくなった。
そして、その面倒くささを感じた自分を、私はさらに面倒くさく思った。人にどう思われるかなんて気にしなければいいのに、気にしてしまう自分が、妙にしつこい。
たぶん、ここが今日の主軸になる。
「好き」を言うことって、私にとっては小さな表明で、なのにその表明が、ときどき小さな試験みたいになる。好きって言っただけで、勝手に“あなたはこういう人だよね”の枠に入れられる。そんなの、たった一束の葉っぱの話なのに。
パクチーの実力を、ちゃんと“食卓で”生かしたい
パクチーは、コリアンダーとか、シャンツァイとも呼ばれていて、葉は独特の香りがあるのに、種(コリアンダーシード)は甘いスパイスみたいな顔をしているのが面白い。別の人格を持っているみたいだ。
それに、パクチーには抗酸化の力が高い成分が含まれていると言われていて、細胞の老化を防ぐ方向に働く栄養素も期待されている。私は理系でも栄養士でもないから、偉そうな断言はしないけれど、少なくとも「おいしくて、香りで気分が切り替わる」という体感がある。私にとってのパクチーは、成分表というより“空気清浄機”に近い。心のほうの。
ただ、ここでひとつ厄介なのが、パクチーを食べるときの最大の壁は、味じゃなくて「周囲の反応」だったりすること。
好きなものを好きって言っただけで、“クセ強め”に振り分けられる気がしてしまう。そういうのって、地味に疲れる。
たぶん、わかる人はわかると思う。好きな音楽、好きな服、好きなカフェ、好きな食べ物、全部に「へえ意外」って言われると、だんだん「じゃあ私は何なら意外じゃないの」って思ってしまう、あの感じ。
今日はそんなモヤっとした気持ちを抱えたまま、パクチーを持ち帰った。
で、ここからが本題。パクチーを“アンチエイジング食材として取り入れる”って、意識高く構えると続かない。だから私は、続けるために、わざと雑に扱うことにしている。好きなものは、たまに雑でいい。丁寧すぎると、愛ってすぐ重くなるから。
ひとりの夜ごはんに、いちばん簡単に足せる“クセ”
家に帰って、部屋の空気がまだ少し冷たい。暖房をつける前に、キッチンで手を洗って、まな板を出して、パクチーの袋を開けた。あの香りが立ち上がる瞬間、心が「戻ってきた」って思う。外で縮こまってた部分が、ちょっとだけ伸びる。
私は今日、凝った料理はしない。疲れている日の自分に、頑張りを追加したくない。
だからやったのはこれだけ。
① 卵かけごはん+パクチー
白ごはんに卵、醤油を少し、そこに刻んだパクチーをぱらっと。
「え、合うの?」って聞かれるけど、合う。むしろ合う。卵の丸さに、パクチーの青い香りが入ると、口の中が“目が覚める”。朝じゃなくても、目が覚める。
② 納豆+パクチー+ごま油
納豆は、私の生活の中でいちばん裏切らない存在だと思う。そこにパクチーを混ぜて、ごま油を一滴。
納豆の主張が強いから、パクチーが負けそうなのに、負けない。ちゃんと残る。そういうところも好き。
③ インスタント味噌汁+パクチー
これ、いちばんラク。お湯を注いで、仕上げにパクチー。
味噌汁に入れると、東南アジアに寄る。勝手に寄る。旅行に行けない日でも、舌だけ移動する。
私はこういう“足すだけ”のやり方が好きだ。料理を頑張るのではなく、いつもの日常に、少しだけ違う香りを混ぜる。
パクチーって、主役にもなるけど、脇役でも十分に仕事をする。だから続けやすい。アンチエイジングって言葉が重いなら、「気分の換気」くらいに思っておけばいい。
でも、今日の私は、それを食べながらも、スーパーでの「意外」って言葉がまだ引っかかっていた。
食べているのに、心の一部はまだ外にいる。たぶんそれが、今日の違和感だ。
「好き」を言うのが怖い日もある、って気づいた
ごはんを食べながら、スマホで適当に動画を流して、私は無意識にパクチーを少し多めに口に運んでいた。
まるで「好きなものはこれです」って、自分に再確認するみたいに。
そこで、ふっと思った。
私、最近「好き」を人に言うとき、変に構えてるかもしれない。
たとえば、好きなものを話すときに、先に保険をかける。
「好きなんだけど、苦手な人も多いよね」とか、
「クセあるけど私は好き」とか。
好きの表明なのに、同時に謝っているみたいな言い方。
たぶん私は、好きって言ったときに、相手がどう反応するかを先回りして、傷つかないようにしている。
好きなものを笑われたくないし、「変だね」って言われたくないし、変だねって言われても平気なフリはできるけど、平気なフリをする自分にまた疲れる。
こういうのって、恋愛とか婚活とかの話に限らない。
食べ物でも、趣味でも、ちょっとした“自分の輪郭”になるものほど、人の反応が怖い。
だから、無難なものを選びたくなる。無難なものを好きと言っておけば、変に引っかからないから。
それって、すごく小さなことなのに、積み重なると「私って何が好きなんだっけ」になる。
今日の小さな出来事は、パクチーを買っただけ。
でも、そこから出てきた本音は、意外と大きかった。
私は「好き」を言うのが、ちょっと怖い日がある。たぶん、疲れている日ほど。
そして、その怖さを感じた自分に、少しだけ驚いた。
私はもっと、好きなものを好きと言える人だと思っていたから。
パクチーは、香りより先に「自分の本音」を連れてくる
食べ終わって、皿を洗いながら、私はパクチーの残りを小さな保存容器に移した。
葉を触ると、指に香りが残る。いつまでも残る。しつこいくらい残る。
でも今日は、そのしつこさがありがたかった。
人の反応って、すぐ消えない。
「意外」という一言が、こんなに長く残るなんて、私も思わなかった。
でも、パクチーの香りみたいに、残るものは残る。だったら、残るなら、せめて自分の側に残したい。人の言葉じゃなくて、自分の好きのほうを。
今日のささやかな変化は、たぶんここだ。
私は明日から、好きなものを話すときに、謝るみたいに言うのをやめてみようと思う。
「好きなんです」で止めてみる。説明も、保険もつけずに。
それで相手がどう思うかは、相手の自由だし、私はそこまで管理できない。管理できないものを管理しようとして疲れるのは、もうやめたい。
とはいえ、急に強くはなれない。
明日、また同じ人に会ったら、きっと私はまた笑って、ほどよく場を丸くすると思う。私はそういう癖がある。
でも、心の中で一回だけ、「意外って言われても、別にいい」と言ってあげたい。
自分に対して、そのくらいの味方はしてあげたい。
パクチーはアンチエイジング食材としても心強いし、抗酸化力が高いと言われているのも魅力だ。
でも私にとっていちばんの実力は、たぶん別のところにある。
好きな香りを口に入れると、自分の本音がちょっとだけ前に出てくる。
「私はこれが好き」と、静かに思い出させてくれる。
今日の夜、キッチンの小さな灯りの下で、私はパクチーの香りがついた指を洗いながら、ふと思った。
あなたにも、誰かに「意外」って言われて、なぜか引っかかったもの、ありますか。
それって、あなたのどんな“好き”に触れてしまったんだろう。






