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藤波さんは、こんなにすごいレスラーたちと、闘って来た!
藤波選手のはじめての対戦・対戦選手全部紹介!(対戦相手データベース) 2023.2.1更新
記録よりも記憶に残る名選手
藤波選手のはじめての対戦相手
全部紹介!(対戦相手データベース)
2023.2.1 更新
1984-1985
●1984年●
※ザ・コブラ(G高野)の対戦相手として覆面の「ザ・バンビート」で来日したのは、この前年の11月。覆面を脱いで主張するという、新たなアピール方法でしたね。
キッドと組んで最高にきびきびとしたコンビになりました。安達さんの斡旋で全日本にいってからは、まあジュニア戦線はいいが、最強タッグに出場とかは、ちょっときついなあという感じでした。
なお、ヘビー級に転向した藤波さんとのシングルは組まれなかった。
※力道山と対戦した、あのシャープ兄弟の弟の方の息子。(つまりマイク・シャープ。で、お兄さんはベン・シャープ。 ちなみに、猪瀬直樹の小説「帝(みかど)の肖像」の出だし「拝啓。ベン・シャープ殿、、」はお兄さん宛ての手紙です)
大きなガタイを活かしたパワーファイターで、全日本に来日して、カナディアンバックブリーカーでジャンボ鶴田から1本を取ったこともあるという選手。また海外修行中?の天龍とも闘って、真正面からやりあって打ち勝ち、豪快に勝利をおさめた映像も残っている。ただ、新日本では、その実力の片鱗を見せてくれたくらいの感じでした。
翌年のIWGPに参加して、リーグ戦で藤波とシングルで対戦。マイクシャープから藤波が勝利をおさめた直後に、マシンが乱入。有名な「お前は、ヒラタだろ!」となったときの選手。極度の「きれい好き」(潔癖症?)で、日に何度もシャワーを浴びる選手だったとか。
藤波さんとのシングル対戦は 藤波の2戦2勝。
※小林邦昭選手は、海外遠征からタイガーマスクの好敵手として凱旋帰国。「虎ハンター」と愛称で呼ばれ、長州の維新軍に合流しました。その流れで、このタッグとなりました。必殺の「網打ち式原爆固め」(フィッシャーマンズ・スープレックス)を引さげて「タイガーマスクの正体を知っている」と参戦し、禁断の「覆面破り」をして観客の憎悪を煽りました。
そういう訳で、藤波さんとのシングル戦は組まれませんでしたが、対抗戦の中で1試合が組まれた形になって、藤波さんが1勝となります。 実は、小林選手は、1973年に新日本で藤波さんと組んで山本小鉄をを相手に幻のデビュー戦があります(変則タッグのため正式な試合ではないと)
※サモアンズのお兄さんのアファ・アノアイの息子。親父よりも動きがシャープで、きびきびしている。のちに、トンガ・キッドやグレート・コキーナなどと組み、重量級攻撃チームの一員となり、藤波の腰を悪化させる要因となった。
※モハメッド・カリムは、レイ・キャンディのこと。すでに全日本や国際プロには来日していました。のちに、本名のレイ・キャンディでも来日、さらに、スーパー・マリオマンにも変身しました。
ややこしいので、レイ・キャンディで認識しています。
解説の小鉄さんが「からだの割に、キャンディって、かわいい名前ですね」と言っていて、笑ったなあ。
また、パートナーのアキムは、本名のレロイ・ブラウンで、79年に来日。そのときに藤波とも対戦しています。( 選手のリスト# 125 )
二人あわせて、「エンブイ・エキスプレス」です。
※プエルトリコ出身。国際プロレスに参戦したあと、新日本に初参戦。藤波さんとはタッグで6戦だけでシングルは組まれませんでした。
※おお!あの、日本プロレスのNWAタッグリーグで、猪木・星野組と優勝を争った、あのクインですよね? ニック・ボックウインクルと組んで。 う~ん。そういえば、新日本では印象がないのです。
※フロリダ州出身、アマレスとボクシングをやり、プロレス入り。初来日は国際プロレスでした。その後、新日本には覆面を被って「ゲシュタボ」として来日。そして、このシリーズで素顔のリック・オリバーで参戦した。意外なことに藤波さんとは初対戦。シングル戦も組まれて、藤波の1勝。
