努力の人・元世界王者 花形 進 「プロボクシング協会会長就任!」 | BOXING MASTER

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋40年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。夢と勇気と感動を与えるブログ。


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昨日開かれた東日本ボクシング協会の総会で、渡辺 均 会長の任期満了に伴い、元WBA世界フライ級王者の花形 進 氏が協会長に選任された。規定により日本プロボクシング協会会長も兼務する。72歳になる花形氏は、プロデビューから11年目、キャリア62戦目で世界王座獲得。「毎日の積み重ね」、「ボクシングが好きだから」という言葉通リ、10回戦に上がるまでは14勝8敗7分という平凡な選手だった。

 

 

しかし、努力の積み重ねは長いラウンドになってからものを言い。その後は連勝を続ける。その中には後の世界フライ級王者で、永遠のチャンピオンとして今もなおファンの胸に刻み込まれる大場政夫(帝拳)選手に勝った星も含まれている。

 

花形氏は1969年6月、ロサンゼルスで時のWBC世界フライ級王者アラクラン・トーレス(メキシコ)を判定に降す金星を挙げるが、この試合は大場選手陣営が時期尚早として断っていたものだった。しかし、トーレスへの世界初挑戦は判定負けに終わる。余談だが、現在、世界で一番稼ぐプロボクサー、サウル・カネロ・アルバレス(メキシコ)を指導するエディ・レイノソ・トレーナーの岳父はトーレスである。

 

1972年3月の大場選手との世界王座を賭けた再戦では0-2判定負け。もうチャンスはないかと思われたが、大場選手は73年1月にチャチャイ・チオノイ(タイ)との試合に勝利した後、交通事故で急逝。大場選手の王座を継承したチャチャイへ挑戦のチャンスが与えられた。タイでの初戦は敗れたが、74年10月、横浜での再戦に勝ち王座獲得。

 

 

だが、ようやく獲得した世界王座も75年4月、富山での初防衛戦でエルビト・サラバリア(比)に、よもやの逆ホームタウン・デシジョンで敗れ王座陥落。この判定には会場のお客さんも大いに怒り、様々なものがリングに投げ入れられたが、その中には長靴も。雪積もる富山で長靴を投げ入れ、どうやって家路に着いたのか。未だに心配になりますが、それ程、納得出来ない判定だったという事は理解出来ます。

 

何とかサラバリアとの再戦に持ち込んだものの、ここでもスプリットの判定負け。しかし、ここで花形氏のリングキャリアは終わらず、76年5月、WBC王者ミゲール・カント(メキシコ)からのオファーを受け入れ、メキシコで7度目の世界挑戦を慣行。判定で敗れた後、約13年間のリング生活に別れを告げた。

 

 

引退後、自分のボクシングジムを持ちたいと願い、世界タイトルを奪取した者として、世界チャンピオンを育てたかったという花形氏だが、「引退当時はジム開設も資金など無く、まずは生活のために職を得ることが必要でした。結局、焼き鳥屋の店員になり、その後はスナックで働きました。しかし、ジム開設の資金の目処など一向に立たちませんでした」と過去を振り返っている。

 

しかし、ボクシング解説の仕事て行った会場で、一言声をかけられてから事態は一変する。20年振りに出会ったという先輩は事業家となっており、「私がジムを建ててやるから」と約束。花形ジム開設のきっかけとなるのだが、その繋がりはランキング選手だった花形氏が、練習後に奢った牛乳2本。「諦めないことです」という花形氏の言葉は説得がある。

 

その後、ジム会長となった花形氏は、2000年12月に教え子の星野敬太郎選手をWBA世界ミニマム級王者に導き、日本初の「師弟世界チャンピオン」を達成している。そして、ついにプロボクシング協会の会長に就任。努力の人の、今後の協会運営に大いに期待!。

 

        

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