日本列島には先住の大祖先がいた⁉️ | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️



「石器時代」
というと、どこかその辺の石ころを適当に拾って道具にしていたと思っている人もいるかもしれません🤔⁉️

然し、30万年前から始まったとされる中期旧石器時代となると、ルヴァロワ技法と呼ばれる高度なテクニックで石器を作るようになります。

この複雑な技法は誰もが思いつくようなものではなく、師匠に教えてもらい習熟しなければマスター出来ない技術とされています。

石器を作る技術を失ってしまった現代人が、簡単に真似出来るものではありません。

多くの一般的な現代人がある日無人島に漂着しても旧石器人や縄文人のような技術レベルの高い文化的な暮らしを始めることは不可能なのです。

ルヴァロワ技法はアフリカ大陸で広まり、中東を経て北はカスピ海南岸、西はヒマラヤ山脈まで伝搬していきますが、中期旧石器時代を通じて東アジアには伝わらなかったようです。



前期旧石器時代には既に、西のハンドアックス文化圏と東のチョッパー文化圏に分かれており、その東西世界の境界をモヴィウスラインと呼び、これが今日までつづく西洋と東洋の文化の違いになっていると考えられているようです。

中期旧石器時代、モヴィウスラインの東、特に中国のような石器材料乏しい地域では、竹材を使った道具を利用していたのではないかという仮説があります。

こうした石器時代の文化区分は、ヨーロッパの基準で考えられており、

文化は常に西に生まれ、東に伝搬していくと教育された人もいらっしゃるかと思います🤔

ホモ・サピエンスはアフリカを出て中東に至り、そこで文化を発展させ、ネアンデルタール人を駆逐して世界へ広まったのだ、とする考えは、キリスト教やイスラム教の聖地である中東が世界の中心であると考える西洋的な理論です。

中東から拡散したホモ・サピエンスが到達する前の東洋は、ネアンデルタール人よりさらに劣った北京原人やジャワ原人が住んでいたという考えが欧米にはありました。

確かに欧米の研究者が考える現生人類の技術とされる「石刃技法」は、中東から東へと伝わっています。

中東48000年前
中央アジア45000年前
朝鮮半島42000年前

そして日本列島には最新の年代測定の結果では36500年前に石刃技法が伝わったと明らかになっています。

中国(現在の中華人民共和国の範囲ではなく、黄河、長江を中心とした中華文明圏)の石器時代人はさらに1万年ほど伝統的な石器を使い続け、現生人類の進出は26000年前とされています。

現生人類の拡散、少なくとも「石刃技法」に関してはカスピ海東岸からユーラシアステップを経て、アルタイ山脈~モンゴル高原、沿海州~朝鮮半島というルートで(中華地域を経由せずに)日本列島へ伝搬しています。

近年の日本の考古学界では、この北ルートで現生人類が中東からやって来たとする説が有力になっているのは昨日のブログでお伝えした通りです。

然し(*º ロ º *)!!

実はそう単純ではありません(o・・o)/



日本列島には38000年前に局部磨製石斧が登場します。

既に900点以上の磨製石斧が発見されており、世界最古の磨製石器であると考えられてきました。

この磨製石斧は32000年前を境に一旦姿を消し(一般にはそう言われていますが、磨製石斧と30000年前以降とされるナイフ形石器が同層から出ている遺跡もあるようです🤔)、後期旧石器時代終末期から縄文時代草創期にかけて復活します(1万年以上断絶しているものの、縄文の磨製石斧は正常進化版に見えますね😎)。




(´๑•_•๑)ところが…

2017年にオーストラリアの局部磨製石斧が65000年前のものであるΣ(●д●)という説が発表されました。

そして、この磨製石斧は日本列島の38000年前の磨製石斧によく似ているとのこと。

😎ここで再び一度は否定された南ルート説が復活します(°口°๑)