※怖い顔。 だけで終わろうとしましたが、さすがに無理(笑) ジョージア州アトランタ出身で、アマレスとフットボールで鍛え、プロレス入り。全日本プロレスに初来日して、大仁田と対戦した。新日本にはこれが初参戦。藤波さんとのシングルは組まれなかった。
※エース格での来日ですが、国際の時のようには目立ちませんでした。翌年の新日本2度目の来日では、シリーズ前夜祭かなにかで、失礼な発言をしたと、古館アナにネックハンギングツリーを決めたことで記憶に残る選手。(でも、古館アナはさらに上手です。テレビ番組「笑っていいとも!」の自コーナーで、「週刊・ザ・プロレス」誌をもってきて、自らの記事が「猪木の記事よりでかい」と自慢していました。) そういう印象の(?)選手です。シュルツと言っても、もちろん、スヌーピーは描いてません。。。 藤波さんとのシングル戦は、2戦で、藤波の1勝1引き分けです。
※殴る蹴る、つかむ(クロー)のパワーファイター。ただ、ロジャースミスとの連携もよく、「ジョージア・テネシー・パワフル・エクスプレス」として活躍。とにかく攻めこんで、最後の最後に実況生中継の終了2秒前に藤波に丸め込まれた。
この日は、謎のマネージャが謎の二重覆面男(マシンと若松)の初お目見えとと、猪木の欠場で、この試合がメイン。観客を盛り上げて満足させる試合をつくりました。
なお、藤波さんとのシングルは組まれなかったもよう。
※国際プロレスにスーパー・アサシンなる覆面レスラーで来日したという、典型的な古典的ベテラン外国人ファイターです。巨漢の割に動きが速く、攻めるときは殴るけるで攻め込み、その中で、回転体落としも織り交ぜてゆく、防御にまわると急所打ちや、ロープに足をかけて体重を乗せた体固めも繰り出す。悪党ファイターですが、意外に打たれ強い。
※ジャック・クレインボーンの弟で、稲妻二郎です。国際プロレスに留学していました。
必殺の頭突きで、ラッシャーらをおおいに苦戦させました。海外でも藤波と対戦しています。
また新日本のマットではレフェリーとして試合を裁く姿もみました。上田と前田の喧嘩?試合などですね。 なお、テレビ番組「コンバット」には出演していません(それは、ヴィック・モロー!)わかる人~?(笑)
※カルガリーのスチュハートのもとから、初来日。藤波さんとはタッグでの3戦だけでした。
※マシン1号は 平田淳二の変身ですね。「おまえは、平田だろ」で有名ですよね。スーパーストロングマシンになり、のちには素顔の平田だけでなく、ラブ・マシーンや魔界1号など、さまざな闘いに参戦しました。
とにかく、最初に若松に連れられてリングに登場した試合では、強烈なタックルで、猪木はもとより、若手レスラーを次々に、タックルで場外にまでぶっとばしていた。文句なく、最強のマスクマンでした。その頃の写真です。
マシン1号は、藤波の「飛龍原爆固め」をくらった貴重な日本人選手(あとは、剛と猪木)です。
マシン軍団を離れて(離れようとして)藤波さんとシングルで闘い、その際に藤波さんの封印されていた「飛龍原爆固め」が炸裂しました。その後、軍団からまったく離れて「スーパー・ストロングマシン」となって、長く活躍しました。もちろん、素顔になったり、別の団体での別のマシンになったり、特に天龍の団体の「WAR」の所属と発表されたり、紆余曲折がありますが。2018年に引退をするまで、第一線で活躍しました。(スーパーストロングマシン #255) (平田淳二 # )
なお、私、初対面の方でも、平田さんという方は、すぐに覚えてしまいます。ありがたいですね。
はい、熊本での藤波の「お前は平田だろ!」発言から.。
「はじめまして!平田です」で「お前は平田だ」と心で叫んで覚えてしまうのですね。あるある〜♪
※マシン2号は力抜山選手の変身。国際プロレスに来た梁(リャン・スー・ヒー)選手が新日本で力抜山となっていました。ストロングマシーン2号となって登場しました。ロープを飛び越えてのリング外へのトペは見事です。マシン軍団は単なる暴れ者集団とは違うんだ、という印象にしてくれました。
ただ、この後、猪木との一騎打ちをメインにした興行には、評論家からは厳しい意見がありました。
※年末のタッグリーグにタイガー戸口と組んでの参戦でした。このシリーズでは、藤波さんとはタッグでの3戦だけで、シングルは組まれませんでした。シリーズ後アメリカで猪木とシングル、さらに、85年に来日してヒギンズと組んで、藤波・健吾組のWWFインタータッグに挑戦した。藤波さんとのシングル対戦は85年の1戦で、藤波の1勝。
