神奈川・相模原青陵高で、1年時に全国高校総体と国体、全国高校選抜で優勝して早くも3冠制覇して注目され、その後国際大会も制するなど高校アマ7冠に輝いた井上尚弥選手が、元世界王者大橋秀行会長の大橋ジムからプロ入り。
10日後楽園ホール控室。タイトルマッチでもないが、廊下には多くのTVクルーが入っていた。
「今日はなにあるのよ?」と顔を出した大橋ジム・松本好二(元東洋王者)トレーナーに聞いたのは、ヨネクラジムの元日本王者・成田城健先生。
「尚弥のプロテストです」
「何、これからやるの」(通常のプロテストは後楽園ホール会場前に行われる)
「セミファイナルの前にやります」
「エッ、ホントかよ~。すごいなァ」(;^_^A
成田氏は松本氏が現役時代にはすでにヨネクラジムでトレーナーを務めていた大先輩。部屋を仕切るアコーディオン・カーテンを開けると、井上選手に「ちょっと来いよ」。
「井上尚哉です」
「オ~、いい顔してる。強くなりそうだ。頑張れよ~」(^O^)/
「それで誰とスパーリングやるの?」
「黒田君です」
「エッ~ホント、まじで?」(^_^;)
日本チャンピオンであり、世界ランクにも名を連ねる黒田雅之(川崎新田)選手の名前を聞いて驚いたのは、ヨネクラジム出身の元世界王者川島郭志・川島ジム会長。
「スパーリングじゃあ、八重樫より強いんですよ」
松本トレーナーにこう聞かされて、我々はぶったまげた。
「じゃあ、3戦目くらいで世界チャンピオンだ」('-^*)/
成田氏の言葉に松本トレーナーは、「それはちょっと」と言いながらも目は笑っていない。
「これからは大橋ジムの時代だなァ~」('-^*)/
井岡一翔(井岡)選手との激闘に破れ、WBA世界ミニマム級王座を失ったとはいえ、負けて男を上げた八重樫選手より普通に強いのであれば、3戦目も不可能ではないという気もしてくる。
実際、テストでも臆することなく日本王者に挑んだ若武者は、『もう少しでKOかと思わせる“圧勝劇”』。
「距離の取り方がうまく、パンチの踏み込みが鋭い。僕より全然上。日本ランカーより強い」
元世界王者坂田健史(協栄)氏と同じ稲城市に住む黒田選手は、大変謙虚な人柄だと感じていたが、真っ正直なコメントにまたビックリ。
B級テストに合格した井上選手は、10月にも特例による高卒ルーキー史上初のA級(8回戦以上)で、日本か東洋ランカーとプロデビュー戦を行う予定。JBCは対戦相手が決まった段階で、A級(8回戦)の申請をしてもらい検討するとしている。
1973年、ミュンヘンオリンピック代表からプロ入りしたロイヤル小林(国際)選手のプロテストは、特例でA級を受験。スパー相手は元日本Sフェザー王者で、アルフレッド・マルカノ(ベネズエラ)の持つ世界タイトル挑戦経験もある同級3位岩田健二(金子)選手。
ヘッドギアなしでスパーに挑んだ小林選手は、右フックでダウンを奪いアッサリ合格。1ヵ月後のデビュー8回戦は、元日本ランカーで50戦以上のプロキャリアを持つバロン熊沢(大川)選手が相手に選ばれた。
これは国際ジム高橋義徳会長の努力の結果だったが、”KO仕掛け人”のプロ初戦は倒そうという意識が強すぎ、力んでKOは逃してしまった。ボクシングの難しいところですね。
3戦目でWBC世界Sライト級王座を獲得しているセンサック・ムアンスリン(タイ)はムエタイ王者から国際敷転向。デビュー戦で世界ライト級2位ルディ・バロ(比)を初回57秒で失神させ、2戦目でSライト級世界2位にランクされていたライオン古山(笹崎)選手に7回TKO勝ち。
一気にWBC世界Sライト級王者ぺリコ・フェルナンデスへ挑戦したセンサクは、8回KO勝ちで国際式デビュー8ヶ月にして世界チャンピオンになってしまった。以後の活躍は皆さん、ご存知の通りです。
ムエタイ王者として来日したセンサクは、対戦相手の玉城選手を内臓破裂のKOに降した。ムエタイでも無敵の王者でした。
さて、井上選手。大橋会長はどんな路線で世界へのレールを敷くのだろうか。
大いに楽しみです!
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