1日、心不全の為亡くなった名門野口ジム
二代目会長、元日本フライ級チャンピオン野口 恭 氏の通夜が昨夜、しめやかにとり行われた。元日本ウェルター級王者でライオンの異名を持つ野口 進 氏が、故郷愛媛県で発掘した愛弟子三迫仁志選手を擁し、昭和25年創設したのが野口ジム。大日拳の流れを汲む。
昭和25年創設、旧目黒時代の野口ジム。
旧野口ジム内部。
昭和14年6月14日、 進 氏の次男として生まれた 恭 氏は、ボクサーの道を歩む。昭和36年4月27日、日大講堂で日本フライ級王者福本篤人(興伸)選手を破り、親子二代王者誕生が誕生した。
野口 恭 選手。
あまりの嬉しさに、止められていた酒を飲み続けたという父・ 進 会長は、王座獲得直後の5月8日、大きな喜びの中で急逝された。豪快な最後であったと聞く。
翌昭和37年5月30日、蔵前国技館(観衆8千人)で世界フライ級王者ポーン・キングピッチ(タイ)の王座に挑戦。前半、健闘するも9回左目出血。腫れもひどく終盤は、片目だけの戦いとなったが、最後まで勝負をあきらめなかた。
野口会長逝去のニュースを知った夜。大竹マネジャーが、野口 恭 氏との思い出をしみじみと語った。
「先代(金平正紀)会長の骨は、俺と恭さんで一緒にとったんだよ」
「大竹さん、お願いしますって、言ってさァ」
「やさしい人で、本当にいい会長さんだったよ」
会長直筆の激文。額には、『根性』、『闘志』、『成せばなる』の文字も。
金平正紀会長の通夜。夜もふけ、協栄ジムを後にされる野口会長は、「正紀さんの事、よろしくお願いします」と、頭を下げられた。今でも深く印象に残ります。二人は仲のよい先輩、後輩だったようです。
「そう言えば、トカちゃん、面白かったですよねェ」(~~)
渡嘉敷勝男(元世界Lフライ級王者)選手が、まだ駆け出しの新人だった頃、五反田のとある飲食店で、「ボクシングをよく知ってる、おっさん」と一緒になったという。あんまりよく知っているので、「おじさん、ボクシングよく知ってるねェ」と、大層話は盛り上がったらしい。
数日後、後楽園ホール。「アレ、この間のおじさんって、あの人だよ。あの人」突然リング上を指差しトカちゃんが叫ぶ。「エッ」、その指の先には野口会長の姿が。「野口ジムの会長さんだよ!」
「やばいよ、トカちゃん」
「エッ~、俺知らないで失礼な事ばっかり言っちゃたよ~。だって、何にも言わないんだもん」
想い出しても笑えるこの実話。「トカちゃんは、さすがでした」(~~)
そんな夜、 恭 氏の実娘でありマネジャーを務める野口誌延
氏から丁寧なメールを頂いた。お忙しい中、ありがとうございました。
元東洋ウェルター級王者 龍 反町選手。
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通夜には、 恭 氏が手塩にかけて育てた元東洋ウェルター級王者 龍 反町氏、元日本ライト級王者ビッグ山龍氏らの元王者も参列、恩師との別れを惜しんでいた。
元日本ライト級王者ビッグ山龍選手。
元WBA世界フェザー級王者西城正三(協栄)氏は野口ジムのベビーボクシング出身。”タフネス西城”を名乗っていた。坂道で転び、手をくじいてしまった西城少年を介抱してくれたのが 恭 氏との出会いだったと聞く。
69歳。「まだ、若かったよ」(西城氏)
謹んでご冥福をお祈り申しあげますと共に、名門野口ジム
の今後のご発展をご祈念申しあげます。 -合掌ー
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