※藤波の付き人からはじまり、さまざまなユニットで敵対し(ずっと「反体制側」「ヒール側」にいます) 海外から凱旋の時に金髪になり、上田馬之助と共闘。マシン軍団にも。さらに、長州たちとは別に、カルガリーハリケーンズとして全日本にも参加しました。あの馬場さんに「うまい選手だ」と認められたそうです。新日本に戻って、蝶野のnWoやチーム2000にも参加し、黒の軍団からも「ひろさん」と慕われていました。
藤波さんの「無我ワールド」にも参加して、それ以降、令和の時代になっても藤波との絡みが続いていた貴重な選手。セントーンと原爆固めが決め技ですね。
2019年10月にデビュー40周年となり、藤波の「ドラディション」で記念試合が行われました。(多くのアシストを受けて、ついに藤波からフォール勝ち)どうやら、それ以降は引退した状態にあるようです。
●1985年●
※猪木とのボディースラムマッチとか、なかなか話題がなくて苦労した印象です。「巨鯨」と呼ばれていまして、イメージ通りです。 古館アナが「マシュマロマン」と呼ぶと、おこっていましたね。「筋肉です。ふわふわではありません」と小鉄がフォロー、というか、ご注意申し上げてましたね。
アレンと組んで藤波・木村組のWWFタッグタイトルに挑戦したはずですが、印象にないんです。そうそう、アンドレとシングルが組まれて、試合途中で逃亡したという噂がありましたが、実際にはどうだったんでしょう?
※マシン3号の正体は2人の選手が判明しています。84年の11月に登場した3号は、ダニークロファット(全日本に来日していましたね)といわれ、乱入だけで、正式な試合には登場していないようです。この85年からは、元国際プロレスにいて、その後、カルガリーに居たヤス・フジイと言われています。ですので、ここで藤波さんと対戦しているのは「ヤス・フジイ」選手となります。
※オンタリオ州出身の双子の兄弟。兄がパット、弟はマイク。共にアマレスで活躍して、兄弟でプロレスに。初来日は国際プロレスへ。この時が新日本への初登場。なお、年末にも来日してタッグリーグに出場も果たすが、全敗だった。特に、マードックとスーパースターには普通にやられたあと、マードックから介抱をされるくらいであった。
※ヒギンズは強い。この藤波の登場したタッグの前日、猪木と一騎打ちで、強烈なバックフリップで猪木をKOしそうになってしまった。がんがんパワーで行くタイプを、がっしり受け止める余裕が猪木にはなく、誰もが、カウントを2でとめた高橋レフェリーを見て「苦笑い」をするしかなかった。(試合は不要なシュルツの乱入で、猪木が勝った)
その翌日の試合です。そんなヒギンズですが、最初のインパクトは強かったものの、単調な攻撃からか、人気がいまひとつでしたねえ。
藤波さんとのシングルは1試合だけで、両者リングアウトで、引き分けでした。
※テネシー州出身で、アマレスとフットボールでならして、憧れた「ビル・ミラー」からミラーと名のる。81年に国際プロレスに来日。新日本には初めて参戦した。藤波さんとのシングル対戦は、藤波の1勝でした。
※出ました!正体不明。「実は、こういう選手」だ、と言われても、誰もその選手を知らないんですから、困ってしまいます。この4号の場合はプロレスラーではなかったとも。まあ、ほとんどが、乱入とかの要員でしたが、試合にも出ていたので、そのまま記しました。はい。
なお、4号の正式な試合登場は、上記の4月8日宇佐市大会ですが、その前に、3月16日の鹿屋市での試合で、メインの6人タッグに乱入して、猪木にフォールされてしまったという記録もあります。まあ、これは、どう扱っていいか迷いますけど(笑) 一応公式記録では3号がフォールとありますので、そのように扱いました。謎が謎呼ぶ乱入のストロングマシンズですね。(笑)
追記、コメント欄をご覧ください。そこにありますが、
ファンタジーにあふれていますね(^^)
※ビリー・ジャック・ヘインズが正式名。オレゴン州出身。はじめて日本にやって来ました。猪木とのシングルもありました。その翌日のタッグで、藤波と初対戦となりました。
藤波さんとのシングル戦は組まれませんでした。
