【 なんとも上手く主張できないが… 】

自分の思考を見直しながら書いてみる。

大前提:

■凶弾に倒れた安倍元首相を弔う気持ちは十二分にある。
■だから、これが、普通に自民党葬とかのセレモニーならば、ごく普通に見守った筈でもある。
そもそも、安倍家の葬式は済んでいるのだ。

しかし、『国葬』と聞き、違和感はマックスだ。
そして時系列では逆転して、某国、国家元首の「国葬」
を目の当たりにしてしまった。

流れるような一連の儀式は、それでも議会の承認を得てからの始動、だとも知った。

もちろん、英国内にも様々な議論あるが、ロンドン中の花屋から花が売り切れたのを知った。弔いの列は数kmだと知った。


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自分はミリオタだから、「国葬」で連想するのは
『山本五十六』のそれだ。

周知のとうり、この帝国海軍の最高司令官は、最前戦を視察中に乗機が撃墜され、戦死。
当時の軍部は、当初、それを秘匿した。

そりゃまあ、ワカル。例えば今、ゼレンスキーかプーチンが戦死したら、そっち側が敗北するのは明らかだ。

だから、2ヶ月後、「国葬」をもって戦死を発表し、同時に士気を鼓舞、全国民を戦時意識に叩き込んだ次第だ。


しかし、これは当時でも普通に『異常事態』だ。

なぜなら、国家元首を弔うのが『国葬』だから、だ。皇族でも華族でもない『平民』の山本五十六を弔うセレモニー。

まぎれもなくプロパガンダの産物だ。
全メディアが発信した、鬼畜米英の延長にあっただけの事。それが真相に近い。

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さて「終戦」
正確を期すなら『敗戦』

我が国は独立国家としての「立ち位置」を失った。
連合軍に占領された。

つまり議会も政府も裁判所も、その機能を制限された。当然、国家元首(明治憲法下)たる天皇陛下の存続も棚上げ。

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(中略)

そしてサンフランシスコ平和条約により、日本国は復権。

調印は、国家元首としての吉田茂。

歴史にイフは禁物だが、彼の功績と決断がなければもう数年は、占領下だったと思う。その歪みは、現代まで繋がる…が。だ。

だから、歴史の評価にはまだ早いが

超特例として「国葬」したのは整合性があるのだ。



天皇家には縁故ない、選挙で選ばれた国家元首。
その元首の功績とは、戦後日本の土台を構築した事。

そして、かっての元首は『象徴』として命運を繋いだ。

吉田茂とは、今に続く、現代日本へと我が国を再生させ、これからも続く天皇家を磐石にしたともいえる、政治家なのだ。

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とにかく、日本は、あの時、負けたのだ。