今のところ東南アジアでは30000年を遡る現生人類の痕跡は発見されていないようです。

中東から一気にインド洋を航海してY染色体ハプロC系統がスンダランド~サフル大陸へ超特急で行ったのでしょうか🤔⁉️

そう考える研究者も一部にはいるようです。

然し、オーストラリアのこの遺跡は、土壌撹乱が見られ、正確な年代が不明とされてきました。

突然出てきた65000年という数字を疑問視する研究者も多いようです。

オーストラリアでは、現生人類の指標とされる石刃技法がLGM(最終氷期最寒冷期=地域によって異なるが概ね28000年前~15000年前)の石器には見られず、現代人的行動(これも西洋人の観点によるものだが)の要素が揃うのは、ずっと時代が下がった7000年前頃とされています。

また、日本列島固有のナイフ形石器(30000~17000年前)によく似た石器が更新世末期から完新世にかけて見られるとのこと。

(˶˙º̬˙˶)*॰

一方、日本列島の磨製石斧は38000年前から突如広まりを見せています。

磨製石斧と共に台形様石器が見られますが、これらは石刃技法が日本に伝わる以前の、東洋の伝統的な手法で作製された石器のようです(。ì _ í。)

日本列島では、38000年前に始まる後期旧石器時代の遺跡が14500箇所と膨大なため、
全く無視されていますが😅

中期旧石器時代の遺跡も60箇所(旧石器捏造事件を除いて)あります。

あることはあるんです( ・ิϖ・ิ)っ

岩手県遠野市の金取遺跡(5~9万年前)から出土した中期旧石器時代の両面加工された礫器は、その後の日本列島の局部磨製石斧の祖形と考えられており、

日本列島の磨製石斧は、日本列島で独自に(東洋の伝統的な技法によって)進化したと想定されます。

36500年前(この1500年のラグは測定誤差の可能性もありますm(._.)m)に石刃技法を携えた現生人類が日本列島に到達する前の…

中期旧石器時代から既に日本列島には人類がいて、5~9万年前から伝統的な手法を発展させつつ、38000年前に局部磨製石斧を発明して爆発的に人口を増やし、

そこへ現生人類がやって来たฅ(๑⊙д⊙๑)ฅ!!

局部磨製石斧と石刃は同一の遺跡からも発見されており、彼らが融合してさらに文化を発展させた可能性もあるでしょう。

🧐つい最近まで、

ヨーロッパには高度なルヴァロワ技法を駆使し、ムスティエ文化を築いたネアンデルタール人がいましたが、

ルヴァロワ技法が伝わらなかった東洋には、現生人類が到達するまで、未開の原人(ホモ・エレクトゥス)しかいなかったと考えられてきました。

然し😎

2008年、西シベリアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟から、第三の人類である41000年前にのデニソワ人(ホモ・サピエンス・アルタイ)が発見されたのです(☆∀☆)

太平洋上のメラネシア人の4-6%のゲノムがデニソワ人固有の遺伝子と一致し、中国南部住民の遺伝子も1%がデニソワ人由来とされています。

デニソワ人はニューギニア(氷期にはオーストラリア、タスマニアと共にサフル大陸を形成)では15000年前まで純血種が残っていたとする説もあります。

環太平洋上を航海し、局部磨製石斧の文化を築いたのはデニソワ人だったかもしれません😎

ネアンデルタール人やデニソワ人は絶滅したと安直に言う人が未だにいらっしゃいますが、

私たち現代人はネアンデルタール人、デニソワ人由来の遺伝子を持っており、彼らは私たちの偉大なる祖先の一人だということは忘れてはなりません。

デニソワ人やネアンデルタール人がサピエンスと争わず、共存し同化する道を選んだからこそ、今の私たちの文化があります。

西洋ではネアンデルタール人由来の、東洋ではデニソワ人由来の文化を引き継いでいることは、前期旧石器時代のモヴィウスラインが現代に至るまで東西文化の境界となっているところからも明らかです。

異文化の融合が、新しい時代を作ること。

同時に、長い時間をかけて地域に根付いた伝統文化は重んじなければならないこと。

一見矛盾するようですが、私たち日本人の祖先は常に、大陸から新しい文化を取り入れながらも伝統を絶やさず、5万年の昔から一度たりとも文化を途絶えさせることなく連綿と受け継いできたのです。

縄文時代よりさらに昔の、偉大なる大祖先のことを忘れないで下さい。




縄文時代のピカピカに磨き込まれた磨製石斧。

それは西洋で新石器革命が勃るより遥かに古い時代からの技術を受け継いだものなのです。