坂田選手から見れば、大場選手はもちろん、大先輩の海老原博幸氏はご先祖様だ。
花形 進 (横浜協栄)選手との日本人対決を制すると同時に、3度目の防衛達成、若き日の借りを返した大場選手。
そんな大場選手の人気を頂点に持っていったのがこの試合である。
4度目の防衛戦は、”最高の刺客”オーランド・アモレス(パナマ)を迎えて行なわれる事になった。
「最強の相手を選ぶのは、チャンピオンの宿命ではありませんか」
これはチャンピオンとしてのプライドだと説明した長野マネジャー。
パナマの黒ヒョウと異名されたアモレス。戦績28勝(19KO)1敗。
バスケスは、毒グモだ。(~~)
チケットは協栄ジムホームページからどうぞ。
後の世界バンタム級王者エンリケ・ピンダーには、69年9回TKO勝ち。試合には、同僚となった当時世界バンタム級2位のピンダーをパートナーとして同行させた。
71年、Lフライ級王座11度防衛の記録を作る事になるルイス・エスタバ(ベネズエラ)にも勝っているアモレス。
「実にいやだ。出来ることならやりたくない」
試合決定当初は不安だらけ、強い対戦相手が決まった事による練習で実力を磨いていった大場選手。
「倒すか倒されるか、まァ、見ていて下さい」
強くなる選手は、強敵を相手にした時、飛躍的に成長する。
湯河原キャンプでは、1日25キロ以上、延べ400キロを走りまくった大場選手。驚異的なバネが作られたとある。
現在でも特筆されるものは、驚異的な精神力とスタミナである。キャンプでは自分をいじめ抜いた、そしてそれが財産になった。
強くなる選手は走る。技術だけに逃げてはいけないと思う。
「だってスポーツ選手でしょ」(~~)
「大場の長所を最大限に生かす、そしてアモレスの長所を殺す事意外に勝ち目はない」
若き本田会長の言葉は、大事なヒントです。(~~)
試合は昭和47年(1972年)6月20日、日大講堂で行なわれた。
試合開始早々、アモレスの左フックで大場選手ダウン。会場は静まり返る。前途多難なスタート。
しかし2回にはワン・ツーでダウンを奪い返した大場選手。
3、4回と激しい打撃戦の中で激しいバッティング。額から流血のチャンピオン。
迎えた5回、右ストレートからチャンスを掴んだ大場選手は怒涛の連打。アモレスはマットに深々と沈んだ。
「俺、高校生時代から大場さんの写真、大事に持っていたんだよ」
具志堅選手も大場選手のファンだった。
「危ないと思った時、僕は逃げない」
そして大場選手もまた、
「ボクシングって言うのは弱気になっちゃいけない」
「チャンピオンが逃げ腰になって守ろうとする姿勢を見せたら絶対負けだ」
寂しく引き上げる敗者アモレス。黒ヒョウの面影はない。この痛烈な敗戦から立ち直る事はできなかった。
決して一発型ではなく、連打につぐ連打で相手を仕留めるあたりは似ている両王者。負けん気の強さも天下一品。
”永遠のチャンピオン”大場政夫選手を総評すると、スピード、手数、ここ一番の度胸と連打攻撃が良かった。
桑田先生との基本トレーニングの繰り返し、努力の積み重ねでタイトル5度防衛の記録を残した大場選手。チャチャイ戦後は、ウェートを上げる予定もあったとか。
一発のパンチ力が強い場合、それが誇大表現されるが、ボクシングの本質はそれだけではない。
基本練習の先に、”うまい”があるし、それは付いて来る。
坂田選手の練習見ていて、つくずくそう感じる今日この頃です。
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