『自由と規律』 | Theory Q

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一瞬で消えてしまう感覚。そいつを追いかける。


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『自由と規律』

   自由とは、個々の人間が、それぞれ持っている独自の思想や願望を表に出せることで、規律とは、その自由が他の自由を侵害するのを防ぐ平等な制限だ、と私は思う。
   たとえば、電車に乗っているとき、大声で喋るというのはどうだろうか。喋るという行為は、個人の自由としては問題ない。しかし、周囲のことを考えてみると、その自由は迷惑となる。個人の自由は、集団の中で主張すると迷惑になることがあるのだ。そして、もしその集団にいる一人一人が個人の自由を主張し続ければ、秩序は乱れ、不平等な自由となり、互いの自由を侵害し合うことになってしまうだろう。自分の自由のみ主張できればそれに越したことはないが、全ての人がそう思ってしまったならいつか必ず自分に返ってくるだろう。
   そうなれば、いつか自由は自由の本質を失い、荒れた社会を作り出すことになってしまうのだろうと私は思う。その問題を解決するためには、やはり規律を作り、最低限度の制限によって、自由の氾濫を抑えるしかないのではないか。それは互いの自由を守るためでもあり、自分自身の自由を守るためでもある。
   行き過ぎた規律は単なる束縛となるが、平等な規律があることで個人や他人の自由が守られていると言える。自由と規律、双方の存在があることで、人と人とが調和していけるのではないだろうか。

三年六組 龍  九尾(仮名)


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これはわたくしが高3の頃、
国語表現の授業で最初に書いた文章です。

まだまだ、句点の多用があり、
段落の取り方も感覚だった頃ですね。

授業なので先生の添削を受けましたが、
「頭痛が痛い」のような意味の重複くらいなので、
受ける前の原文そのままです。


最近毎日電車に乗っているのですが、
あちこちからイヤホンの音漏れ、
時にはわざとかと思うほどの大音量でゲームをしている人がいます。

海外では、電車の中でやることないから、
乗っている間に用事を済ませよう、
とみんな電話をするのが普通という国もあるそうです。

ですが日本はそうではありません。
「周囲の迷惑になるため車内での音出しは控えてください」
という規律があります。

規律を守り乗っている人がほとんどで、
その人たちにとって音出しをしている人は違反者でしかありません。
だから不快なのです。

しかし視聴したい人にとってこの規律は束縛でしかありません。
ただ好きな曲を聴きたいだけなのに違反者になる、
それも悲しいといえば悲しいですね。

規律の理解度によっても束縛になることがあります。

小さな子どもがはしゃいだ時に
「黙れ。周りに迷惑かけんな」
と叱る親御さんもいます。

電車の中では静かにする、
ということを教えているつもりなのでしょうが、
こんな教え方はただの脅しにしかなりません。
まず叱り方がけしからんとも思いますが、
根本的なことを理解されていないと感じ心が痛みます。

音出しが良いか悪いかを決める規律ではないのです。
互いを思いやるための規律である、
ということを理解しているかどうか。
そこが問題なのです。

わたくしが『自由と規律』を書いてからの十数年を振り返ると、
音出しをする人は増えています。
当たり前のように、悪びれもせず、
シャカシャカシャカシャカ鳴らしています。
方々から視線を受けても知らん顔。

前よりひどくなっているじゃあありませんか。

音楽聴くのも、ゲームするのも自由です。
ですが、疲れて寝ている家族の横で大音量を流しますか?

みんなやっているからいいだろう、
知らない人同士だからいいだろう、
そんな無関心を17歳のわたくしが指差しているのです。

誰がそんな大人についていくものかと。

自由と規律を見直して、
調和していきませんか。
ちょっと思いやるだけでいいんです。


龍  九尾






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