【 身の丈 】

地味婚とか、家族葬とか…
コロナ禍を経て、新たなトレンドな風潮もあるが…

なんてことはない。
本来な日本の文化的には、過不足ないのがそれ、だ。

婚姻の儀は、会館でもなく式場でもなく、ましてやホテルではなく、居住地で披露だ。



葬式は地域で仕切り、野辺で送る。





基本的に、リアルな人間関係のなかゆえの、冠婚葬祭だ。

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戦後復興からバブルから、我々は、とにかく基本、右肩上がりが当然だと信じていた。

だから可処分所得の増大とともに、行事は派手に、付き合いは多岐にわたり、かつ高額になっていた。

ある意味、対コロナの行動様式や、生活規範は、それぞれ身の丈を意識して、無い袖は振れないこと、お互いが理解しあえるようななった、のかもしれない。

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ましてや、見栄や外聞や世間体を気にする判断なんて、もはや前時代の感覚だ。

しかし、残念ながら政治の世界は、加えて
『政治的判断』が最優先のようだ。
『政治的効果』のためなら、金に糸目もつけないようだ。

【 国葬 】

その意義とか、歴史的評価とか、国政上の立ち位置とか、いち庶民の私には分からないし、そもそも私の関与することでもない。

しかし、私は安倍晋三さんの業績は評価できるし、批判も多分にある。だからこそ真摯に弔いたいと考えている。
だからこそ、陳腐な理論構築で強行される(らしい)国葬は、納得できない。

というか、『国葬』のワードを使う怪しさ、この時代に盛大に行う、庶民感覚の無さ、何もかもが、

『時代錯誤』だ。