※ブロディが猪木と対戦するなら、このスヌーカの相手は藤波です。どういうわけか、藤波が苦手意識を持っているのかと思われるくらい、いつもスヌーカのペースなんですよね。 スヌーカは、「型」を持って見えを切っているクラシックなスタイルで、全日本にぴったり、でも、藤波がちゃんと呼応して、熱戦を盛り上げてゆく。でーも、やっぱり藤波さんのペースではないんですよんねえ。
このスヌーカのタッグチームは、タッグを組むブロディとは違うタイプだけれど、なんかいいタッグチームでした。(年末のシリーズ最終戦のブロディの試合ボイコットの時、このスヌーカも一緒に消えています。でも、不思議なことには、スヌーカは、まったくおとがめなし)
スヌーカと藤波さんのシングル戦績は、藤波の2勝1敗3引き分け。
※出ました!新日本の救世主!となるべく(笑) 「運命」の調べに乗って、颯爽と登場しましたね。わかりやすすぎて思わず笑っちゃいましたけど、インパクトは大きかったですね。そして、猪木との初対戦。そこまでが、最高潮でした。と書くと怒られるかな? これほど好き嫌いのはっきりする選手も珍しいんですが、とにかく、強い選手でした。
あまりに強烈すぎて、そのダメージを表現するのに、レスラーの皆さん、苦労をしていたようです。 そんな中では、ジャンボ鶴田の、キングコング・ニーを受けて足をぴくつかせ、痙攣するというのが一番でしたね。さすがの藤波も、このジャンボの域には達していませんでした。(笑)
契約やらなにやらで、何度も新日本とは仲たがいもして、それでも認められていて、これからというときにプエルトリコでゴンザレスによって刺殺されてしまいました。
藤波さんとのシングルもありました。1回めの対戦より2回めの対戦(福岡)の方が、藤波さんが攻撃にまわり、ブロディが逃げて藤波をフェンスの外に投げ出した、という印象がありました。まあ、これは、藤波ファンの味方でしょうけど、、、その時の藤波のジャーマンですが、ブルーザー・ブロディをジャーマンで完璧に投げた選手は、藤波だけだと言われています。you Tube の動画でのコメントにも「ブロディにジャーマン仕掛けたのは世界で藤波さんだけです」
※ミルウオーキー出身、この4月に藤波さんとのシングルがニューヨークのMSGで組まれて、藤波さんが原爆固めで勝利した。国内では上の試合が初対戦。藤波さんとのシングル戦は全3戦で、藤波の3勝。なお、この選手は「早すぎたバラエティ番組」と言われる(笑)「ギブアップまで待てない!」の中で、実況部分の保坂アナが「マット・ボーン選手です!」と実況する声がすごく印象的でした。
※若松マネージャの率いるマシン軍団から、次第に離れつつあったマシン1号が、ついに4月 日に藤波とシングル対戦、ところが若松のパウダー誤爆により、藤波に敗れたマシンは、ついに独立。こうして「スーパーストロングマシン」となって、新たな展開に。その最初の藤波さんとの対戦がこのタッグでした。(マシン1号 #240 )(平田淳二 # )
藤波さんとのシングル対戦については、複雑ですので、鋭意調査中です。
なお、2022年には、スーパーストロングマシンの息子も「ストロングマシン・J(ジェイ)」としてデビューし、藤波さんとも対戦しています。
※西サモア出身。ニュージーランドでプロレス入り。太平洋タッグをプリンス・トンガと所持していました。そんなアフィの初来日初試合が、この開幕戦での藤波戦です。
この日は原爆固めで快勝した藤波。シリーズでは3回のシングルが組まれ、次が逆エビ固めと、3戦目は「弓矢固め」でいずれも藤波が勝利しています。藤波の弓矢固めがフィニッシュという試合も珍しい。藤波の3勝。
※チャレンジスピリットシリーズの初日に、東村山大会でのお客さんは、びっくりしたそうです。
つまり、アンドレとスーパースターではなく、ストロングマシンが2人、しかも、ひとりは超巨体で出てきたからでした。このふたりは、もう、正体はばればれでしたが、マネージャのうるさいワカマツの号令で動き、(レフェリーのミスター高橋の著作によると、最初は提案に驚いたアンドレでしたが、この変身を楽しんでいたといいます。もちろんスーパースターは、もともとマスクマンですし、変身はすぐOKでしたと) 大変強い、最強のストロングマシーンズの誕生でした。
