喜友名朝博 「元日本ライトフライ級王者 」元気ジム・トレーナー | BOXING MASTER

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋40年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。夢と勇気と感動を与えるブログ。


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中学1年生で協栄ジムに入門。高校1年生で出場したインターハイで、具志堅用高選手と初対面。プロ入り後、スーパーフェザー級ランカーとして活躍するも、ケガの為に現役生活を断念することになった、元協栄ジムトレーナー&マネジャーの大竹重幸氏が育てた最初のボーイ、喜友名朝博氏と久々の再開。現在の喜友名氏は、元日本ウェルター級王者堀内 稔 氏がオーナーを務める、元気ボクシングジムでトレーナーを務めている。

 

 

「きゅーちゃん、元気!」

 

「この間、計量に行ったら具志堅さんに声かけられて、食事、御馳走になりました」

 

「それは良かったなァ!」

 

久々の再会。早速、大竹氏から現役時代の貴重な写真を手渡された喜友名氏は、「ありがとうございます。全然持ってないんですよ」と喜びの声。

 

沖縄・コザ高校時代7勝6敗というパッとしない成績を残し、81年11月プロデビューした喜友名選手は、翌年の新人王予選で、後の日本王者で世界挑戦も経験する倉持 正 (角海老宝石)選手に準決勝で敗れた後、担当トレーナー制の協栄ジムにあって、決まった指導者もなく孤独な時間を過ごしていた。そこに目を付けたのが、新米トレーナーの大竹氏。コンビを組んだ二人は、連勝街道を突き進んだ。

 

 

そして、1985年8月に日本ライトフライ級王座を獲得。スーパーフライ級丸尾 忠 、フェザー級杉谷 満

の3人の日本王者を抱えた金平正紀会長は、ハワイキャンプを慣行。これが後年、生きて来るのだが、この時はまだわからない。喜友名選手は、1986年6月、韓国でのWBA世界ライトフライ級王者・柳明佑(韓国)への世界挑戦で、無念の12回KO負けを喫した。

 

 

そして師弟関係は、「もう、こんなきつい練習やってられません!」。「そうか、それなら仕方ないな」。ということでコンビ解消。その後、喜友名選手は日本王座に返り咲き。1988年1月、勝った方が世界に行くと見られた大橋秀行(ヨネクラ)選手と運命の分かれ道を賭けた防衛戦を迎えたが、無念の判定負け。

 

「俺は勝ったと思ったけどなァ」(大竹氏)

 

 

その後、引退しトレーナー業に就いた喜友名氏は、「先生が言っていた事、教えられた事が、今はよくわかります」と反省。大竹氏も快く受け入れ、師弟関係は今も良好。

 

「喜友名、お前は俺に取って長男なんだから、頑張っていい選手作れよ。知りたいことがあったら、何でも教えてあげるよ」

 

今後の喜友名氏に注目。→元気ボクシングジム

 

        

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