間が空いてしまいました。
さて、学生時代のわたくしによる自由論文、『ネコはいつから猫になったか』
いかがでしょうか……。
論文ではたびたび猫をテーマに書くことがあり、やはり最後は猫の歴史をたどろうということで着手しました。
犬のようにどこかで手懐けられて変わっていったのだろうと安易に考えていましたが、
実はネコは初めから猫のままでした。
変わったのは人間の方だったのです。
この結論には驚き、そして感動しました。また同時に、
「相手が変わったのではなく、自分が変わったのかも知れない。」
人との関わりでさえ、そう客観的に考えるようになりました。
この論文を書いたことによって、
ネコが好きという単純・純粋な気持ちから、
ネコに対する敬意を持つようにもなりました。
最近ではミアキスはイタチが近い姿と言われるようになってしまったようですが、
ほとんど姿を変えることなく、
また人間の文化に影響されることもなく、
生き方を変えずに命を繋いできた小さな生き物。
一度も人間を支配しようとしたことがない、驕りのない生き物。
こんなに近くで失敗を繰り返す人間に、
何世代にも渡って付き合ってくれる優しい生き物。
好きか嫌いかで操作してはいけない存在だと、私は思います。
それは他の生き物に対してもそうだとは思うのですが、
体の使い方、戦い方、争いを避ける知恵、礼儀、他者との正しい距離感、他にも色々……。
地球での生き方をよく知っている。人間が猫から学べることは多くあると思います。
そんな猫ですが、現代はどんな存在になっているでしょうか。
ペットとして、可愛がられる時代になりました。
しかし反応が面白いからといってからかってもいけないと思います。
偶然起きたハプニングはかわいいなぁと思っていたのですが、
最近は人に見せるために仕掛けて撮影しているものが増え、違和感を覚えています。
わざと困らせて、驚かせて、不安がらせて、それで大事にしていると言えるのでしょうか。
さらに、ペットになれない、ならない者は最悪の場合処分される時代になりました。しかも何十万という数。
魔女信仰もないこの時代にです。
人間だけなの、知っていますか。
食べる以外の目的で他者から命を奪う生き物。
人間だけなんです。
畑の作物を守るためにすることはあります。しかしそれは食べることへ繋がるのでここでは該当しません。
ここでは処分のことを指します。
また、処分所で働く人を非難するものでもありません。
嫌いだから、飽きたから、いらないから、邪魔だから。
そんな勝手のために、人間の意向に従わない猫は処分されてしまう現代です。
多くの学びを与えてくれる師が、ガス室に送られてしまう時代です。
一つ二つ助けただけでは救いきれないほどたくさんの命が失われていく。
それはとてもやるせないことです。
小さい頃、仲良しだった三匹の野良猫が突然いなくなりました。
大きくなって母が明かしてくれたのですが、
どうやら自治体から処分しろと言われ、
捕まえることになったそうです。
母は、父に頼み、捕まえた三匹を車に乗せて遠くへ逃がしに行ったそうです。
その後、高校生になった私は、知らずにその猫たちの子孫と出会うのですが、
この話は長いので、また別の機会に。
このように、今は社会問題になっている処分の数。
これは、猫の繁殖力が強いことが原因ではないと思います。
もう一度、人間の方が変わらないといけないのだと思います。
猫に限らず、犬に限らず、
自分以外の命を笑う生き方なんて、
豊かな人生とは程遠いものです。
共に生きようとこちらが歩み寄れば、
言葉や種を超えて、
正しい生き方を示してくれると思います。
だからどうか、
自分や、自分以外の命を笑わないでください。
以上で自由論文『ネコはいつから猫になったか』を締めます。
全6回、そして長いまとめまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
これからは、少しでも多くの命と、
共に生きられる世の中にしていきましょう。
そのために私は知恵を絞っていきます。
龍 九尾