なお、藤波さんとの対戦ですが、シングルではそれぞれ1戦づつありました。そして、共に藤波の反則負けでした(それぞれ、場外フェンスの外に藤波さんが相手を出してしまった形で)特に、ジャイアントマシーン(つまり、アンドレ)との対戦では、藤波さんがアンドレに「回転エビ固め」を完璧に決め、どう見ても、カウントが5つは入るタイミングでした。(このときはレフェリーミスター高橋の「疑惑のレフェリング」の時期で(阿部四郎か!)大変残念だったことをおぼえています)
アンドレは海外でもマスクマンで試合をしたといいます。お気に入りだったんですね。普段とは違うキャラクターでしたので、別の選手として項目を立てました。
※猪木が格闘技世界一決定戦を復活させようとして失敗した相手。その後、新日本プロレスに入門して、若手からやりなおす、ということでした(セコンドにつくと、やたら目立ってましたね)が、いつの間にかフェードアウトしてしまいました。
あの「小錦のお兄さん」という売りでしたが。。
藤波さんとも対戦していました。シングルは、藤波の2勝でした。
※ええ~と、エリック兄弟の順番です。まず、
上がら、ケビン、
デビット、
ケリー、
マイク、
クリス です。
この時の来日は、ケビンとケリーのふたりでしたが、全日本に参加していて客死したデビットが次のNWAチャンピオンにいちばん近いといわれていました。 あとの4人は、みんな新日本にもやってきて、藤波とも対戦しています。 試合中盤までは技の攻防が目まぐるしいが、終盤になるとクロー攻撃が始まり、動きがなくなってしまうタッグが多く、そうなると、いつも健吾さんが流血して苦労しましたね。このゆったりとした試合の動き・リズムが、全日本的というか、なかなか新日のファンには受け入れられない感じでした。
ところで、握力って、親子で遺伝するんでしょうか?(鍛えたんでしょうけれど(笑)ね)
藤波とケビンとのシングルの対戦は、1戦だけで、1引き分け。
※思えば、初めての対戦が、いきなりタイトル戦だ。これでいいのかしら?
全日本に来日したとき「ヤングでナウいプロレスをするレスラー」と実況され、田鶴浜さんからは「見事な肉体美ですな。ほれぼれする」と褒められていました。あれ?新日での印象は?。。
藤波とはシングルでも4戦していて、藤波の2勝1敗1引き分け。
※この試合が行われたとき、「もうすこし早ければ、話題になったのに!」とみんなが言いました。
藤波 vs ドスカラス!
確かに話題でしたでしょうが、果たして「名勝負」になったかというと、はなはだ「???」であります。
ライガーによると、覆面の下は(素顔)は、超イケメンなんだそうな。。
全日では近づくことすら出来なかったドスカラスでしたが、後に「W☆ING」に参戦したとき、数名のファンと一緒にサインをもらえました。嬉しかったなあ。。。
※トンガ出身の元力士、小気味のいいファイトをする選手です。のちリングネームを「バーバリアン」と短くしました。バーバリアンと藤波といえば、あの場面です。藤波が原爆固めを決めたとき、藤波の歯がバーバリアンの背中に刺さってしまい、ふたりとも負傷したアクシデントがありました。しかも、この時に、藤波に向かって、マイクアピールしている選手がいましたね。誰でしたかね? タイミングの悪さ、世界一(調査中です)
※日本プロレスから全日本へ、海外へと行動した桜田一男が変身して、新日本に参戦。かっこいいランボー・サクラダで参戦していましたが、さらに変身して落ち武者スタイルの「ケンドー・ナガサキ」に。多くのレスラーから「がちで強い」と言われていました。きっとそうだったんでしょうね。 シングル戦績では藤波の2勝。
※新日本プロレスの創設期に入門。関川哲夫の本名でデビュー、その時の相手が藤波さんでした。
その後、海外に転出、「ミスター・セキ」で活躍し国際プロレスに参戦。さらに「ミスター・ポーゴ」になりました。アメリカでの名が「ミスター・東郷」と電話で伝えたはずが、「ポーゴ」になっていたという。やがて、大仁田のFMWに参加、から「W☆ING」のエースとして参加、かずかずのデスマッチを経験する。藤波さんとはシングル1戦がありました。(藤波の1勝) (関川哲夫#008 )
以上、1984年から85年の初対戦選手でした。