チンクワンタ独裁王国

先日、twitterのリツイートで“是非読んで!”と廻って来た記事です。

とても納得する部分が多かったので取り上げてみました。
所々表現が難しく、うぅーん・・・と思う訳もあるので、追々修正を加えていきます。。。



International Skating Union Now Officially a Dictatorship
June 28, 2012
Monica Friedlander


2011-2012フィギュアスケートシーズンが、このスポーツの歴史の中でも最もスキャンダラスな世界選手権を持って終了した。誰もがこのスポーツの統治機関が初心に帰り、かつフィギュアスケートの誠実性に対する人々の信頼を回復するような道を模索することを期待するだろう。しかしその期待とは裏腹に、ISUは堂々と世界を欺いた。ISUメンバーが今月初めにマレーシア、クアラルンプールで会合を持った時、彼らはどんな独裁にも値する妙技をやってのけた---説明のしようのない、全てに対して沸き上がる軽蔑。独裁体制が確立した瞬間。

アジェンダに関しては悪名高きNo.7があった---スケート連盟会長であるオッタビオ・チンクワンタによる前例無き不正な要求。彼は2014年のISU議会で再選するには年齢不適格である。それを踏まえ、彼は公職の任期を単に2年延長し2016年まで任期を広げるよう要請した。
憲法上許された任期の最後の年を終えたにもかかわらず、あと2年だけ執務室でふらふら楽しませて下さいとアメリカ大統領が議会に要請したと考えてみて欲しい。正気の沙汰じゃない。しかしISUにおいては、通常通り、メンバーは会長に礼を尽くし彼の願いを受け入れた。チンクワンタが史上最も長く、ほぼ1世紀間もの間ISU会長として君臨するということ許したのだ。この行動はISU憲法への明らかな違反であり、ISUメンバーの羞恥心の無残な欠落と世論に対する無関心さとを明確に示すこととなった---自在にキャリアの成否を操るジャッジパネルと同類で、氷上の競技で現実に何が起こっているのかまるで考えていない。

フィギュアスケートの真価が解らず、芸術的側面への明らかな軽蔑を持つ元スピードスケーター、チンクワンタは、フィギュアをジャッジされパフォーマンスされる方法を変えた新しいルールに閉じ込めた。今まで誰一人として新採点システムのようにフィギュアスケートをこねくり回すようなことはしなかった。フィギュアスケートの評判と信憑性で生じる急落、それを上手く言い逃れるのはますます難しくなっている。チンクワンタは、迷走し自滅的でもあるこのスポーツに再び君臨しようというのだ。

チンクワンタ決議の通過をもって、ISUは明確にフィギュアスケートを無能、無関心、腐敗に陥らせたままの状態にした。この動きが及ぼす影響は、少なくとも次の2つのオリンピックサイクルには影響し、それ以降もあり得るかもしれない。通常4年ごとに行われる代わりに、次の新しい会長は2018年冬季オリンピックの2年前に選出されることとなる。その新しい会長が再選されるまで、何かが変るなどという可能性は非常に低いだろう。既に忘却の彼方への階段を転げ落ちているフィギュアスケートにとって、今回のこの決定は死の接吻以外の何物でもない。

スポーツの終焉

何故フィギュアスケートは絶滅した恐竜と同じ道を歩んでいるのか?結局のところ、フィギュアスケートは1990年代には世界でも最も人気があり、有益なスポーツの一つとしてランクされていた。しかしその後、かの有名な2002年のペア競技スキャンダルが起き、フィギュアスケートを完全に覆す口実をISUに与えることとなった。そうして新採点システムは2004年にチンクワンタによって導入され、フィギュアに息の根を止めさせるほどの打撃を与えた。
フィギュアスケートから芸術性をはぎ取るだけではなく、そのアカウンタビリティも同様に奪い去った。密室ジャッジングと、観衆の誰もが理解することができない極端に入り組んだポイントシステムのせいで、ジャッジは今までよりもずっと好き放題に出来る自由を得た。以前はパーフェクトな6.0が何を意味するか、誰もが知っていた。今に置き換えるとそれは187.90という合計スコアと同じくらいなのだろうか?さっぱり解らない。

2002年、その時はまだスケートは世界のスポットライトの中にあったのだが、1つのジャッジングスキャンダルがフィギュアスケートを震撼させ、それを永遠に変えてしまった。現在、フィギュアはメディアに無視されている状態で、特定の選手を有利にしたり、冷遇したりという行いもメディアの探知機に引っかからず、結果を問題視されないままとなっている。

