震災からもう29年になるんですね。

 

私は当時4歳で、今も暮らす神戸の自宅で震災を体験しました。

 

 

今年もまた宝塚に阪神淡路大震災(1.17)の追悼行事、「生」の石積みオブジェのライトアップが行われたという記事を読みました。

 

ニュースなどでこの石積みオブジェの存在を知っている方も多いのではないかと思います。

 

実はこの「生」の祈りのオブジェを創作したのは私が学生時代、造形の授業でお世話になった先生、大野良平さんです。

 

毎年、この祈りが行われたというニュースや記事を見るたびに、穏やかで優しくて、私の変なアイディア(トイレの個室を宇宙空間にするとか)の絵も面白いと言って褒めてくださった先生のことを懐かしく思い出します。

 

先生もなかなか変わった人だったような・・・

 

 

 

こうした祈りをカタチに表す行為は、そこにある深い悲しみに触れ、寄り添うこと、そこから希望に向かうことをお手伝いしているように感じます。

 

大きくて深い悲しみというのは世界で起こる出来事の中にも、一人一人の人生の中にもたくさんあると思います。

 

私自身、学生の頃に父を突然失うということがありました。

 

当時は学校の課題や研究などあまりにもやらなくちゃいけないことが目の前にたくさんあって、どのように現実を受け止めていけばいいのか分からなかったような日々がありました。

 

心の中にある悲しみに触れると、踏ん張る力を失うような怖さがあって、父の死を直視できない私がいました。

 

悲しみから遠ざかるように生きていて、情けなかったなぁと今振り返れば思うことはたくさんあるのだけれど、あのとき本当に薬となるような言葉はもっとちゃんとしなくちゃだめよ、ということではなくて、ぐちゃぐちゃになって思いっきり泣いてもいいんだよ、ということかなぁ、と思います。

 

そして、抱きしめてあげたい。

 

そう、多くの人はぐちゃぐちゃになってしまう、それがとてもとても怖いんですよね。

 

そこからどう再生できるか、その自信がないから悲しみに蓋をしたまま、混乱をどこにも吐き出せないまま生きてしまうのです。

 

 

 

そんな私が願うことは、少しずつ少しずつでも大きく深い悲しみにみんなで一緒に触れて寄り添い、そこに光を送るような世界であってほしいな、ということ。

 

そこにある暗闇に触れやすくするために私に何ができるだろうか。

 

一人一人が自分自身の暗闇のような出来事を統合することで愛を育み、外側の悲しみや絶望的な状況に寄り添い乗り越える力になっていくのではないかと感じています。

 

私はヒーラーやセラピスト、ライトワーカーの立場からもお手伝いしていけたらと思っています。

 

祈りは確実にその出来事が持つエネルギーに変化を与えていくと思います。

 

少しずつでも、亡くなられた方に寄り添う時間が辛いとか苦しいものではなくて、生きていたときの生命の輝きに対する温かい祝福の時間に変わるようにそんなことを色々な世界の悲しみに想いを寄せながら願っています。

 

 

お世話になったリーブスの朝倉裕美子さんが今回の石川県能登半島の地震で被災された方、震災に心を痛めておられる方に向けたメッセージとヒーリングの動画を配信されています。阪神淡路大震災に関する追悼のものではありませんが、ご縁のある方に届くようお祈りしています。

 

 

 

 

 

🌿記事にスピリチュアルヒーリングを流しています🌿