追悼・”ライオンの弟子”野口 恭 ・金平正紀 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

1日、心不全の為亡くなった名門野口ジム 二代目会長、元日本フライ級チャンピオン野口 恭 氏の通夜が昨夜、しめやかにとり行われた。元日本ウェルター級王者でライオンの異名を持つ野口 進 氏が、故郷愛媛県で発掘した愛弟子三迫仁志選手を擁し、昭和25年創設したのが野口ジム。大日拳の流れを汲む。


昭和25年創設、旧目黒時代の野口ジム。


旧野口ジム内部。

昭和14年6月14日、 進 氏の次男として生まれた 恭 氏は、ボクサーの道を歩む。昭和36年4月27日、日大講堂で日本フライ級王者福本篤人(興伸)選手を破り、親子二代王者誕生が誕生した。


野口 恭 選手。

あまりの嬉しさに、止められていた酒を飲み続けたという父・ 進 会長は、王座獲得直後の5月8日、大きな喜びの中で急逝された。豪快な最後であったと聞く。

翌昭和37年5月30日、蔵前国技館(観衆8千人)で世界フライ級王者ポーン・キングピッチ(タイ)の王座に挑戦。前半、健闘するも9回左目出血。腫れもひどく終盤は、片目だけの戦いとなったが、最後まで勝負をあきらめなかた。



野口会長逝去のニュースを知った夜。大竹マネジャーが、野口 恭 氏との思い出をしみじみと語った。

「先代(金平正紀)会長の骨は、俺と恭さんで一緒にとったんだよ」

「大竹さん、お願いしますって、言ってさァ」

「やさしい人で、本当にいい会長さんだったよ」


会長直筆の激文。額には、『根性』、『闘志』、『成せばなる』の文字も。

金平正紀会長の通夜。夜もふけ、協栄ジムを後にされる野口会長は、「正紀さんの事、よろしくお願いします」と、頭を下げられた。今でも深く印象に残ります。二人は仲のよい先輩、後輩だったようです。


竹原慎二サウナスーツ館

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「そう言えば、トカちゃん、面白かったですよねェ」(~~)

渡嘉敷勝男(元世界Lフライ級王者)選手が、まだ駆け出しの新人だった頃、五反田のとある飲食店で、「ボクシングをよく知ってる、おっさん」と一緒になったという。あんまりよく知っているので、「おじさん、ボクシングよく知ってるねェ」と、大層話は盛り上がったらしい。

数日後、後楽園ホール。「アレ、この間のおじさんって、あの人だよ。あの人」突然リング上を指差しトカちゃんが叫ぶ。「エッ」、その指の先には野口会長の姿が。「野口ジムの会長さんだよ!」

「やばいよ、トカちゃん」

「エッ~、俺知らないで失礼な事ばっかり言っちゃたよ~。だって、何にも言わないんだもん」

想い出しても笑えるこの実話。「トカちゃんは、さすがでした」(~~)

そんな夜、 恭 氏の実娘でありマネジャーを務める野口誌延 氏から丁寧なメールを頂いた。お忙しい中、ありがとうございました。


元東洋ウェルター級王者 龍 反町選手。

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通夜には、 恭 氏が手塩にかけて育てた元東洋ウェルター級王者 龍 反町氏、元日本ライト級王者ビッグ山龍氏らの元王者も参列、恩師との別れを惜しんでいた。


元日本ライト級王者ビッグ山龍選手。

元WBA世界フェザー級王者西城正三(協栄)氏は野口ジムのベビーボクシング出身。”タフネス西城”を名乗っていた。坂道で転び、手をくじいてしまった西城少年を介抱してくれたのが 恭 氏との出会いだったと聞く。 

69歳。「まだ、若かったよ」(西城氏)

謹んでご冥福をお祈り申しあげますと共に、名門野口ジム の今後のご発展をご祈念申しあげます。 -合掌ー


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