最も腐敗した競技会は今年フランスのニースで行われた世界選手権であったかもしれない。男子シングルとアイスダンスの結果には誰もが憤慨していた。高橋大輔に対するパトリック・チャンの弁護の余地なき勝利の後、観衆からは自然発生的に嘲りの声が沸き上がった---初めは得点がアナウンスされた時。もう一つは表彰式でレフリーとテクニカルコントローラーが紹介された時。
単に彼が出場していると言うだけで、このカナダチャンピオンに余分な20~30ポイントを与えるというジャッジの規則的な行いにより、“チャンフレーション”が一般的なスケーティング用語になったことは何の不思議もないことだ。ジョニー・ウィアーが先日“パトリック・チャンは4回転んでもOKで、それでもまだ30ポイント差で優勝できる・・・彼が大会に出ていたら誰もフェアな大会なんて持てないよ”と言っていた。

アイスダンスに関しては、ロイター通信が“木曜日、ニースのアクロポリスアリーナに座っていた全ての男性、女性、そして子供たちが、アメリカのメリル・デイヴィス&チャーリー・ホワイトが優勝だと思っていた。つまり、ジャッジングパネル以外の全ての人がそう思ったということだが”と伝えた。このロイターの感情は、世界中のファンとプレスによって共有された。

新採点システムの支持者たちは、そのシステムの仮定にすぎない公正性を常に擁護しているとは、どんなに皮肉なことだろう。“ああ、多分フィギュアは芸術的というよりむしろ技術的になっているだろう”と彼らの議論は突っ走る。“しかしポイントシステムは腐敗に対して確かに確実なものなんだ。ポイントは嘘をつかない。スコアは“絶対”だ。最早予め定められた結果など存在しない”。ここ何シーズンかに渡って競技を見てきている人達に向って、それを言えるものなら言ってみて欲しいものだ。今日のフィギュアスケートは、既製品の出来レースショーを、まるでそれが尊敬すべき努力であるかのように見せかけさえする。

そして大抵それは芸術的である。若干誇張だが、フィギュアスケートの特徴の1つとして使われてきた創造的才能は、既に不要な物として破棄されてしまった。チンクワンタ・ジャッジングシステムはあからさまな転倒には報いるが、一度は世界中で愛されたスポーツが持つ全ての魅力を無視する:感情、音楽性、流動性、瞬間的に目を奪う様なポジション、そしてとり分け観衆を捉えるその無形の力。要するに、このシステムは全てを計るのだろう。しかしジャネット・リンが言うところの“人間の精神を引き上げる力”は計れない。その結果、(2、3の顕著な例を除いて)今あるのはクッキーの型で抜かれたかのようなプログラムと、観衆を魅了するために何をするでも無い血迷ったスケートスタイルだ。

最もなことだがファンは群れをなしてフィギュアを見捨てている。多くの競技会が殆ど空っぽのアリーナで行われ、ショーはあちこちで失敗、かつて繁盛したプロフェッショナルのシーンは今は遠い昔の記憶、そして僅かばかりの若者たちだけがフィギュアに魅了されているという現実。TV視聴率はどん底に達し、最早TV局は競技を報道さえしない。

一方ISUは良い仕事だと自画自賛し、チンクワンタに同じことを2年延長して続けて良しとのご褒美を与えた。この決定で、フィギュアは信憑性に関する最後の一片を失ってしまった。私たちの中で、これでもなお傍観することを選ぶ人たちがいるならば、その人は自虐的だと言えるのではないだろうか。稀に見る記憶すべきパフォーマンスにも関わらず決して勝つ見込みのないものを目の当たりにしても尚、喜んで非道行為を受け入れるのだから。

フィギュアスケートよ、安からに眠れ。
昔むかし、それは何と素晴らしいスポーツであったか。

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ISU投票に関するメモ

チンクワンタ決議の興味深い面は、その投票の内訳である。昔に西と東で争っていた時のことを覚えているだろうか?東側の連合ブロックが西側の独立した思考をもったジャッジと共謀した時のことを。
解るだろうか?何ひとつ変わっていない。当時はソビエトという国とユーゴスラビアという国があったと言うことを除いては、何ひとつ変わってないのだ。今その2つの国は個々の数十カ国にも及ぶ国に分裂し、そのそれぞれがジャッジを抱えISUに投票している。東側ブロックの2国以外(チェコ共和国とボスニア/ヘルツェゴビナ)は全て、チンクワンタの要求に賛成している:アアルメニア、アゼルバイジャン、ブルガリア、クロアチア、エストニア、グルジア、ハンガリー、カザフスタン、ルーマニア、ラトビア、リトアニア、モンテネグロ、ポーランド、スロバキア共和国、スロベニア、そしてウクライナ。そして彼らに加担したのは大部分のアジア諸国だった。それによってチンクワンタ支持者は過半数に達した。反対票を投じたのはアメリカ、カナダ、そして大部分の西ヨーロッパ諸国だった。

© やっち